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崎山蒼志「Heaven」の個人的な感想


◆私の投影


この曲は10代の頃の私をそのまんま投影しちゃってる!そう感じてびっくりしてしまいました。


この楽曲全体から受ける私個人の勝手な感想ですよ。


10代の自分が、その肝の部分みたいなのがまざまざとよみがえってきました。


自分がごつごつした岩のようで、親ともギザギザゴロゴロ噛み合わなかったあの感じ!

私ってこうなんです!って声を張り上げて言わないと消されてしまう不安。


ちゃんと語ったのに、耳に届いたのに、相手はうなづいているのに、結果なにも伝わってない憎々しさ、バカらしさ。


そんなことが頻繁に起こった。


「伝わらないなら言っても無駄だ」
「伝えたい!伝われーー!」


その両方が沸点に達して、
私は口を閉ざしたまま「◯#ガ◎!△$わ+%?ぁー」って叫んだ。


あの感じが一気によみがえりました。


それは完璧な滑舌でよどみなく発語した時より何倍も爽快で心にぴったりくる表現だった。

だからこの曲を聴いて爽快な感じと究極の表現をわかってくれる人がいた気がして、涙がでてきました。

未熟で不安だらけの中の矜持。制服の匂い。人が「なんだこいつ変なやつ」って私を見たあの目つき。


そんなことも、強くよみがえりました。


「あの目つき」は妄想だったのかもしれないけど、私はそいつに向ってこう言いました。


「え? 何言ってんの? 私こそ自分に向けて「こいつ変なやつ」って言い続けてるのに」と。おかしくてたまらず笑いながら。


◆ここをはやく通り過ぎたい

それから、風邪かなんかで母と小児科へ行ったとき。私は体育の時間に使っている白い鉢巻を巻いていきました(家でも巻いていたと思う)。


医者は「かっこいいね」といい、私は早口に「流行ってるから」と答えて自分の殻に閉じ籠った。

あのときのこともよみがえる(流行ってはいなかったけど)。


そのかかりつけ医は、小学校のとき私に「幼稚園何年生?」と聞いた医者でした。私が痩せっぽっちだったから。


みっともなくて、いかれてて、邪魔者だったあの10代から20代の私が、形而上的にこの歌と重なり合う感じがする。


あの頃たのしくてキラキラしてることもいっぱいあった。


でも自分の内側では、自分について行けず自分から逃げたくて、でもここしか居場所はなくじっと体育座りしていた。


「ここをはやく通り過ぎたい」と心底思った。


きっとだれでも思うこと。私だけかな?


その後20年ほどして「はやく通り過ぎたい」と思ったあの時期こそ、一番濃く私自身の可能性がぐらぐら煮えてた肝心なときだったのだなとわかった。


なにが?どう?肝心なのか、、、と聞かれてもうまく言えない。そもそも言えることなんかじゃないのだろう。


◆まとめ

この曲を聴くと私がぐつぐつゆらめくようにくぐり抜けてきた10代、20代がまざまざと私を捉えにくる。驚嘆。

表現とかそういう枠の外から雪崩のように若さというあの季節がくる。くるというか来ちゃう。


泣くのは悔しいな、と思うのに泣けてくる。すごく泣けてくる。


芸術作品の意味はこういうのだと私はこっそり思っています。



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