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小説『あれもこれもそれも』2-9

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小説『あれもこれもそれも』
Story 2. 遊女の廊下 -9

 私はとうとう〈ついで〉の存在にまで落ちぶれたようだ。それが悔しくて、せめて悪事の概要くらいは知っておきたくなった。
「あの健斗って子は誰なの?」
(前話)


「〈つれづれ〉の黒服だよ」
 私はうんざりした。また〈つれづれ〉か。
「彼に何をする気? 写真を撮るだけが目的ではないんでしょう」
「……もちろんそれだけではないよ。同じ店の黒服に拓人っていう大学生がいてさ、どうも健斗のことを憎んでいるらしいんだ。健斗も拓人を疎んでる。〈ケントとタクト〉若い男同士の感情のぶつかり合いだ。しかも、見たところ拓人はゲイだ。なんだか面白く展開していきそうじゃないか?」
 それは、明白な狂気。支離滅裂。いつからこんな人になってしまったのだろう……
 不思議と恐怖はもう起こらなかった。私がこれほど冷静になったのは、おそらく後にも先にもない。いったん彼の思惑に乗ってあげるのが良いと思った。協力するフリをして、もう変な悪事をやめるよう誘導できたら、それが一番良い。私は唇をいちど固く結んだ。
「写真はあげる。そんなことより、今日はしてくれるんでしょ?」
 マンネリを打破するときが目前に控えていた。期待していた形とはだいぶ違っているが。

 こんなに激しく求め合うのはどれくらいぶりだろうか。悪事が着々と進むことにより得られる愉楽こそが、恋人にとって最高のシチュエーションだ。確かに、いつもなら波風立たぬ水面の下に潜んでいるような支配欲求が、今日に限っては口元によく現れている。
 男は支配し、女は支配される。なんてずさんな構造だろう。いつから神話は神話になった? 本物の古代神話では、女性はいつも恐れられていたはずだ。遊女だって尊ばれていた。金品と性の交換が始まる前までは。
 女は男に抱かれ、快楽を与えられる、金品を与えられる、安全を与えられる、子供を与えられる……バカじゃないの? つまらない男の幻想が許されるなら、女の幻想だっていいでしょう。私たちが性器を通じてしているのは……魂の交換なの。多かれ少なかれ、女は男に与えているし与えさせている。あなたたちは気付いていないかもしれないけれど、遊女たちは皆それをちゃんと知っている。そして入り込んだ魂はちゃんと支配するの。言葉や思考の及ばないあなたの世界の一部分を。きっとこの交換によって、歴史と世界は回っている。そんな遊女の神話は知られてないが、きっと語られていないだけだ。胸の内に秘められているだけ。
 あなたもせめてほんの少し、ほんの少しでいいから受け取ってほしい。私のこのどうしようもない女性的なるものを。
 宙を抱くような想いで、広く深く、そして強く、恋人の背に腕を回した。

 射精の拍動が波打つように長く続いた。それとともに彼の頭の天辺からも、おびただしい量の汗が噴出し、私の顔まで滴り落ちてきた。恋人は苦しそうに肩で息をしている。これまでそんなことはなかった。
 一瞬、恋人がどこかに連れ去られてしまうかのような不安がよぎった。闇から白い手が出てきて、彼がさらわれてしまう幻想に駆られた。彼も自分の体の生理的な変化に戸惑っているようだ。
 紅潮する頬にゆっくりと手を伸ばす。すると彼は突然身じろいで、そして大きく身を離した。しばし呆然としていると思ったら、急に私に背を向けて横になった。その挙動は、何かに怯えているようにも見えた。
 いつも行為のあとには触らせるがままにしてくれていたのに……結局、私たちはまた1つ、歪んでしまったみたいだ。

 ややあって、恋人は全裸で汗だくのままソファーテーブルの傍へ行き、煙草に火を付けた。煙が立ち昇り、木製のシーリングファンで掻き回される様を眺めている。その彼を私が眺める。物憂いげな後ろ姿に吸い込まれるように、私は何気なく口を滑らせた。
「最近……少しやり過ぎじゃないかしら」
「やり過ぎ? 何を?」
 振り返った恋人の顔は思っていた以上に険しく、一瞬ひるんだのだが、こんな展開になることも想定の上で今日は会っているはずだ。手と膝が震えるのをおさえ、もういちど唇を強く結んだ。
「あなたと私の問題に、第三者を巻き込みすぎじゃない?」
「はっ?」
「いや、だからね……」
「ふざけるな! せっかくここまで綿密に準備しているのに!」
 もちろん怒らせる気など微塵もなかったのだが、私の言葉に恋人は激昂した。おそらく、核心を突いてしまった。彼は汗も拭かず乱れたままの髪で「これからもっと楽しい呪いの儀式が始まるんだよ」と、おぞましい予言めいた言葉を残して、荒々しく部屋を出て行った。

 ……ずっと部屋に独りでいたはずなのに、置き去りにされることで、こんなに悲しい気持ちになるとは知らなかった。私は一刻動揺が収まらず、彼の身勝手な行動に腹が立ちもしたが、「思えば、出会ってから反論したことなんて一度もなかったかもしれない」と、ひとつ短いため息をつき、シャワールームへと向かった。
 遊女は遊女らしく、大人しく黙っていれば良いということなのだろうか。でも江戸の花魁は絶対にそんな弱い女性ではなかったはずだ。絶対に。

——小紫様、私はいったいどうしたらよいのでしょうか?


 それから、4度目に健斗と会ったとき、私は彼と初めてエクスタシーに達した。恋人と喧嘩別れをした翌週のことだった。
 何十回としても良くならない相手がいる。ひとたび肌を重ねるだけで良いと思える相手もいる。性の不平等性は不思議なものだ。そこでは技量や経験はもちろん、見た目も才能もあまり関係ない。信頼できる尺度などなく、不可視なままで、不平等性はただ存在している。そして明らかにあるはずの差異は、現代的な〈価値〉という幻想に囚われると、その一切を知りえなくなる。それは私には、やはり魂を持ち込むことでしか説明ができないものだった。
 幾度となく魂の交換をしたはずの私の恋人。彼が外でどんな顔をしているのか、実は知らない。それを教えてくれるのは、私の周りには健斗ただ1人しかいなかった。
「ねえ、私の彼ってお店ではどんな感じ?」



Story2. 遊女の廊下 は次回が最終話です
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