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この本との出会い⑦『不要不急ー苦境と向き合う仏教の智慧』
「マスクがない!」
「消毒液がない!」
「トイレットペーパーがない!」
といった極度のパニック状態はあれっきりでしたけど、一向に終わりそうにない、新型コロナに振り回される生活は続いています。
一年前は、「来年にはある程度、以前の生活に戻れるんではないか」と思っていましたが、次々ウィルスは変異していってるし、ワクチン接種は思うように進んでいない状況からして、まだ当分落ち着く気配はありません。
繰り返し出される緊急事態宣言にも、ため息が。
そんな中、出版されたこの本のタイトルに惹かれて読んでみました。
コロナ禍になってよく聞かれるようになった、「不要不急」という言葉について、10人の僧侶がそれぞれに考えを述べられています。
評論家や作家というジャンルではなく、仏教者というとこが肝で、我々が慣れ親しんでいる世間一般の見方ではなく、全く別の角度や次元から出てくる意見がとても新鮮で、ハッとさせられます。
仏教者の一つの特徴として、「これが正解ですよ」という言い方をしないということがあります。
そして、「あなたはどう考えますか?」と問いかけてきます。
僧侶になるべく厳しい修行と積まれ、多くの時間を費やして経典の勉強をしてきたにもかかわらず、それを笠にきて自分の意見に正しさの「権威」を付さない方が多いです。
この本の中で私が最も惹かれたのは、藤田一照さんの文章でした。
何が要で、何が急なのかの判断は、世間の外圧によってではなく、自主性を持ってされているか?ということが大切なのだといわれています。
自分にとっての不要不急を問うというのは言い換えれば、自分の本当の要求とは何かを再確認することです。それが見つからなければ、他人や世間に下駄をあずけるしかありません。
われわれが暮らしている資本主義的な社会は、人間の本当の要求というものが気づかぬうちに忘れ去られるような仕組みになっているようです。本当の要求の代わりに、生活の豊かさや生活水準の進歩といった、要求は要求でも表層的な要求が自分の要求のすべてであるかのように思い込まされています。
確かに、そのとおり。
ただ思いついたやりたいことをやっているだけなのかもしれません。
藤田一照さんの章を読んで、普段のどうでもいい欲望の使い方を考え直してみたいと思いました。
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