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🍋🍯本編 第二章 空の色は美しい (1)

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初めてお越しの方は、下記の記事をご一読ください。

※注
・当話において、ミエルの過去の記憶に伴う、心身の不調が出ています。心身の健康に難を抱えている方、または強い不安を抱えている方の購読は推奨しておりません。
・当話以降、ミエルの過去をレモーノに話すにつれ、ミエルの心身の不調は顕著になります。不幸な結末ではありませんが、共感の強い方は、読む環境などにご注意ください。
・読んでいる際に、心身に影響が出た場合、直ちに読むのを止めてください。



 私たちは、まず、雪を固めてレンガを作り、それを積んで、ビバークを建てることになった。持ってきたキャンプセットでは、一晩のうちに凍え死んでしまうと、レモーノは言った。私はそれでも構わなかったが、彼が故郷の今を知りたいと言ったので、森探索のための小屋を作ることに了承した。

「スフィリットは、今頃、萌の季節だ。私が君と出会った季節」
「わかる?」

 冷たい手をさすってもらいながら、私たちも随分と老いぼれたものだと思う。彼に“手”という言葉を教えたとき、それは傷だらけだったが、若さと美しさの熱に満ちていた。今では肉も力も落ち、皺とシミだらけで、微かな温もりを分け合えるのも、あと何日だろうという気色だ。

「これは、カレンダー。ここのボタンを押すと、一日を数える道具なんだ。スフィリットは、三十日で一ヶ月、十ヶ月と十日くらいで一年を数える」
「十日くらい? 三百十日ではない?」
「季節は六つ、萌、春、夏、秋、冬、眠。二か月で一季節なんだけど、眠の季節は少し長くとる。タンポポの花が咲いたら、眠の季節の終わり、萌の季節の始まりだけど、タンポポが咲く日は、いつも同じではない」
「そうだね。確かに、あの日は、タンポポが咲いていた。私は、ミエルに似た、あの花の名前を聞こうとしたら、君は、もう萌の季節かあ、と言った」
「あれ、そういう意味だったの? 間違えて覚えちゃってた?」
「間違いではない。タンポポも、“ミエルに似ているなあ”も、“もう萌の季節かあ”も、あの花を見て考える言葉だろうから」
「ふふ、なんとも君らしい考えだ。私も、あの日、レモーノはタンポポに似ていると思ったよ」
「黄色だから?」
「まだ秘密。明日教えるから、今夜はあの日のことを少し思い出して」
「わかった。明日必ず教えてほしい」

 新緑の色をした目にこもる鋭さは、衰えを知らないのだな、と思った。


第二章 空の色は美しい


 待ちに待った金曜日、僕はカフェへと急いだ。レモーノは仕事中で、カフェの店員から伝票らしき紙を受け取っていた。彼は公園の時計を見た後、台車を押して、足早にカフェを離れてしまう。
 そういえば、レモーノと会う時間を決めていなかった。 

「レモーノ!」 

 慌てて追いかけて、声をかける。足を止めて振り向いたレモーノの顔が、微かに緩んだ。

「こんにちは、ミエル」
「朝だから、おはようでもいい。おはよう、レモーノ」
「おはよう、ミエル」

  そう言ってから、かなり早く着いてしまったことに気付く。会いたくて辛抱ならなかったことが、行動に出てしまったようで、内心恥ずかしくなる。

「言葉、ほしい……言葉ほしいの言葉」
「言葉ほしいの、言葉?」
「はい。知らない名前を知るがほしい」
「僕の? これの?」
「これの名前」

  レモーノの意識は、羞恥に駆られる僕を置いて、とっくに次に進んでいる。言葉や名前を聞く質問文を知りたいようだ。

「これは、何ですか?」
「これはなんですか」
「これは、台車です。でも、僕相手のときは、“これは何?”でもいいよ」
「これはなに」
「台車」 

 教えるのが僕でいいのか、改めて不安が過る。所持金や稼ぎはあるようだから、いずれは語学学校に通うなり、テキストを購入するなりできるはずだ。
 この街に何があるかわかって、お金のやりとりをするくらいの言語能力が身に付けば、僕が教える必要はなくなるだろうか。サラのように、自分のやりたいことを追って、遥か遠くの地に飛び立ってしまうだろうか。 

「これは何?」
「時計」
「とけい。とけいを使う、知る、できる、これは何?」
「時間。時計を、使うと、時間を、知ることができる。時計は、時間を、知るのに、使う。わかる?」
「わかる。これは、時計。これを使うと、時間を知ることができる。ボクは、ミエルと会う時間、知らない、困る」 

 レモーノの意識は、とっくに先に進んでいると思ったが、時間を気にしていたことは同じだったようだ。なんだか安心してしまう。これが親近感というものだろうか。むしろ来るともわからない未来に意識を飛ばしていたのは、僕の方か。眼鏡を覆う前髪を少し横に流して、彼の顔を見ると、視線は真っ直ぐに僕に向けられていた。

「ミエル?」
「ごめん、えっと、考え事をしてた。確かに、金曜日に会うとしか、決めなかったね。レモーノは、ミエルと、会う時間を、知らなくて、困った」
「ボクは、キミと会う時間を知らなくて困った。キミに会う、できる、嬉しい」
「僕も、君に、また会えて、嬉しいよ」

  そう告げる僕の声は、微かに震えていた。君に会えて嬉しいなんて、初めて言った。レモーノは何も言わずに、僕の方をじっと見る。彼はそのまま僕の足先までを眺め、周りをきょろきょろと見回すと、意味のわからない言葉を一言告げて、腕を組んだ。

「えっと……ボクは、台車とこの紙を……たくさん歩く……」
「レモーノは、今から、台車と伝票を、お店に、届ける?」
「はい。ボクは、いまから台車とでんぴょうをおみせにとどける。キミは……」 

 レモーノの視線がふとカフェの方に向いた後、困ったような顔をする。

『カフェは、暫く開かないか。でも、ミエルは顔色が悪いしな――ジルバノに頼めばいいか』
「何?」
「カフェの人……ボクは知るの人……ミエルはカフェにいる、できる……」
「あの、僕も君と一緒に行ってもいい?」
「えっと……お肉のお店は、たくさん歩く。キミはカフェにいる……」
「大丈夫。ここで待っているより、一緒に行った方が、君とたくさん話せるから、僕は君と一緒に行きたい」
「嬉しい」 

 穏やかな低い声が紡ぐ、その淡白な“嬉しい”が心地好かった。

「ミエルは、本とこれを台車に乗せる」
「これは、鞄。その方が楽だね。ありがとう」 

 レモーノは首からストールを外すと、白い箱の上に敷いて、僕の鞄と本を包んだ。白い箱を固定していた紐で、その包みも一緒に台車に括りつける。

「一緒に行く、できる?」
「うん、できる、一緒に行こう」

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