「 栄養をくれる人 」人生に問い×小説
小説の断片
記憶の断片
すべてをつなぎあわせていく
それがわたしにとっては文章を編むということだ
▼ 後編
https://note.com/lemon_osa/n/n2d63b04f3041
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いい人生を歩みたい
そう思ってずっと生きてきた。
だけど、そううまくは行かなかった___
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20歳の夜、君は突然にあらわれた。
ある時から突然に。
グレー色の空が濁っていたあの煌びやかな建物の13階で、私たちは出会った。名古屋城がみえるあの場所で、私たちは一瞬交わったのだった。
わたしはふつうに夢を持つ20歳の女の子だった。女性というよりも女というよりも頼りないただの女の子だった。
____パン屋さんになりたい、お店屋さんを開きたいそんなゆるくほかほかした夢のために、就職活動をした。大学の講堂の中、パソコンをカチカチと叩き、良さげな会社名を探していた。できるだけ遠くに行きたかった気がする。寮があり、洗練された場所で、料理を学び、技術を身につけ、店を開き、かわいいパンや料理を売り、おしゃれな店を作る。
そんな淡く柔らかな希望を抱き、「行けばなる、なんとかなるさ」と根拠のない自信がなんとなくいい生活をしていた自分を奮い立たせていた。
大学はいいところだった。自然があり、緑に囲まれ、厳しく管理しすぎない大学の授業はとても充実していた。出席してもしなくても自分の責任で、自由で誰かに咎められることもなく、済んだ。
アルバイトもしていた、幾つも。
幾つもアルバイトをしていたけれど、
だけどわたしは、本当の社会を知らなかった。
大半の時間を大学で過ごし、わずかな2~3時間をバイトで過ごした。時間をがんばって捻出していたとは思う。真剣に取り組まなかったことなんてないし、怒られた経験もいびられた経験も普通にはあった。
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だけど、それは数時間すれば離れることができ、休むことも自由で、本業は学業で、サブのサブでやっていたことだから何も感じなかった。そこまでの思い入れもなければ、働いてお金がもらえて、なんかいいことをしている気分になれて、人の役に立って、愛想笑いくらいなら全然苦じゃなかった。
だって、これはわたしの本業ではないから。
適当にすることができた。
とても良い居場所だったと、今なら思える。
夢なんて、持てばいいものだった。おしゃれと一緒で、アクセサリーと同じだった。飾りだった。
きれいな繊細なアクセサリーを持つことで、とてもすてきなことをしているんだと思うことができた。純粋さをもつ者ならばみなそうであるように、迷わず「じぶんのすすむみち」を決めることができた。
道しるべを持っていれば迷うこともなく
容易に決めることができた。___
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本当の社会を知ったのは、いつだったか。
わたしはなかなか、夢から抜けだせなかった。
人はみな優しいし、ほんとうのことは話せばわかると思っていたし、誰にでも優しく、尊く、気高くいたいと思っていた。真摯に向き合えば必ず大丈夫だという信念をわたしは決して曲げなかった。「みんないいひとなんだ」そういう時間が長かった。
そんな気がするのだ。
理想という夢だ。
このとき、わたしの理想はかなり強固で頑丈だった。強固さは実際、わたしを長く苦しめ壊すことにつながってしまう___
正直それゆえ残酷さもあるが、「みんないいひとなんだ」というその信念のすべてを自分自身で受け止め、貫いたことには誇りすらも感じる。
愛すべき時間であったことには決して変わりはない。
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実際に社会に出て、知ったことは
”社会は厳しい”というようなそんな単純なものではなく、
社会はなめられたらおしまい、上に立つ者を立てる、意見はほとんど通らないし異論は邪魔なだけ___
みんなの輪を乱す者は「排除」という風潮があることだった。
___結局誰かが苦しんでいても、見て見ぬふりをする人が仕事を続けていくことができた。わたしが見たのは、殆どたったそれだけだった。
殆どの人は信念なんて貫こうとはしない、仕事の場ではそれをひた隠しにして”上手に”ふるまうことが生きていく術だしすばらしいことだった。ほめたりマメにプレゼントをしたり、特別なことをして会社や組織に受け入れてもらうための努力をする。
でも、蚊帳の外に追いやられるように”誰か”は固唾をのんで「早く時間が過ぎろ」と願っている。
___わたしはそんな景色を、たくさん見て、知ってしまった。
よくあることだった。
