短編小説:星降る夜に

――早くしないと。僕達には時間がないんだ!

 そう言って亮君は背を向けて走り出してしまった……。

「彩さん。準備は出来た?」

「えぇ」

 私達は部屋をでる。白を基調とした階段を降り、心がホッとする笑顔を向けてくれるオーナーに会釈をして、宿をでる。


「誠さん。早く早く」

「彩さん、走ると危ないよ」

 誠さんは子供のようにはしゃいで急かす私を宥めるように言いながら、速足でついてきてくれる。


 五つ歳の離れた愛する旦那様は、結婚して八年と言う月日が立てども、優しさとあたたかさに変わりはない。むしろ、年々穏やかさも増して平穏な幸福に包まれていた。


「だって、早くしないと星が逃げてしまうわ」


「逃げないよ。今日は流星群が夜が明けるまで流れ続ける。って言っていただろう?」


「それはそうだけど……。一つの星も逃したくないのよ」

 そう言うと、誠さんは微苦笑を浮かべた。


「呆れてる?」

 そんな誠さんの姿に、流石にもうすぐ四十になろうとする大人が子供過ぎる言動をしてしまったかと、肩を落とす。


「いや、呆れてはない。愛おしいとは思ってるよ」

 そう言って優しく頭を撫でてポンポンとする誠さん。なんて平和なのだろう。


「お世辞を言っても何もあげませんよ?」

 照れくさい気持ちを隠すように冗談で返す。


「お世辞じゃな――ぁ!」

 誠さんの言葉が途切れる。誠さんが人差し指で空を差す。
私はゆっくりと空を見上げた。

 そこには、数えきれないほどの星々が流れ続けていた。


 まさに、星降る夜。というには相応しい光景だ。


 夜風が私の髪を躍らせる。

 山奥の冷たい空気が私の肌を冷やす。


 コオロギのオーケストラが音を奏で、都会とは比べ物にならないほど澄んだ空気が私の鼻腔を擽る。


「祈ろう?」

 誠さんはそっと私の手に自分の手を絡ませた。

 私はその大きくて優しい手を握り返す。


「そうね」
 私達は願う。

 命が宿ると言われている星々の一つが、私達にも届きますようにと。


 その日から一年後。

 私達の元に待ち望んでいた新しい命が誕生してくれた。

**

一七年後――。


「亮君? こんな時間にどこに行く気なの?」

 十七歳になった愛しい我が子は真夜中にも関わらず、家を出ようとしていた。


 息子はけして不良になったわけではない。

 親馬鹿ではないが、とても優しく思いやりのあるいい子に育っているのだ。


「お母さん。僕、行かなきゃいけないんだ」

「行くってどこへ?」

 私が不安げに問うていると、寝室から出てきた誠さんが私達に駆け寄ってくる。


「二人共、どうしたんだ?」

「お父さん……」

 誠さんの顔を見るなり、亮君は悲し気に顔を歪めた。一体、何を隠しているのだろう?


「亮? 何処かへ行くのか? 今何時だと思ってるんだ?」

 誠さんは咎めるように問う。


「二〇二〇年八月十二日。現在の時刻、二十二時」


「よく分かってるじゃないか。用事があるなら明日にしなさい。何か買う必要性があるなら、父さんが買ってくるから」


「明日じゃダメなんだ。手遅れなんだよッ」

 亮君は苦痛に顔を歪めて叫び、家を飛び出す。


「亮ッ‼ 待ちなさいッ!」

 誠さんは走って追いかける。私も慌てて後を追った。


 誠さんはすぐに亮君を捕まえた。亮君を行かせまいと二の腕をがしりと掴んでいる。


「お父さん、お母さん。お願いだから、僕を行かせて。時間がないんだ。早くしないと、手遅れになってしまう」

 亮君は涙声で訴える。


「亮君? 一体、何が手遅れなの?」

 私の声が不安で震える。


「そうだ。訳を言いなさい」

「僕の言うこと、信じてくれる? 訳を行ったら僕を行かせてくれるの?」

 亮君は不安に揺れる瞳で誠さんを見る。


「場合による」

「それじゃ困るよ」

 亮君は誠さんの答えに眉根を寄せる。


「取り合えず、訳を話してみなさい」

「……僕は、星の子なんだ」


「は?」

「へ?」

 私達の素っ頓狂な声が重なる。一体この子は何を言い出すのだろう?
「僕は星の子。あの日の星降る夜、お母さん達が僕がこの世に生まれ落ちることを願ってくれたから、僕は生れ落ちたんだよ」


「亮君? 何を言っているの?」

 私は怪訝な顔で息子に問う。

 頭でも可笑しくなってしまったのだろうか? 可笑しくなったのは私だろうか? 息子の言葉を理解したいのに理解できない。


「お父さん、お母さん、僕をこの世に、二人の元に迎え入れてくれてありがとう。今まで大切に育ててくれてありがとう。今まで守ってくれてありがとう。僕は、お母さんとお父さんの優しくてあったかい笑顔が大好きです」

