猫はいつもどこまでも自由だ

我が家にはちーちゃんという猫がいる。

ロシアンブルーの雄、8歳。

冒険心が強く、特技はドアを開けること。

我が家は両親が猫アレルギーなので自室で飼っている。だから、自室からの脱走は我が家にとって大事件だ。母は喘息持ちのため私の部屋に一切近寄らない。

そんな家庭で何故そうまでして猫を飼っているのか。私にもわからない。この子は猫アレルギーの母からの誕生日プレゼントだったからだ。

母は自分の事を全く話さない私に、多少の近寄りがたさを感じていたようだった。

私自身もまた、自我との折り合いがつかずにモヤモヤとした気持ちをいつも抱えていた。

ちーちゃんはそんな親子に話題を与えてくれた。

朝起きると決まって母は「にゃんこは?」と聞く。

私は「元気だよ」と部屋での猫の様子を話す。

ちーちゃんは私と母のコミュニケーションツールのような役目を果たしてくれている。どんなに話題に困っても、好奇心旺盛なちーちゃんは何かしらの話題を提供してくれるので、話は尽きない。

親バカかもしれないが、ちーちゃんは本当に天才だ。(自分で書いてちょっと恥ずかしくなったが続けよう)

ジャンプして上手にドアノブにぶら下がってドアを開ける。

私が出かけようとするとバッグを踏みつけて妨害する。

膝を叩くと飛び乗って来る。

なんなんだこの可愛い生き物は。

行動はほぼ犬に近い。

それは全部教わったことではなく、そうしたいからする、という全てがとても正直な行動なのだ。まさに自由の権化だ。

人間の自由と違うのは、そこに全くの責任を伴わないということだ。

私は自称自由人だが、それによって生じた結果には全ての責任が私にある。

だが、ちーちゃんは違う。

彼はやりたい放題やったら

上目遣いでにゃーんと鳴けば

大抵の事は許されてしまう。

「生まれ変わったら猫になりたい。」

そんな台詞を某アニメーションで耳にしたが、まさに先ほど全く同じ台詞が私の口を突いて出た。

母は呆れて笑った。

ちょうど居間で母が録画していた「世界猫歩き」を見始めたところだった。

ちーちゃんが我が家に来るまで、母は断然犬派だった。

そんな母が猫歩きを録画するようになるなんて、昔は想像も出来なかった。

ちーちゃん。

キミはやっぱりただの天才ではなくて

天使だ。

ちょっとやんちゃが過ぎるけど、キミの存在の素晴らしさに免じて見逃してあげるよ。



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