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ドラマ劔 その14 風姿歌伝~尾崎豊の場合

 尾崎に殉教は似合わない。
 それゆゑ、あのように手荒な死を迎えることになる、と言っていいものか。
 選びようもなく、選ばれたかの如く、すべての飾りを脱ぎ捨て、突然の中断に身を委ねる、驚きの目も悲しみの声もなく。
 26年は、電光の煌めきと化し、残された者たちは、そのキセキにただ目を奪われ、耳を劈く。
 疾走する魂は、やがて行く手を見失い、失踪する運命を予感し、受諾する。

 15の夜(珠玉のロック魂)
 僕が僕であるために
 自分に勝ち続けることは、誰にも出来ない、不可能事だ。
 弱い自分、醜い自分、ずるい自分、汚い自分、嫌味な自分、曖昧な自分…
 他人に打ち勝つことはできたとしても、自分に勝ち続けることはできない。
 勝った自分に自分が負けてしまうことは、論理的に証明できるだろうから。
 自分の弱さ、醜さ、脆さに立ち向かい、これに勝ち続けることはできない。
 じっと見つめていられないもの、太陽と己が姿

 正しいこととは、自分の真実(と思しきもの)からほんの少し目を背け、風に吹かれ、街を流離うこと。
 誰かとすれ違い、誰かに見過ごされ、誰かと出会い、誰かと別れる。
 ほんの少し優しい目をして。
 そこから、新たな景色が立ち上がって来るかも知れないから。

 尾崎の歌には、鎮魂の響きがする。
 何かしら願いを叶えようとする祈りの歌ではない。
 死を見据えた者たちだけが歌い、聞き取れる魂鎮めの歌である。
 全身を絞り、削ぎ込むその歌の魂は、汗に塗れ、苦しげに息を継ぐ。
 生きよ、生きよ、と自らを圧するものを宥め、身悶え、身を躱しつつ。
 Forget-me-not(ブルースの真骨頂か)、確かに昔よく耳にした歌のはずなのに、今、別の響きで胸に迫ってくる。
 街に埋もれそうな小さな花の名は?
 なぜか、マーチング・バンドの小さな忘れな草と聞きたがう。

 I love you、不朽の名作(バラードの王道)とでも言うしかないが、記憶の中では軋むベッドが奇妙な空虚感を孕んでいる。優しさを持ち寄ることなどおそらくできはしまいと。
 Oh my little girl(感傷、甘やかなラブソング)、どこかしらモータウンの匂い、乾いた排気音と少し鼻をつくガソリンの臭気が漂う。

 愛は、おらび、おののき、やがて、踊り疲れ、惜しまれる、なぜか与えもせず、惜しんだおのれの愛を、惜しみなく失うことを畏れて。
 再び目覚めよと声がする。その声は、冬の山彦のように力なく転々として消える。

 尾崎豊の代表作は、おそらく最初期の「15の夜」と早過ぎた晩年を予感させる「I love you」だろうが、生涯の傑作と言って憚らないのは、「Forget-me-not」に落ち着く。
 庭に勿忘草を見つけたとき、たぶん、母が植えたのだろうが、つよく心が喜びに掴まれた。
 母が亡くなり、何年かして、庭の草むしりをしている時に、不覚にも根こそぎにしてしまい、ひどく落胆した思い出が、鮮やかに甦ることがある。
 つらいような、甘いふんわりとした仕打ちのような、悲しみの断片がそこにある。
 人生のぼんやりとした輪郭を辿り、未完のままに終わるであろう何か、それとは知らぬまま、それを見つけるために、そこに見出されるであろうことを、思うともなく心ひそかに願いながら。

 早熟とは、負い目であり、誉れでもある。
 彼が盗んだものは、彼の余生と呼ばれるものだったのか。
 いくら惜しんでも、帰らないものは、いくら待っても、返らない。
 家族から盗んだバイクなど、謂わば、返しそびれた他人からの借り物でしかない。

 尾崎豊は、歌を聞くたびに、どこかしら傷つくことで癒される、まるで堕ちたイカロスのように。
 あるいは、怒れる神々を見事に欺いた償い、死を拒み、生きることを望んだその代償であるシジフォスの苦役の岩のごとく。
 何度も、何度も挑み、傷つき、その度に癒され、再び立ち上がり、その翼を広げ、確かな声にする。
「さあ、前に進もう、生きてゆこう」と。
 稀有な存在だ。


遅ればせながらの追記

 ポリーニの逝去を知る、3月23日没、81歳。
 わたしの青春は、ポリーニのエチュード(1972年)で覚醒し、グールドのゴルドベルク変奏曲で終焉を迎えた。
 もし、ポリーニと出会っていなければ、あのOpus10の煌めき、輝き、怜悧さ、硬質さ、剛性(=豪奢、魂の豪勢さに通ずる何者かであった)と絢爛(まるで魔鏡のようにこの世界にひそむ美のありかを映し、優しく抉り取る)が同時に生成する場に立ち合わなければ、この世界を諦念(退避、離散)の目でしか眺められなかっただろうから。
 人生は生きるに価する何者かであることに疑う余地を奪ってくれたもの、圧倒的な、強靭かつ繊細、清澄で明晰、まがうことなき永遠性を帯びた、完璧なタッチでそれを示し、託してくれたもの、それが彼のエチュードだった。
 夜毎、繰り返し聴いたあの演奏は、いつまで経っても形を崩さず、朽ちてはいない。
 この心のどこかしら、鳴り響き、熄まない。
 2階からコンポを下ろし、久しぶりにCDを流す。
 感無量、無聊を託つ身には、一粒一粒が沁みてくる。


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