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平然と暴力があるじゃないですか、この日常。

そうか
そうだったのか
子どもの頃、家族の不協和音がきこえたのと似たような何かが今もそこに存在している。


だれかの声が叫ぶ
「ぼくは正しいのだ」と
そしてこうも言う
「だからぼくの声は価値がある」と。

誰も彼もがこぞって手に入れたいもののように「正しさ」正義を叫ぶ。

ひとりひとりの声を聞かずに大きな声を出して、全部正しいみたいに、全部なかったことにしている。なんか学校みたいだ。

正しければ、褒められる。
貶されることは無いから。
行き過ぎた正しさを見る度に、「教育のたまもの」なんだなと感じる。

信じてやまない正義をもつ、
そういう人が誰かに牙を向ける。

何度となく見た場面だ。
あなたは正しくないと言わんばかりに。

しかしながら
それぞれの人にそれぞれの楽しみ方があるのに、それを「こう楽しみなさい」というのはどうなのだろうか

楽しみ方のちがいがあることを分かっていない。出過ぎたことを平然と言ってしまう人は確かに存在する。野暮だなとは思わないのだろうか…

自分の正しさのために、誰かを傷つけて良いのだろうか?

良くない。

押し付けて、決め付けていいのだろうか?

良くない。

そういうことを分かっているか分かっていないかは、とても重要なことのように思う

こちらに尊重する気持ちがあったとしても、片一方がその調子ならその関係は決してつづかないだろう。

たとえ本人が君を尊重するよと表面上は言ったとしても、それは実行されていなければ意味が無い。

自分の正しさを人に押し付ける、
それはもはや暴力ではないか。

そういう場面に出会うたび、人の見る目を養っている。

つまり、正しさという暴言を吐き出している。排泄行為をさ、公共の場でしている?

思わずもきらいという言葉が出てしまっているくらい、嫌悪している様子。
きらいなものは、きらいと言えばいい

不毛な争いはやめよう。
分かっていることを誇示しなくてもよい

関係性を築くかどうかは、こちらの判断でよい。

前提からやりなおしです。
お守りをするのは、我が子で充分。
お店の在庫足りてるのでもう要りません。

情緒をわたしの個性として、ぶつけない。
ご自身で対処ください。
それは"暴力"です。望んでいないので。

痛いので、遠慮します。
望んでいないので。

向き合う、話し合う、話を聞く
どれも通用しない関係性はつづけてはならない。
そういう法律があります。(我が家)

しきたりなもので…  ^^

これは決定事項ですので…

法律違反したら、契約は打ち切りです。
それがこの国の常識、あたりまえです。

万引きは御遠慮ください。
お客は、お店側も選べます。

( ῀ᢦ῀ )..