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4 優しさよりも刺激を 【葬舞師と星の声を聴く楽師/連載小説】

連載小説『葬舞師そうまいしと星の声を聴く楽師がくし』です。
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前話

4  優しさよりも刺激を


 頼りなさそうに見える村役の男だったが、アシュディンは彼のことをすっかり見直していた。ハーヴィドと共に部屋で待たされている間、遅れて到着した行商人らがしきりに村役の家を訪れてきた。商売の許可を求める声の合間に、さまざまな会話が交わされた。隣国の政治情勢から有名貴族らの下世話な噂話まで。それらに耳をそばだてていると、アシュディンはまったく退屈しなかった。
 舞踏団で生活していた時に耳にしていた会話とはまるで違った。そこで繰り広げられていた年長者たちの話は、舞の伝統か革新かを問うだけのひどく味気ないものばかりだった。
 アシュディンは行商人らと村役の雑談に、ありふれた世間話に、独特のリズムと色合いを見出していた。世界が律動的にうごめきながら、際限なく広がっていくような夢想をした。刺激的な体験だった。

「招いておきながらお待たせしてすみません。おや、お茶を入れ直しますか」
 村役の男は戻ってくるや否や、ハーヴィドの椀が空になっていることに気付いて言った。対照的にアシュディンの茶にはまったく手がつけられていない。
「いえ、充分いただきました。ところで、相談とは?」ハーヴィドが持ち前の素っ気ない態度で話を促した。
「ああ、それですね。ええ、えーと」
 言い淀む村役の男をいぶかしげに見上げるふたり。相談があると言われたものの、お互いまったく心当たりがなかった。
「ザインのことなんですが、実はあの子を村から出そうかと考えてまして──」村役が言い終える前に、アシュディンはいきり立って、その胸ぐらを掴んだ。
「おい、そりゃねえだろ! 食いぶちを減らすために孤児院にぶち込むってか?」
「あ、い、いえ」喉元に食い込む拳と困惑のせいで、男はうまく言葉を継げない。
「おい、やめておけ。ろくに話も聞けん」
 ハーヴィドの制止にアシュディンは手の力を緩めた。しかしその形相には烈しい怒りを浮かべたままだ。
「あまりに急ぎすぎではないか。母親を亡くしてまだ10日ばかりだろう」
 ハーヴィドが腕組みをしながら言った。その言葉は、アシュディンの感じたものと同類の怒りを、もっとも落ち着いた論理と口調とで述べたものだった。
 アシュディンは気持ちを代弁されたことに呆気に取られ、村役の襟から手を離した。解放された男は何度か咳き込んで、改まって話を再開した。

「あの子、アシュディンさんのダアルを見て即座に心を開きましたでしょう? ただ、おふたりが到着するまでの間、わたし達とて何もしてなかったわけじゃありません。あの子を立ち直らせようと言葉をかけたり、料理を出したり、皆であれこれ手を尽くしたのです。でも結局、村では何もしてやれませんでした」
 村役はハーヴィドの椀に茶を注ぎながら言った。いちど遠慮されながらもそうしたのは、平静を装うためだった。
「そりゃあ、食事や寝床を与えるくらい何てことないですよ。ああいうものは時が解決するってことも重々承知しています。ただなんというか……あの年頃の子には新しいものや良いものや、もちろん中には見るに耐えないような辛いこともあるかもしれませんが、そういった刺激を与えてあげる方が良いんじゃないかと。あなたのダアルを見てそう思ったのです。この村は、あまりに退屈でしょう?」
 言葉の端々に見え隠れする諦念が、村落の平穏とよく似ていた。
「まあ、一理あるな」ハーヴィドは尖った顎先に指を当てて頷く。
「うーん、たしかに。でもさ、あいつを村から出すことが、俺らにいったいどう関係するんだよ?」アシュディンはいちど振りかざした怒りのやり場に困って、ぶっきらぼうに尋ねた。
「たしかアシュディンさんはラウダナ国に向かう途中だとか。実はあの子の死んだ母親の兄、つまり叔父にあたる人がラウダナの都に住んでいるんですよ。どうか、あの子をそこまで連れて行っては頂けませんか?」