 亮君は言葉を大切に紡ぎ出すように言った。その瞳は涙で滲んでいる。


「亮? どうしたんだ? そんな、最後の別れみたいな言葉……」

 誠さんの瞳が不安と戸惑いで揺れ動く。


「だって最後だから。僕は星の子。特別な力を持って生まれた子供。だから、助けないと」

 亮君は苦悩を押し込めるように両拳を握りしめる。


「助けるって誰をッ!?」

 誠さんの口調が焦りから少し強くなる。


「お父さんとお母さんを。そして、僕達の仲間を。この地球を」

「い、意味が分からない」
 誠さんは首を振る。私は言葉が出てこない。

「今日はペルセウス座流星群が流れるんだ。その時間が二十三時頃。今から高台に僕達の仲間が集まる。僕達の仲間を助けるために」

「?」
 訝し気な顔する誠さんに亮君が話を続けた。

「稀なんだけど。地球が出会い舞い降りる星の子達の中に、上手く舞い降りれず命を落としてしまうことがあるんだ。その魂を失いクレーターとなって星は地球に舞い落ちる。


 幅1キロメートル以上もあるクレーターも、上手く舞い降りれなかった星の子だよ。そして今日、その星の子がいる。その星の子は僕たちの住む町に落ちてくるんだ。


 だから僕たち星の子達が、命をかけてその星の子の魂を呼び起こし、軌道を変える。そしたら、この町に魂のない星の子が落ちることはない」

 亮君は淀みなく、淡々と話し終えると一つ息を吐く。


「亮、悪い冗談はよしてくれないか?」

「これが冗談を言っている顔に見える?」

 微苦笑浮かべた亮君は至極真剣な眼差しで私達を見つめる。とても冗談を言っているように見えない。


「本当……なの?」

「そうだよ。僕が言っていることは全て本当。信じてくれる?」

 私は何も答えることが出来ない。


「百歩譲って亮の話を信じよう。だが、一人で行かせない。俺達も連れて行ってくれないか? 今車の鍵を持ってくるから。絶対に一人で行くな。彩さん……」

 誠さんは私に目配せをする。

 私は誠さんの意志を汲み取り、誠さんが掴んでいた亮君の二の腕に自分の腕を巻き着かせた。是が非でも一人で行かせることなど出来ない。

「彩さん、頼むな」
 誠さんは私達に背を向け、走って家に戻った。

「二人共……そんな必死にならないでよ。別れが辛くなる」
「別れとか言わないでッ」
 私は涙声で叫ぶ。

「貴方は私達の大切な大切な子供なの。星の子か何かなんて関係ない! 貴方は私達の愛おしい子供なの。だからずっと傍にいてよ」
 私は狂ったように叫ぶ。

 結婚してから八年目。
 やっと私達の元にやってきてくれた愛おしい子なのだ。
 人はいずれお別れする日がくる。
 だけど、こんなに早いなんて、しかも意味の分からない別れ方などありえない。

「母さん……ッ」
 亮君は言葉をつまらせる。

「彩さん! 亮! 乗ってッ」
 愛車のKワゴンを私達の傍で止めた誠さんが、運転席の窓から顔を出して言う。

「亮君は助手席に乗って道を案内してちょうだい」
 私は真摯に亮君を見つめた。絶対に一人で行かせない。その気持ちが伝わったのか亮君は静かに頷く。

「分かった」
 亮君が助手席に乗り込みシートベルトをしたことを確認した私も、誠さんの後ろの席へと乗り込んだ。

「亮、場所を」

「東京都の奥多摩湖まで走って」

 旧小河内小学校の近くに住んでいるため、時間は間に合いそうにも感じるが、奥多摩湖のどこかによる。間に合うのだろうか?


