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ファッション発達障害について考えてみた


ファッションモ~ンスタ~♪♪

皆さん!こんばんは🌙
Lemonと申します(*’▽’)

実に可愛らしいきゃりーぱみゅぱみゅさん(*’▽’)

日本を、我々世代を代表する…
まさにファッションモンスターさんなわけですが、
本日のテーマはファッションはファッションでも、「ファッション発達障害」についてです。

ちょっと前にTwitterでも話題になりましたが、こんな記事を見つけました!!
ちょっと堅めに書いてみますね笑
どうぞご覧ください!!

出典:発達障害ではない人が自称する「ファッション発達障害」とは? (ダイヤモンドオンライン)

1.ファッション発達障害ってなによ

ファッション発達障害…

この言葉を当事者が聞いてなにを思うのか…?

は?なんやそれ?
おれそんなファッションいらんし、いくら課金してもいいからこのファッション解除したいんだけど

私がこの言葉を初めて耳にした時の感想だ。

でも、そんな私も国公立大を出てクローズ就労で曲がりなりにも5年間勤めてこれたし、結婚することもできた。一見、順風満帆にも見えるかもしれないのと、肝心のADHDについてもほぼ確定的な状況とはいえ、正式な診断がおりたわけでもない。

は?なんやお前リア充か!?なんならお前こそファッションやんけ!帰れや!!

ってお思いになる当事者の方もいるかもしれない。だが、そんな私も絶望感を感じて動けなくなったことは1度や2度どころではないし、私だって私の「自分なりの苦労」を抱えてきたのである。

この記事について、色々と考えてみたのだが、この「自分なりの苦労=人それぞれの物語」という視点は、このファッション発達障害というトピックを紐解くキーワードなのではないかと考える。

当事者にとって「ファッション発達障害」って、確かに嫌悪感を抱くワードだけれど、よくよく考えてみると、ファッションな人たちにもファッションを身にまとうワケがあるのだ。

ちなみに、この記事における「ファッション発達障害」な人とは、自分自身の生きづらさを病気のせいにするべく、自分のことを発達障害であるとセルフ診断をして自己完結してしまう人のことらしい。

また、こうしたファッション発達障害な人は、「ADHDだから遅刻してもしょうがないじゃん」とか「ADHDだから提出期限破っちゃった」というふうに、発達障害を言い訳にして文句を言うわりに医療機関を受診してしっかりとして治療を行おうとはしない…とも。

2.ファッション発達障害な人の事情

やっぱりファッションやん!
こっちは真剣に悩んでいるのに、正式な診断受けてない奴が軽々しく語るな!!

そう怒りたくなる気持ちも分かるが、2ちゃんねるの創設者・ひろゆきさんはこう語る。

「ただ、僕は、彼らだって「自分を守っているんだな」と思います。仕事ができなかったり、思ったような収入を得ていない場合、自分の能力がそのまま否定されているように感じてしまうでしょう。自らの無能さに嫌気がさすと、途端に生きる価値がないような気がしてしまいます。しかし、そんなときに、「自分はADHDだから仕方ないんだ」「発達障害だからいいんだ」と、開き直ることができれば、少しだけ生きるのがラクになると思います。それって、個人にとっての生存戦略としては許されてもいいと思うんですよね。」 

出典:ひろゆきが語る「ADHD、発達障害を自称したがる人」の生存戦略(ダイヤモンドオンライン)

確かに我々は日頃から、あらゆる手立てを尽くして自分を守ろうとしている。

診断を受けた側からすると腹立たしく感じることでも、彼ら・彼女ら「ファッション発達障害」な人たちも、自分で生きづらさを感じていて、自分を守るための手段として発達障害を自称するのである。

3.当事者としてのファッションな人への向き合い方

自衛のため、生存戦略として、発達障害を自称する人たちがいる…

そう考えれば、当事者も「ファッション」な人たちのことを理解できるのではないだろうか。

「ファッション」な人たちも程度の差こそあれ、苦しんでいるのである。

周囲から、社会から理解されずに苦しんできた発達障害当事者―
診断の有無はさておき、馴染めず、苦しんでいる人を理解せずに攻撃してしまうとしたら、この世の中をさらに息苦しいものにしてしまわないだろうか。

「ファッション」という言葉がもたらすインパクトと、ちょっと軽い感じ…
ワードチョイスとして適切かどうかは判断しかねるが、自称する人が増えてきたというのはADHDやASDという診断名が世間に浸透してきたことの裏返しでもあるだろう。
そして、それは必ずしも当事者にとって悪いことではない。

発達障害が認識されてくるにつれて、国や自治体の支援メニューの拡充も期待できるし、当事者の自立や社会進出のきっかけにもなるかもしれない。

苦労が多く、人一倍苦しい思いをしてきた発達障害当事者だからこそ、
第一印象や言葉の持つインパクトだけで判断せずに、困っている人の「それぞれの物語」に対しての深い共感力を働かせることができるのではないだろうか。
また、障害を抱えながら生きていく術として身につけてきた“ライフハック”を提供することだってできるのではないか。

コロナ禍で“分断”が叫ばれる今だからこそ、
我々発達障害当事者は、分断ではなく、共感力を持って、世の中にとって価値ある働きかけをしていきたいものである。

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