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小説『あれもこれもそれも』2-6

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小説『あれもこれもそれも』
Story 2. 遊女の廊下 -6

……これ以上、健斗という青年と関わることに危機感を抱いた。自分が普通の恋愛感情を知って、凡庸な女になることを怖がったわけではない。私と恋人の歪んだ関係のために、あの幼気な瞳の持ち主を傷つけてはいけないと、心から思ったのだ。(前話)


 そう、恋人と私の関係は最近歪んできていた。いや歪んでいったのは主に恋人のほうだった。長く付き合っていれば男女の性的な関係がまんねりとしてくるのは当然のことで、不倫関係とは言え私たちも例外ではない。恋人は幾度かそれを越えようと画策した。
 例えば1年ほど前にはSMクラブに通って、得た性技を私に試してきたことがあった。それはたいへん心地よいもので、私を新しい興奮の高みへと連れて行ってくれそうな魅惑的な行為だった。にもかかわらず、3回目くらいには恋人はすっかり飽きているようになり「良心の呵責が生まれた」などという見え透いた嘘のもとに終了した。あの時購入した麻縄やら手錠やらが私のクローゼットの奥で埃をかぶっている。迷惑な話だった。
 数ヶ月前にはハプニングバーに連れて行かれカップルを交換する、いわゆるスワッピングというセックスをした。しかしその店に行ったのも一度きりだった。

 恋人はこの上ないほどの絶望を味わっていた。『自分はまともに倒錯も出来ないほど平凡な人間なのだ』と。そして、いつしか自身が欲望の主体となることを放棄するようになった。性行為を行っている最中でも、そこに自身の精神性を持ち込むことをしなくなっていった。感情の皮相な小波しか感じられなくなっていく彼をみるのは痛々しかったが、私からすれば『何をそんな大袈裟な?』とも思っていた。まんねりなんて、名古屋を出た時に覚悟していた。
 もし私が健斗という青年にほんの少しでも惹かれた部分があったとしたら、それはあの不器用で隠しきれない感情しかない。それ以外の欲しいものは全て恋人が持っているはず。そうだ、恋人に足りないものはきっと〈不器用さ〉だ。

 私の気持ちは一切気に留められず、次に恋人は他人をターゲットに定めて、悪いことを始めるようになった。それはその相手が自身ですら気づいていないような隠された欲望を暴き、煽るたぐいのものだ。
 手始めにしたのは、生真面目な会社員に——それが恋人の職場の後輩だと後から知った——痴漢行為をさせるというものだ。私が電車の中で、恋人に言われた通りの簡単な動きをしただけで、目の前にある涼しげな男の顔がみるみるうちに下卑たものへと変化していった。そのさまを目の当たりにして私は恐怖を覚えた。もちろん男にではなく、恋人に、だ。
 その次は、キャバクラの人気嬢2人を上手くそそのかしてレズビアンの関係にした。彼女たちは男性の接客を疎かにするようになり、店で性行為をしているところも見つかって、2人とも解雇された。
 痴漢を警察に突き出すわけでもないし、キャバクラ嬢たちも幸せそうだったから、決してただ人を貶めるだけの悪事ではなかった。「彼らの欲望は早かれ遅かれ顕現するんだよ。僕らがしたことなんて大したことじゃない」と恋人は言う。だから悪事ではなく〈悪徳〉だと。サドの小説になぞらえてのことだろう。

 こうして、自ら味わうのではなく、他人に倒錯を味合わせるという、見事な倒錯を実現させていった。彼は満足そうだった。いわく、2人で実行した悪事が成功したあとにするセックスは格別らしい。ひと昔前の海外映画の中でよくあった。共犯者の男女が戦慄のさなかで激情をぶつけ合いながらするようなものか、と私は想像した。その良さはまるで分からない。映画のシーンで体を露わにして、必要以上に激しく喘いでいる女の背景には、男の監督や脚本家たちがいて、その源泉には私の知らない男たちの最大公約数の欲望がある。私は女優にもセックスシンボルにもなる気はない。もちろんなれると思っているわけではないが……
 違う。私は、気概のある男一人だけを選び、真心こめて愛し……男に愛させるための英才教育を受けた江戸の花魁なの。そのことを恋人にだけは知っていてほしかった。しかしそれはいつまで経っても叶わない。いつからか彼に抱かれている時間、天井に水と光の波紋を探すようになった。初めて彼と出会ったときに一緒に見上げたイルミネーションだ。見えたことはもちろん一度もない。


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#小説 #詩 #エッセイ #あれもこれもそれも #遊女の廊下

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