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梅雨

梅雨の時期が最近終わった。今の逃げ場のない暑さもたいがいだが、嫌な時期だった。しんどいし、頭も痛いし、体もだるくなりやる気がなくなる。ボーっとしていたいが、毎日慌ただしいので、全然余裕はない。

大阪市の住吉区(住吉大社や長居競技場などがある)というところで、大学卒業後は8年間くらいフリーターをしていた。バンドをガッツリするためだったが、マイペースなので時間は沢山あった。家で映画を見たり、CDを聴いたりするだけの一日もあったが、今はない。

その時の休みの日の流れは、コンビニのアルバイトから9時前くらいには帰ってくる→音楽聴きながら酒を飲む→夕方くらいまで寝る→起床→銭湯に行く、ついでにDVDも借りてくる→帰宅→夕飯で廃棄の弁当を食べる→DVDで映画見たり、漫画読んだりゴロゴロ→朝方に就寝、みたいな生活だった

これで雨が降ると、家から一歩も出なくなるので、本当にぐうたら人間になってしまう。でも本当に体が調子悪くなってしまうので仕方ない。(仕方ないのだろうか?)

でも、こういったぐうたらな一日も、トータルの人生の中では大切な一日だったんだろうなとは思う。結婚し子供が生まれた現在の僕にはこんな生活は不可能だからだ。

雨の音だけ聞くのもをかし、鼻歌でも口ずさむのもをかし、1人を満喫するのもをかし、カップラーメンを食べるのもをかし、女の子にモテモテになる妄想をするのもをかし、くだらない退屈をどうやって、をかし(趣深い)なこと変えられるかで、糞尿地獄みたいな人生も、イルカが泳ぐ南太平洋のように、きらきら輝きだすのではないだろうか。

古典文学でもある通り、大昔から日本人はどうでもいいことに「をかし」と言って、感動して喜んできた。忘れてはならないと思う。

生産性やお金のことばかり考えて、働くだけの生活など味気ない、無駄な時間やものがなければ、ロボットのようだ。AIの活用も増えてきているので、ロボットみたいなことはロボットにやらせたらいいのだ。人間は人間らしくいたいものである。でもなかなか難しいので、悪あがきをしてしまう。

とにかく梅雨の時期はダラダラ、ゴロゴロしたい。そんなダメな自分を正当化したいくらい、今はぐったりしていて疲れている。仕事帰りの中央線、あの日の景色を思い出す。23歳だった。

あれは2007年の初夏、しつこい雨が上がった夕方頃だ。帰宅する住民で賑わう商店街を自転車で駆け抜ける。公園まで行くと、青々とした草木や芝生が爽やかで、ランニングをする人、犬の散歩をする人、将棋をする人、皆が思い思いに楽しんでいた。潮の香りがする海風が強く吹くなか、曇り空から光が差し込み、街はぼんやりとだいだい色に色づき始めた。

僕はこれからどうなるんかなあ?恋人はできるんかなあ?これから何で食べていったらええのかなあ?など、漠然とした不安はあったが、当時はゆっくりとした時間があった。ぐうたらもしていたが青春だったのだろう。

なるようになるよ。大丈夫。当時の自分と今の自分に言い聞かせる。無理なことはいくら頑張っても無理だし、うまくいくことは何となくでもうまくいくのだ。風に吹かれて流れるままに生きよう。

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