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売っていなくて立ち尽くす【エッセイ】

愛用のボールペンが逝ってしまわれた。
完全に破損したボディを見下ろす僕。脳内でちーんと〈おりん〉の音がした。本当に。
仕事具のひとつだったため早急に新しいものを用意する必要があったのだが、数週間そんな気も起こらず(そんなに長く!?) 職場に転がっている半共用のボールペンに手を伸ばしては、返したかどうかも定かでない虚ろな日々を過ごした。

先日、別件で本屋に立ち寄った際、隣接するステーショナリーコーナーに目が留まった。いいかげん買い直さないとなぁと思い、家人を待たせつつ、ようやく重い足を向かわせたのだった。
まずまずの品揃え。ショーケースに入ったものを除いても百円〜数千円程度のものまで、よりどりみどりだった。単色のもの、多機能タイプのもの、ノック式、回転式。デザインも重さも字の太さも、選ぶにおいて何ら不備も不足もない。

……はずだったのに、ボールペンコーナーを前に僕はすっかり立ち尽くしてしまった。大した買い物ではない。ペンはそもそも使えればいいのだ。字を書ければいい。機能もデザインも適度でいい。オーバースペックにならないことだけ気を付けて、どれかひとつを手に取ってレジまで運べばいい。それなのに、たかがボールペン1本を選ぶのに結局20分近くも人を待たせてしまったのだ(ごめんなさい)

選択肢が多いから選べないんだ、という話ではない。〈本当に〉求めていたものは〈本当に〉そこになかったのだ。求めていたものは、用途を満たす品でもなく、新品のピカピカさでも新性能に踊る期待でもない。
求めていたものは恐らく〈自分の手垢のついた〉道具だった。先代ボールペンの破損によって途絶させられた、過去から現在を経て未来まで続く持ち主の手の痕だ。当然、そんなものが店に並んでいるはずがない。

物色している間の無感動には既視感があった。ん〜、アレだ! 失恋して絶望しているさなかにあのアドバイスをもらっているような気分。「男(女)なんて星の数ほどいるよ!」というもの。
その言葉がいかに無意味なものかは、深い哀しみを経験した人なら理解できるだろう。欲しいのは新しい恋人ではなく、失ったその人なのだから。
一方で、その言葉がどれほど意味のあるものかは、失恋を乗り越えた人なら皆知っている。ボールペンはいつかは買い直さねばならない。

物には魂が宿る、と昔からよく言われる。僕はそれを、持ち主の魂が道具に乗り移るようなものかと感じていたが、少し違ったのかもしれない。使う、接する、傍にいる。こういう時間を過ごすことで、道具には持ち主とは違う別の人格が与えられていくのではないか。それこそ恋人や親友のような。そして道具の魂は持ち主がこしらえたものにもかかわらず、素知らぬ顔で我が心にも深く食い込んでいるのだ。

新しいペンと共に生きていくが、先代の手垢をちゃんと引き継いでもらいたいものだ。
長年どうもありがとう、さようなら。

書き殴っただけの乱文で失礼しました

#エッセイ #日記

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