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LGBTQIAのAです

後天的にアセクシャル・アロマンティックになった人

あまり聞かないですよね。
男性にも女性にも恋愛感情を持てず、性欲も持てないアセクシャル・アロマンティックは、生まれつきの人がほとんどだと思います。

でも私は、成人してからコレが発症しました。
病気じゃないから発症というのはおかしいんだけど、気がついたらなっていた、というのは「病気の発症」に限りなく近い。

本当はもっと前からだったのかもしれないし、正確なことは自分でもわかりません。でもはっきりと自覚したのは30代になってからでした。
異性からの恋愛感情が嬉しいと思えず、上司や先輩として好きな人でも恋愛感情を向けられると違和感がありました。

性行為は私にとって、麻酔なしで大手術を受けるような感覚です。
何かが踏み躙られるとか、嫌悪感を感じるとか、そういう感情的なものではなく、ただ痛くて長くて疲弊して、意味がわからない行動です。
麻酔があって、後で記憶にも残らず、病気のリスクもないなら受けてもいいけど……そんな技術は現代にはないし。


昔はどうだったか

小学校高学年〜中学生くらいまでは、クラスに好きな男の子がいました。
でも付き合ったり告白したりしたいわけではなく、ただただ見ているだけでした。

好かれるために努力をしたり、あれこれ考えたり、その子と仲のいい女の子をうらやましく思ったりもしましたが、楽しいというよりは悲しく窮屈で、違和感がありました。

何かとネガティブで、胸がドキドキするというよりは胃が痛いような日々でした。


今は幸せ?

遠い昔、恋愛感情があった頃に比べると自分らしく生きていて、好きなことができて幸せだなと感じます。仕事や趣味に没頭したり、友達と楽しく話す時間が今の自分にとっては一番大切です。

一方で、他の人のように恋愛や結婚をして子孫を残せないことが後ろめたいとも思っています。

どんなに楽しくても、仕事で感謝されても、自分が産業廃棄物だという事実は消せません。
生きていることが申し訳ないと日々思っています。

男でも女でもいいから、不細工でも仕事ができなくてもいいから、当たり前のように子供を産んで育てられる人間に生まれ変わりたいです。

それほど、アセクシャル・アロマンティックの人間にとって世界は過酷なところ……だと言ってしまえば少しは楽ですが、おそらくそうではない。
自分で自分を過酷にさせているんだと思います。


自分が変わるしかない

子孫を残せなくて親に申し訳ない。
結婚できないかわいそうな人だと思って気を使ってくる友人たちに申し訳ない。

だから早くいなくなればいいと、自分を貶め続けても何も変わらないですよね。

もっと早く、本当の自分を殺して恋愛や結婚や出産ができる人間に化けられたらよかった。もっと早く気づいていればそれができた。

でももう年齢的に遅いから、こういう自分でも生きていていいと思える何かを、自分で探すしかないのだと思います。

仕事も趣味も、外見も性格も、良かったところで何の力にもならない。
アセクシャル・アロマンティックを「発症」してしまった自分を助けるための何かを、私はこれから探していかなければならないのです。


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