 アシュディンは目を丸くした。
「へ? 孤児院じゃなくて?」
「そ、そんなこと、ひと言も言ってませんよ!」
「なんだよ、紛らわしい言い方するなよ!」アシュディンは大袈裟に上体をひねって天を仰いだ。
「くっくっ、完全にお前の早とちりだったな」
「え!?」
 驚いて振り返ると、ハーヴィドが顔を綻ばせていた。唇の両端が上がり、緩やかな弧を描いている。
「お前、いま笑った?」と言って顔を覗き込むアシュディン。ハーヴィドはおもむろに口元を手で覆い隠した。
 アシュディンは思いがけない収穫にニヤついて見せたが、ふと大事なことを思い出して顔をこわばらせた。
「あっ、そういえば俺、駱駝らくだを買えなかったんだ。あんな幼子を抱えてラウダナまで歩くのはさすがに無理かも」
 アシュディンは頭を抱え、村役とハーヴィドの顔を交互に見た。するとハーヴィドがいつも通りの冷静沈着な面に戻って言った。
「偶然だが、つい先刻、俺の行き先もラウダナに決まったところだ。あの子には俺の駱駝に乗ってもらうことにする」
 まるで決定事項のように言い切ったハーヴィド。アシュディンはしばらく何を言われたか理解できなかった。
「それって3人で旅するってこと?」
「そういうことになるな」
「俺も駱駝らくだに乗ってもいいの?」
「やむを得ないときもあるだろう」
「つまり、やっと俺にあの楽器を触らせる気になった?」
「どうしてそうなる?」
 ハーヴィドは眉根を寄せて突っぱねたが、アシュディンは勝手に顔つきを明るくし、新しい旅に胸を躍らせた。村役の男はそのやり取りを見て、快諾として受け取った。
「では、あの子を送り届けて頂けるんですね?」
「ああ、いいぜ。まあ、あいつ、ザインの気持ち次第だけどな」
「それはもちろんです!」
 意気投合したふたりは少年の明るい未来を想像して色めき立った。特にアシュディンは、人生で初めて〈舞ではない依頼〉を受けたこともあって心の底から喜んでいた。しかしハーヴィドは、ふたりの軽薄な態度をすこし冷ややかな目で眺めた。
「ところで、あまりに無用心というか、たとえば俺たちが人さらいだとか、奴隷売買しているとか、そういった疑いを持たないのか?」と、警告の意を込めて言った。しかし村役の男は「へ? あんたみたいな穏やかな楽師が? ご冗談を」などと言って、浮かれた様子を崩さなかった。
「信頼してもらえるのは有難いが、すこしは人を疑った方が良いかもな」釘を刺すハーヴィド。しかしその口元は本人の意に反して、また綻んでいるように見えた。


 まばらな家屋の合間を、乾いた風が吹き抜けていった。出立の朝、荒地の前には村落の住民のほぼ全員が集まっていた。
 少年ザインはふたたび母の墓の前に座り込んでいる。行商人がやってきたことで、墓にふさわしい石と木簡を用意してやれた。ささやかながらも温かみのある、生前の母の心ばえを写生したかのような優しい墓に置き換わっていた。
 それを見つめるザインの瞳も以前とは打って変わって、暗い影に支配されない、強い光を宿しているようだった。
「やはり引き離すには早すぎましたかね」
 村役の男は、なかなか墓の前を動かないザインを見て不安げに呟いた。しかし誰もその言葉に応じなかった。ザインはラウダナ国の叔父の元へ行く提案をためらいなく受け入れた。アシュディンらと同行することを告げると、期待に溢れた清々しい表情すらしていた。早すぎることはない、今日があの子にとって新しい人生の最初のページになる。その場にいるほとんどの大人たちが、そう信じたかった。
「やっと、立ったか」ハーヴィドが低い声で言った。
 少年は立っても座っても背丈があまり変わらないように見えた。しかし少し前までは支えられなければ真っ直ぐ歩くこともできなかったザインが、今は二本の足でしっかりと立ち、亡き母と向き合っている。
 また風が大きな笛の音を鳴らして、ゆっくりと凪いでいった刹那──ザインは両手を広げ、片膝を折って脚を持ち上げた。ほどなくして、大地についた方の脚が次第に震えを増していく。
「あいつ、まさか俺の葬舞の真似をして──」アシュディンは必死に片足立ちをするザインの姿に心打たれて、ゆっくりと歩み寄った。しかし到着する寸前でザインは横に倒れ込んでしまう。アシュディンがその腕を掴んで、小さな体を引き上げた。
「お別れじゃないさ。一緒に、行けるか?」
 腰をかがめて問いかけると、ザインは土で汚れた顔を力強く縦に振ってみせた。


── to be continued──

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