拒絶の傷と母娘と癌
仲間はずれにされても
ニコニコニコ
いじめられても
ニコニコニコ
詐欺にあっても
ニコニコニコ
癌になっても
ニコニコ
私が今できることは
これだけ
そして皆が
私を拒絶すると
考えるのをやめること
私の家族
先日、70代になる母がぽろりと吐いた。
「こんな家族だって知っていたなら結婚なんてしなかった」
「今さら何を言っているのだろう」と思うが話を聞いた。
数年前、父がボケてかつ双極性障害になった。
その時、父は自分の母親(私の祖母)に対する恨みつらみを噴出させた。
「子どもの頃にあんなことをされた!母親のせいで、本当にやりたいことができなかった!」と喚いた。
その時のことを掘り返しては、母は 「70代になって、やっと本音を晒すなんて」と、この家に嫁いだことを嘆いた。無理もない。母もその時になって初めて父の本音を初めて聞いたのだ。
言葉の中には、
「よくもまぁ!」という怒り、「父や祖母がこんな人間じゃなければ!」という憎しみ。「あの決断しなければよかった!」という後悔、「なんて自分は不幸なんだ」と嘆く自己憐憫が含まれる。
私の家族は、一言でいえば空気の循環ができていないような家だった。思えば、父と会話をした記憶が一度もない。父は家族に背を向けたまま食事をするような人だった。だからといってテレビが面白くて夢中な訳でもない。ただすべての物ごとに無関心。
一方、母は子どもがして欲しくないようなことばかりした。日記を覗き読んだり、その内容を親戚じゅうに話したり、子ども同士の遊び場に付いてきたり、どこか過剰な人だった。エネルギーが一向に通い合わない家で、目をつむりながら子育てをしていたのだろうと察する。
その上、父と祖母が会話しているのを見たことがなかった。子どもの頃、ひとつ屋根に暮らしながら、私たちは気がつかなかった。「家族ってこういうもの」だと思っていた。母は「変な親子」と思っていたらしい。朝から晩まで茶の間のテレビはつきっぱなしで、今思えば大人たちは、テレビの音で何かをうやむやにしていた。
団塊世代にありがちだが、父は「自分は母から愛してなんかもらえなかったから、自分の子どもにもそうする」の典型、はっきり言ってあれはネグレクトだったと思う。それでも私は「ウチは普通」だと思い続けた。そう信じたかったのだろう。
私は、子どもの頃から今に至っても、原因不明の病気にばかりなった。家族が何かをごまかすように、私も、絶望をごまかしていた。
大人になっても、父の日には靴下を、母の日にハンドクリームを贈ったりした。時にまともな家族風の体裁だけを守っているように思えた。
母も、だいぶ今さらながら嘆いたところで、自己責任論で丸めこまれそうなことだから、ずっと誰にも言えずにいたのだろう。母の中に何か信仰があれば、神さまがいればまだマシだったかもしれない、とさえ思う。半ば諦めながら、クイックルワイパーで目の前の埃を拾い続ける母。病院の先生の言うことだけは従順に何でも信じてしまう母。そんな風でなければ、母も生きられなかった。それが母の生存戦略だったのかもしれない。
私も
いつまでも誰かをうらんで心を閉じる、
父と同じなのだ
騙されたと嘆きながら本人とは向き合わない、
母と同じなのだ
自分はあまりに可哀想と、
母を攻撃し続ける姉と同じなのだ
皆総じて『人の気持ちを尊重しない人たち』だった
それは自分を大切にしないも同義
そんなだから病気になるんだよ!
きっと「家族」は、たわいもない会話だけで支え合えるものだろう。そんな家族に私も会ってみたいものだ。
ところで、宇佐見りんさんの『くるまの娘』
すごくよく出来た、機能不全家族を描いた小説だった。圧倒された。同じところをぐるぐる廻るメリーゴーランドは家族のサークルを暗喩しているのかな。
みんな「うちの家族は大丈夫」って思いたい。
だけどそうじゃないのよね。
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