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王一日体験記 【掌編1000字】

「王一日体験記」


 ダンダ(danda) 男性名詞
 意味 ①杖棒、②王権、③懲罰、④投獄、
         ⑤暴力、⑥幹、⑦櫂、他多数

Apte サンスクリット語辞書より(一部改変)
表記について記事末に注記あり


いったいぜんたいなぜどうして、私の手にはこんな華美な杖が握られているのだろう。
この色、輝きはまさか本物のきんではなかろうか。杖頭には太陽をモティーフにした装飾。流線の内に宝玉がびっしり列をなし、まるで銀河を描いているかのようだ。
昼夜を問わず世界は我が手の内、ということか。

「ねえ、そこのあなた」
「……」

「すみません、すこし散歩に」
「……」

右の侍女も左の侍女もだんまりだ。

この杖を手にしてからというもの、誰もまともに口をきいてくれなくなった。ここでは、侍従頭じじゅうがしらを介してしか会話を許されていないそうだ。
目すら合わせてもらえず、さすがに堪える。
ため息とともに目線をみずからの胸元に落とす。赤や緑のど派手な布が、ひらひらひらひら嘲笑っている。見慣れない色合いに眩暈を起こしそうだ。

沙弥しゃみから数えて18年、比丘びくとして仏法僧に仕え、心を鎮めることを最上のこととして日夜にちや励んできた。(*沙弥:未成人の修行僧、比丘:成人の修行僧)
その私がなぜこんな格好をして、豪奢の限りを尽くした王宮に軟禁されているのだろうか。

── 豪雨に襲われ僧伽サンガ(*修行者の集団)からはぐれてしまった私は、ぬかるみと樹の根に足を取られていたお忍びの王を助けた。
不思議なことに、その王は私と瓜二つだったのだ。

昨夜、王はこのように仰られた。
「そなたに一日、ブラフマダンダを与える!」

「brahmadanda(聖なる罰)をですか?」
「そうだ、brahmadanda(王権の杖)をだ」
「……」

俗世を捨てた身とはいえ、統治者の言葉に逆らえるはずがない。身代わりして、またお忍びを楽しむつもりだろう。
どうせ酔狂、それもたった一日とのこと。私は「王権と懲罰」を受け入れることにした。

「もし、あなた」
「……」

「私のはちはどこですか?」
「……」

この杖を手にしていると、返ってくる沈黙のすべてが怖くなる。闇に浮かぶ刃物のように。
人に無視されるとはかくも辛いことだったか。托鉢たくはつで相手にされなくても何ともなかったというのに。

王が帰ってきたのは深更のことだった。侍女ふたりの奥に座る私の顔を見て、彼は驚いて言った。

「なぜだ、比丘とあろう者が、なぜ人目を憚らず泣いておるのだ?」

「……王よ、それは、私が比丘だからにございます」

銀河と太陽を模した金色の杖が、倒れてカランと音を立てた。

── Fin. ──


「ブラフマダンダ」にはふたつの意味があります。ひとつは権力者もしくは聖職者が手にする杖。もうひとつは、仏陀が仏弟子チャンナに与えた「誰からも口を聞いてもらえない」罰則のこと。本作では同音異義のふたつを組み合わせて物語を展開しました。

*ダンダは本来daṇḍa(3つめのnと4つめのdの下に点)で表記するのですが、環境依存文字のためにdandaと記してあります。

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