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物欲よ、再び

先日夏休みをもらったときに自分の物欲のなさを再認識した。ただし単純に物欲がなくなったのではなく、無職ゆえに「自分は欲しがってはいけない身分だ」と物欲を抑えつけていることを察した。

さて、あれから私は就職活動をしていた。
求職希望かつ年度途中という厳しい条件のなか、ダメ元で保育園の申込をしたらなんと市内の認可保育所に入れたのだ。これはかつて住んでいた横浜市ならまず不可能だったであろう。地方の良さはこういうところにある。ありがたく享受したい。

※ただし実際は一度落ちていて、希望より1ヶ月遅れて入所が決定した。ちゃんと保活必要です。舐めプ要注意!

慣らし保育が順調に進み、午後にお迎えに行けるようになったタイミングで面接を何件か受けた。有り難いことに私を雇ってくれるという企業があるではないか!
なかには初めての面接のその場で「ぜひ来てほしい」と温かい言葉をくださった会社もあった。冷静を装ったが飛び上がるほど嬉しかった。面接を終えて車に戻り、少し走らせながら意味不明なことを叫んで喜んだのはここだけの話である。

家族以外の誰かに必要とされる喜び、社会人として「ここにいていいんだ」という安堵感など色々な感情が混ざった。一時はアプリ落ち(履歴書も送っていないのにお祈りメールが届いた)も経験して落ち込んだが、なんとか無職は脱出できそうだとホッとした。

そして2、3ヶ月後には自分にも収入がありそうだと認識した途端、抑えていた物欲がムクムク顔を出してきた。現金なものだ。
無職は何年かやってみたが、性に合わないというのがわかった。誰かのために働きたい!という殊勝な意味ではなく、節約とか我慢が向いていないのだ。収入がないから買うのを我慢するより、面倒だけども働いて買いたいものを買いたいという俗なものである。

ただし私の物欲はかわいいのだ。
例えば、カルディで気になっていたアレを買ってみたい。ドラッグストアで柔軟剤を順番に試してベストを決めたい。ミスドにいく頻度を少しアップしたい。
ブランド品がほしいとか円安だけど海外にいきたいとかそういうことは望んでいない。単価にすると1,000円とか2,000円くらいの内容だが、こういったささやかな願望ですら無職にはハードルが高かったのだ。

またこうして少しずつ物欲を掘り起こし、自我を取り戻そう。そう決意し、1年ぶりの労働にビビっている自分を励ました。
もし働くことを迷っているママさんや主婦さんがいたら一度働いてみてほしい。きっと自分の欲が出てくるから。そのときは一緒にカルディに行こう!

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