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自己診断の危険は「ってカンジ」で回避する

某テニスプレイヤーの件もあり、なんだか「精神的不調・精神的性向の自己申告」vs「それは甘えだろう」の構図がどんどん過激化しているように見える。
このような現象は身近にも蔓延っており、うつに限らず、発達障害、HSP、またLGBTQなど、多岐の領域にわたる。

個人的には、その申告の内容が妥当か不当かみたいなものは比較的どうでも良く、休みたい時は休めたら良いし、甘えたい時は甘えられれば良い、一貫して健康なことなどありえないし、職業/業務とパーソナリティ/能力の不一致は致し方ないことだと考えている。だから、それらを抱擁できるだけの社会の余裕があったらいいなと願う。

医療を学ぶ者アルアルの中に「病気のことを勉強すると自分がその病気なのではないかと心配になる」現象というものがある。これは特に精神科領域で顕著だ。10ある診断基準のうち2-3個当てはまることで自己診断して不安になってしまう。場合によっては、その専門科目の先生のところに相談しに行きイヤな顔をされることになる。

いくつかの問題が潜んでいる。

まず、自分の目を通して観る自分は正しい姿をしているか、というもの。それは、人を見て「甘え」だと罵る人が自身の鑑識眼や論理思考を正しく評価できているか、ということにも反射する。

次に精神医学の科学としての妥当性はどうか。デカルトは科学の要件として、検証できる、再現性がある、可能なら定量化できる、権威に依らない、などを挙げた。精神医学や心理学の分野がこれらと相性が悪いのは明白で、多くの研究者たちがその克服に苦心されてきた歴史がある。多面的なアプローチ、慎重な考察、フェーズごとの観察などの積み重ねによって、ようやく蓋然を得るものなのだ。そんな中で一般人の自己診断など風の前の塵に同じだろう。
(加えて、パーソナリティや精神疾患の概念は時と共に変遷していくものなのだ。人が作った区分なのだから)

「これは石である」「ケイ素とアルミニウムを含んでいる」という風に言えないのが人の心だ。しかし言葉とは恐ろしいもので、石の場合と同じようなテンションで「私はうつ病だ」と言えてしまう。またその逆に「これは石か?いや違うだろう」のようなテンションで「お前はうつ病か?いや違うだろう」と言う輩がいる。

勘違いされたくないのだが、僕は安易な自己診断(断定)だけを批判的に見ている。書籍やネットで自分の中にある苦しさの原因を追求し、自己救済するきっかけを得ることは、現代人に与えられた恩恵だと思う。
ただアルアルでも書いたように、諸々の基準には健常者にも当てはまる項目が多い。おそらく健常者と患者、マジョリティとマイノリティなどといった区分自体が間違っているのだ。心の中には大多数の要素、少数の要素、健康に向かう要素、不健康に向かう要素、社会に向かう要素、社会から逃げる要素など、さまざまな質・量・向・層を持った要素が集合してできている。安易な自己診断が個々人の豊かな心の動態を妨げないか、つまり診断が逆にその人の可能性を閉じることにならないか、先行き不安な世の中だと感じる。

いつから「確実」がなければダメになったのだろう? 個人にとって断定できるものはそんなに多かっただろうか?
物はもっと丁寧に言いたい。現代にある診断や基準の言葉を使うなら、お尻に「傾向がある」を付ければいい。場合によっては頭に「今は」と付けるといいと思う。

僕は、「傾向がある」程度のものが、休養を取ったり、社会を渡っていくための路線変更をするための「根拠」となることに強く賛成だ。社会にはそれくらいの余裕と包容力を持って欲しい。ただでさえ寿命がぐんぐん延びている日本、人々が長期的に豊かな心をもって生きていけるのが良いと思う。ただ昨今の情勢や身の回りを眺めていて、それがアマちゃんの絵空事であることも痛いほど分かっているが。

言葉をしっかり学び、丁寧に使用していくことで、言葉で表せないものを浮き彫りにして掴む。それが最近の僕が気にしていること。

仏陀は「判断をやめろ」という、禅は「論理主義から離れろ」という。最近知ったベルクソンは、言葉の固定化機能に疑問を投げかけ、科学の背後に潜む社会的有用性を(一部)批判していた。
自己の中に社会的人格を置いて自分を相対化することは、主体性を手放すことに繋がりかねない。言葉、判断、基準、こういったものに振り回されて、自分の体や心を見ず知らずの誰かに明け渡すようなことはしたくないものだ。

ちなみに僕は、スキゾイドやナルシシズムのパーソナリティの傾向があって、それが過剰になると抑うつ的になって辛くなるけど、まあ仕事はちゃんと出来ているし、妄想が創作の源泉となる人生を過ごしてきたから「ま、なんでもいいや」ってカンジ。すっかり死語になった「ってカンジ」が好きだ。


#エッセイ  #うつ #パーソナリティ

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