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琴のつぶて声のしずく【詩】

本詩作は仏教詩人アシュヴァゴーシャ(漢訳名:馬鳴)の伝説に基づいて創作したものです。彼の伝説について語る前に、インド古典文学史の簡単な解説をしておきます。しばし脱線をお許しください。解説なんて読みたくないよ〜、という方は退出ではなく是非スクロールでm(._.)m

昨今、インド映画・インド神話が流行を見せており、二大叙事詩『マハーバーラタ』『ラーマーヤナ』の名も広く知れ渡っていることでしょう。これらの叙事詩は紀元前後数世紀に渡って編纂されたもので、バラモン教やヒンドゥー教の神話を多く含んでいます。

時代は進んで4世紀頃、インド北部を統一したグプタ朝では様々な文化が最盛を迎えました。古典サンスクリット文学もそのひとつで、その担い手としてカーリダーサという詩人・劇作家が現れました。近代の東洋研究者から「インドのシェイクスピア」の異名で賞賛され、まさにサンスクリット古典文学の草分けと言える存在です。もちろん彼以前にも多くの文学作品が残されていますが、その作者・編者の多くはいずれも伝説的な存在で、実在したかどうか定かではありません。

カーリダーサはインドの神話や伝説を作品に落とし込むことを得意とし、形式は抒情詩、物語、戯曲など多岐にわたります。その中で彼の代名詞となる作品型は「カーヴィヤ」と呼ばれる詩物語でした。日本語では「美文体詩」などと訳されます。「詩」というと現代では見開き2ページ以内で済むような小さな作品と考えがちですが、あくまで「叙事詩」のことです。大河ドラマなんかを思い浮かべて頂くと、それほど違わないかもしれません。「カーヴィヤ」とは、当地当時の風土、歴史、文化、信仰や思想哲学を壮大な物語に込め、音韻法や修辞法を駆使して丹念に詩作品へと昇華した、言わば文化的総体のことなのです。

最初の「カーヴィヤ」は『ラーマーヤナ』とされています。しかし紀元前に成立したと言われる『ラーマーヤナ』と、「カーヴィヤ」が文芸作品として成熟・確立したカーリダーサの時代とにはだいぶ隔たりがあります。その丁度真ん中辺り、紀元後1-2世紀に活躍したとされる、インド文学史上たいへん重要な詩人Aがいました。

Aは元々は外道(主潮から見た異教徒)でしたが、ある仏僧との議論に敗北し、比丘(仏教における修行者・弟子)となります。様々な教理哲学を学び、修行に明け暮れていると、その功績が認められ、北インドを統一していた王の召集を受け、城で説法をすることになります。Aの説法を聴くとその場にいた人々はたちまち悟りを開きました。それだけでなく居合わせた馬たちもが涙を流してAの声に聞き入ったと伝えられています。その僧の名はアシュヴァゴーシャ。アシュヴァ(馬)ゴーシャ(鳴)で、馬鳴として中国にまでその名を轟かせました。アシュヴァゴーシャは2作のカーヴィヤを残し、そのいずれもが仏陀の生涯と仏法を礼賛するものです。彼のカーヴィヤは後代の僧団において広く諷誦され(声に出して読まれ)、いつしか音楽と弁舌に巧みな者として菩薩に加えられます。彼の史跡に魑魅魍魎がやって来て彼に議論で闘いを挑むと、見事な話術弁術で打ち負かし跳ね返した、などといった伝説も残されています。

前置きがだいぶ長くなってしまいました。このようなアシュヴァゴーシャの伝説をもとに詩を書いたのですが、本作は彼の思想を反映するものでも、仏教教理を示すものでもありません。彼の生涯・伝説・作品に触れ、着想を得て生まれた僕の私的創作になります。その点にご留意ください。またアシュヴァゴーシャの伝説の一部はWebで公開されています。本記事末尾にURLを貼りますので、興味のある方はどうぞご参照ください。

琴のつぶて声のしずく

 I

 南海より伝えられし古書の内に
 とある僧団の記録がある
 讃嘆の礼、諷誦の礼、と称する項に
 素朴にならべ祀られた古の詩よ
 錚々たる詩篇は
 或る音の神が創ったとされる
 中には神の名に肖った
 偽作も混じると噂されるが
 誰もそのことは口にしない

 ある僧は言う
 我が人生は滑稽な戯曲
 ある僧は思う
 我が人生こそが偽作
 あらゆる疑念を打ち払い
 一心不乱に僧たちは歌う
 音の神さえ心酔した
 王子を讃えるカーヴィヤを

 Ⅱ

 音の神には師があった
 その師にもまた師があった
 こうして遡ること幾世代
 今では海さえ越えて
 もっとも広く崇められている師の
 彼のまた師は 
 おそらく 憂い であった
 憂いとは所産ではなく
 ただの精霊

 Ⅲ

 言葉は沈黙のために語られ
 封殺された若き僧は
 ことばを磨いて
 ことばを捨てた

 Ⅳ

 世界を照らした四つの太陽
 その中心にある
 花の舞う城下町に
 東から使者あり
 かの音の神の面前に
 七頭の馬が集められた
 そして
 七つのしずくが滴り落ちた
 門外に満ちていたものは
 教理でもなく
 哲学でもなく
 わたしがおもうに
 おだやかさだった
 馬が涙を流したのではない
 大地の霊が水を欲しただけのこと

 Ⅴ

 音は妖術
 韻は幻術
 時代は神を物の怪として
 闇い山へと閉じ込めた
 されど音に善悪などあろうものか
 詩人が掬い取った
 琴の音のひとつぶては
 大地を微かに震わすのみ
 説法を垂れようとして
 無謀に山に入る外道の僧にさえ
 居心地の良いゆりかごを
 くれてやるのだ
 今日もまた世界が震える
 ふるえている
 ひとしれず
 かすかに
 ここは
 精霊の
 鼓膜

本作はnote神話部一周年記念企画のエントリー作になります。この度はたくさんのお祝い記事、お祝いコメントをありがとうございます!
今後ともnote神話部、矢口れんとをよろしくお願いいたします。

参照Webサイト
馬鳴菩薩伝ーアシュヴァゴーシャ菩薩の生涯ー

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#詩 #仏教 #インド

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