わたしは奔走した。どうしたら”みんながよく”いられるのかを、考え、実行に移せそうなことは実行に移した。言葉をもって人をなだめ人に共感しすべてのことがうまくいけばいいのにと願った。
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どうしてもっとみんなで力を出し合わないんだろう、
どうしてみんなで進めないんだろう
わたしの思いはずっと変わらなかった。
わたしは、ただパン屋さんになりたかった。それだけだった。
わたしは、夢のためにがんばりたいだけだった。
だれかと一緒に
___でも、社会で会った人はみんな「機械みたいに正確で親切で分かりやすくて、立場をわきまえてつつましく生きていくこと」を望むばかりだった。
求められたことをし、求められないことは、しない。
求められることが善で、求められないことは悪。
立場をわきまえない奴は悪で、わきまえてる奴は善。
可愛がられることは善で、可愛がられないことは悪。
そんな(求められない)ことをする前に、やることがあるだろう、と
そんな社会は、同調圧力となって、やさしいわたしたちを包んだ。
だれかの壊れそうなこころを押しつけて、隅に追いやって、そしてのけ者にした。
___やさしいわたしたちは、いつも無力だった。
なにもしらないで、ニコニコして、たのしいことを生み出そうと必死だったわたしたちに対して、そぐわないやり方で、まるでいなかったかのようにふるまい殺そうとした。それが社会の権力だとしても、わたしはそれを許すことはできなかった。
ただ苦しかった。そして悲しかったんだと思う。
わたしは、その場所から逃げることにした。(省略)
結果的に、わたしは「誰のことも知りたくない」と思い至った。
誰かが言う愚痴も、不満も、性格も、会社の内情も、人間関係も、全部なんか訳が分からなかった。
結局わたしは、人もしがらみも何も関係なく、ただ学びたかっただけだった。ただ知りたかった。だれかを喜ばせる方法を、だれかを笑顔にできる方法を、だれかと喜びを分かち合うことをしたかった、知りたかっただけだった。
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わたしは、20歳のあの日々を思い出したのだった。
人が優しかった記憶はそれが一番鮮明だった。
一人だけいたのだ、こっち側に来てくれた人が___
わたしは結局、20歳で名古屋の職場をやめた。
唐突に朝、お父さんに電話をしてから(ちゃんと冷静になって?)、その朝のうちに店長にやめたいといった。わたしの気持ちはもうずっと固まっていた。店長は急で驚いていた。少数の人に仕事の相談はしていたけれど、やめるということは誰にも相談しなかった。
まあ、その前にいろいろな経緯があってこれは違うと分かり、もうすでに絶望していたからすんなり出た決断だった。
でもまあ、みんな結局優しかった。一人暮らしのわたしにはいろいろなことがあたたかく感じた。カラオケ、居酒屋、カフェでの話など、職場の人はふつうにいいひとだった。だけど、それはそれなのだ。
そんな中、ひとりだけ面白いことに連れ出してくれる人がいた。
かつ丼屋さんで鳴る♪ピンポンが面白いよだとか、紅葉が有名だよとかイルミネーションが凄いよとか、この音楽がいいよとか、課題やらなきゃとか…その人とは日常の何てことのない会話をした。
そして、全ての引っ越し作業を済ませ、新幹線でお別れするとき、わざわざホーム内まで来て、さいごまで見送ってくれた。その人は引くくらい号泣していた。わたしは驚いたけれど、あの光景がわすれられない。
鮮明に覚えている。
お別れがさみしくて、
こころのあるお別れをしてくれた。
あの時間がとてもすきだった。
その人とわたしは何かを一緒にすることができた。
ある時から突然現れた君に、わたしは何を見ていたのか。
もう一度ふれるべきだと思った。
だれかと何かを為したかった。
人生をどう生きるのかを知り、本当に知りたいことを学びたい。
だれかを追いやるのではなく、たいせつにしたい。たいせつにされたい。
それは尊重したいということ。
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わすれられない感情がある。たとえ、物理的にはわすれてしまったとしても、かならず残っているものがある。だって人間だから。
わすれられない感情は、覚えている。
ほんとうに求めているものを知っている。
これからどうやって歩むのか考えなくてはならない。
みんなと付き合っていてはわたしの人生は信念は、どうしても薄まっていってしまう。
「みんないいひとなんだ」という思いは表面に出さずに
「みんなとなかよく」から、人を選ばなくてはならない地点に来た。
「みんないいひとなんだ」とするには、人は多様過ぎる。
人はそれぞれの幸せを持ち、ひとりひとり違い、その人の方向がある。
わたしは彼のような人と出会わなくてはならない。
そして、稀有な人と出会わなくてはならない。
わたしにとって_____
(2021.10.30)
lemon
後編
( ῀ᢦ῀ )..