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初バタイユ

なんとなくフランス祭りに。まあフランス文学の古典を読むのが元々の目標だったのだけど。というわけで、昨夜は初バタイユ。あまり時間がなかったので、掌編の『マダム・エドワルダ』を。
昨日のゾラにはやや親しみ切れなさを感じたが、バタイユ先生は、まあそうじゃないかと思ったけど好きな作家という第一印象。例によってセクシャル大好きな人達の話なのだが、私は作中人物が自分のろくでもなさやダメさの極みを晒け出した話に割と好感を持ちやすい。正体が出て来ているというか、そこからが話の始まりのように感じることがあるから。
といっても、バタイユ以外でどの作家がそうかと言われると適切な例が思い浮かばなくてモニョる。ユルスナールの『東方綺譚』も奇人というか変な人間が出て来たような気がするがそこが好き。ゾラは総じてまともな人が多いのが、「私とは違う」と印象したのかな……。

詳しい感想は改めてどこかで。
フランス文学といえばディドロも好きだけど、それはやっぱり、ディドロの作品に出て来る奇人が他人事ではないから、という一面があるかもしれない。私自身は至って平凡な人物なのだが、劣等感の強さがそういう嗜癖を生んでいるのかもね。メアリ・シェリーも好きなんだよ。

そして人様のバタイユ感想を読んでいて思ったけど、私がバタイユに惹かれる点は自身の「異端性」のようなものなのかも知れない。どうしても教条通りに生きられない歪んだ何かが自分の中にあり、それを見つめずにいられない、というような。私だけじゃないんだなとバタイユ小説に出て来る変態さんを見て思い、でも、逸脱を思い留まらねばと自らを律する自制心との戦いの自覚。


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