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連載開始『あれもこれもそれも』1. ①

あれもこれもそれも
story1. 呪術的な日常 ①

 灰色の視界が紡錘形に開けていく。カーテンから漏れ入る一条の光りが、やがて扇のようになって僕らの体を横一文字に切り裂こうとしていた。大丈夫、人体切断マジックのようなもの。僕らの朝を彩る演出の1つだ。右耳にミルクティーのような寝息を感じて首を傾けると、そこには見慣れた男の寝顔がある。ふと自分の口の中に甘だるいアルコールの匂いが残っていることに気づく。ゆっくり頭の位置を戻して天井を見上げ、深く息を吐く。昨日は少し呑みすぎたようだ。

 アルバイトの後は、こうして駅の近くにある恋人の家に泊まる。ラウンジ『つれづれ』のボーイとして働いていると、しばしば客に酒を勧められることがある。よほど体調が悪いときでない限り、断るという選択肢はない。もっともそんな時には、雇い主のママが「今日は帰ってね」と言ってくれるけど。仕事は深夜0時を越え、バスも電車もなくなり、酒を飲んだら自宅には帰れなくなる。ママはちゃんとタクシーチケットを用意してくれるけど、さすがに毎回は悪いなと思うし、店から歩いて行ける恋人の家に泊まっていることも言えないでいる。気遣いも隠し事も正直めんどうくさい。ただ、それなり以上の時給をもらっているし、ふつうの飲食店ではなかなか出来ない経験をさせてもらっているから……辞めようと思ったことは一度もない。20歳になってすぐに始めた今のバイトは、そろそろ1年になる。
 それまではファミレスでホール担当をしていた。しかし大学生活も中盤に差し掛かり刺激も少なくなってきた頃、ふと何か新しい世界を覗いてみたい欲動に駆られた。どうしてだろうか、女性が男性客相手にお酒を注ぐ店に興味を惹かれた。それまで行ったことはなかったし、客として行こうなどと思ったこともない。きっと……これからもないだろう。なぜなら僕はゲイだから。

 横に寝ている森井芳彦という名の男が僕の恋人で、15歳も年上だ。芳彦は肌の張りも肉の付き方も若々しく、外見だけなら20代と言ってもまったく差し支えない。なのに年相応の落ち着きなんかを持ち合わせていて、職場で女性社員たちから好意を持たれることもあるそうだ。彼はその度に「ごめんね、俺ゲイだし、恋人いるから」と一蹴しているらしい。そんなことがあった日の晩には、ほとんど必ず僕に報告してくる。食事どきの会話だったり、ピロートークにさりげなく混ぜてきたり、とにかくさらりと報告してくる。その報告で、僕が安心や信頼を確認し、加えてちょこっと優越感なんかを抱いて気分が良くなることを、彼はよーく分かっている。以前は言われていた。「拓人は心配性だな」と。最近だいぶ少なくなってきたけど、今でもそういった作業だけは儀式として残っているのだ。安心や信頼といったものは、感じることも伝えることも同等に難しい。男女の関係には色々あるようだけど、こちら側の世界の色恋も、十二分に複雑なんだ。

 枕元にあるスマートフォンを手に取ると、2件の通知が届いている。登録している出会い系アプリに来るメッセージだった。僕らが普通に日常を過ごしているだけで、同性愛者に出会えることはあまりない。アプリを開いてメッセージを確認する。1通目は〈ヤリたい〉というひと言がぽつんと寂しそうにしており、もう1通には〈セフレ募集……〉で始まってテンプレートのような卑猥な言葉が長々と羅列されていた。届くメッセージの8割は性欲を吐き出す——僕は決してこれを「満たす」とは呼ばない——ための誘い。1割強は依存心が強くて病んでいそうな男の鬱々とした心の叫び。忘れた頃にようやく、まともで紳士的なメッセージが届くこともあるが、はたして送信者がまともな紳士かどうか、それはまた別の話だ。こうして見ず知らずの10人、20人と実際に会ってみて——その背景にはおそらく100人単位のメッセージのやりとりがある——今の恋人の元にたどり着いたのが1年半前のことだ。やっとのことだった。


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