「奥多摩湖の何処だ?」

 誠さんはスピードを出して現地に向かう。


「小河内神社までお願い」

「分かった」

 誠さんは力強く頷いた。


 後部座席に座る私はミラー越しに、若きし頃の誠さんの面影を感じる我が子の横顔をジッと見つめる。これが別れになるなんて誰が信じられるだろう。


 ありがたいことに信号が青でスムーズに車は進む。蜂谷橋を車で渡り、神社まで車を止めた。


「二人はココで。先に行って。俺は車をパーキングに入れてくるから」

 誠さんの車は私達を下ろし元来た道を走行する。


「亮君の言っていた事、本当だったのね……」

 車を降りてすぐ私は目の前の光景に息を飲む。


 下は亮君と同じ程の年代からご老人までの人がぞろぞろと神社に向っていた。

 観測人じゃないのは、その人達から溢れ出る光からは容易にわかる。


「そうだよ。五十八人集まっているんだ」

「その人達、皆……」

「そうだよ。その五十八人の命をかけて皆を守るんだ」

 亮君は私の言えなかった言葉を汲み取って返答する。

 その瞳には覚悟を決めたような色をしていた。だけど、数分前に聞かされた現実をはいそうですか。と受け止めることはできない。失う覚悟もない私は亮君の右手を両手で握る。



「……亮君も行かないと行けないの? どうして貴方なの?」

「決められているから。決めたから。お母さん、手を離して。僕達には時間がないんだ」

「そんなッ」

「お母さん、空を見て」

 亮君は半ば悲鳴のような声を出す私の視線を導くかのように、人差し指を天に差した。私は天を見上げる。

 そこには、光の強い星々がもの凄い数と速さで流れていた。


「星々の流れが始まった。もう時間がない。お母さん、ごめんね」

 亮君の手が私からすり抜けてゆく。

 そして背を向け仲間の元に駆けてゆく。


「待ってッ!」

 私は慌てて後を追いかけた。

 その後ろで「彩さん!」と叫ぶ声。誠さんだ。


 私は振り向くこともせず、「亮君がッ」と叫ぶ。誠さんはそれで理解してくれたのか走るスピードを上げて私を横切る。


「俺が捕まえるから」

 誠さんはその言葉通り、仲間の元に潜っていた亮君を捕まえた。私も二人の傍に駆け寄る。その周りには私達のように別れを惜しむ人たちがたくさんいた。これが現実なのだと実感させられた瞬間だった。

「お父さん。お母さん。ごめんなさい」

 苦痛に顔を歪めた亮君が謝る。本当にごめんなさい。と何度も何度も。


「亮……」

「どうしてお前じゃないといけないんだ? まだ十七歳だぞ⁉」

 そんな息子の姿に言葉が紡げない私の気持ちを代弁するかのように、誠さんは問う。


「うん。だけど僕がこの役を下りたら、僕の代わりに七歳の女の子が緊急送還させられるんだ。そんなの耐えられない」

「なッ」

 誠さんは言葉をつまらせる。私は何も言えない。


「大丈夫だよ。星はまた振るよ。その時にはまた新しい命が産まれるんだ。もしその時が来たら願ってくれる? 僕がまた二人の元に戻ってこれるように。だって僕、二人の事が大好きなんだ。本当に本当に大好きで、出来うるなら離れたくない」

 亮君は一筋の涙を溢し、言葉をつまらせる。

 その苦痛も涙も私達に伝染する。なんて残酷なのだろうか。


「亮君ッ!」

 私は愛しい我が子に思いっきり抱き着く。

 私達を包み込むかのように、誠さんが私達を抱き寄せた。


 なんてあったかくて、なんて切ない温もりなのだろう。

「俺達は祈るよ。星が降る夜が訪れるとき何百回。何千と。亮の帰りをただただ祈り続ける。だから、戻ってきてくれ」


「亮君。約束してちょうだい? 次に星が降る夜に私達の元に戻ってくると」


「父さん……母さん……ッ!」

 亮君はポロポロと涙を溢す。


「ありがとう……二人の元に生れ落ちてきて良かったです。本当に」


「お礼を言うのはこっちのほうだ」


「そうよ。亮君、私達の元にきてくれて本当にありがとう。愛してるわ」

 愛しい我が子を抱きしめる腕に力を籠める。どうかこの止めどない愛おしさと愛が永遠に続きますようにと。


「亮。さよならは言わない。行ってらっしゃい。必ず戻ってこい」

「ありがとう……。二人共、行ってきます」

 そう言って亮君は私達の腕の中から抜け出し、仲間の元へと駆け寄る。


 神社の鳥居の右側に二十五人の人達が手を繋ぎ並ぶ。


 左側にも同じように二十五人の人達が手を繋いで天を見上げた。


 そして重なる言葉。

【我達、星の魂を受け継ぐ者達。

 魂を亡くした星に捧ぐ。

 星降る夜が過ぎ去りしとき、新たな星が生れ落ちよう】


 合唱のように唱えられた言葉が天に捧げられる。


 亮君達は強く光り輝き人の姿を失う。光の魂となり天へと旅立ってしまった。


 空を見上げると。大きく光り輝く星たちが現在流れ落ちている星々たちの後を追っていった。


「亮ッ」

 私はその場に泣き崩れた。誠さんがそっと私を抱きしめる。


「彩さん。大丈夫。亮は必ずまた僕達の元に戻ってきてくれる。信じていよう。今日と言う星降る夜に祈りを捧げよう」

 誠さんの言葉に私は何度も頷く。

 その日、夜が明けるまで私達は祈り続けた。



 その後。


 私達はテレビや新聞により、地球に向かいペルセウス座流星群の一つが大接近していたことを知る。


 その星はクレーターとなり東京の奥多摩落ちると思われたが軌道を変えた。これは奇跡としか言いようがないと、連日ニュースで伝えられた。

 その度に私は泣き崩れ、誠さんが宥めてくれる日々を幾度となく過ごす。


 奇跡の裏側で起こった真相を知っている者達は、私達と亮君の仲間達の家族しか知る由もないことだった――。

三年後――。


 星降る夜に私達の元に新しい命が生れ落ちた。

 元気な男の子だった。


「誠さん……」

 腕の中で静かに眠る我が子に微笑を浮かべる誠さんに声をかける。


「あぁ。ちゃんと戻ってきてくれたな」

「えぇ」

「「お帰り。愛しい我が子よ」」

 私達の声に答えるように、生後間もない愛しい我が子が微笑んでくれた気がした――。

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