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1988年の映画劇『となりのトトロ』と暦

「トトロ」チラシ

 1988年(昭和63年)4月16日、35年前の1953年(昭和28年)6月から8月21日にかけての埼玉県所沢市を舞台にした、47歳の宮崎駿(1941年1月5日~)原作・脚本・監督、スタジオジブリのアニメ映画劇『となりのトトロ』(88分)が公開された。

  同時上映は、兵庫県神戸市と西宮市近郊を舞台に、43年前の1945年(昭和20年)6月5日の神戸空襲から敗戦直後に亡くなるまでの14歳の清太と4歳の妹・節子を描く、野坂昭如(1930年10月10日~2015年12月9日)の短編小説「火垂るの墓」(1967)に基づく、52歳の高畑勲(1935年10月29日~2018年4月5日)脚本・監督、スタジオジブリのアニメ映画劇『火垂るの墓』(88分)だった。

 『となりのトトロ』に出てくる暦の表記には、どこまで計算されたものかわからないが、混乱、時代錯誤がある。この映画の時代設定を「昭和30年代前半」とする文献が多いのも、ひとつにはそのためだ。

「トトロ」療養所

 お母さんの草壁靖子島本須美、1954年12月8日~)の入院している七国山病院の部屋のカレンダーはアジサイの花の写真か絵の6月だが、曜日がこれと一致するのは1953年(昭和28年)だ。

「トトロ」書斎

 4歳の草壁メイ坂本千夏、1959年8月17日~)が森で初めてトトロと出会った日、12歳の小学6年生の草壁サツキ日髙のり子、1962年5月31日~)が帰宅した時、考古学者のお父さんの草壁タツオ糸井重里、1948年11月10日~)が原稿を書いている部屋の壁のカレンダーは鯉のぼりの写真か絵の「1955年5月」だが、曜日がこれと一致するのは1956年(昭和31年)の暦だ。
 なお、5月は「皐月」であり、英語で「May(メイ)」だが、草壁姉妹の名は、これに由来する。

「トトロ」教室

 お父さんが大学に行った日、メイはサツキの学校に来るが、黒板には「6月23日(木)」と書かれている。
 この日付と曜日と一致するのは、1955年(昭和30年)の暦だ。
 この日は夕方から激しい夕立になり、草壁姉妹は東電鉄バスの稲荷前停留所に傘をもっていないお父さんを迎えに行くが、眠ってしまったメイをおんぶしているサツキは初めてトトロに会い、傘を貸す。

「トトロ」手紙

 お母さんがサツキの手紙を読む七国山病院の壁のカレンダーは「7月」に替わっているが、曜日がこれと一致するのは1958年(昭和33年)の暦だ。

「トトロ」スケッチブック

 電報を配達に来た郵便配達員西村智博、1961年2月2日~)が、椅子の上に置かれたサツキのスケッチブックを見る場面で、「8月21日 はれ 29°C」水彩の「クヌギ、シラカシ、コナラ、マテバシイ」のドングリの芽の観察絵日記が映し出される。5番目の双葉の芽には名前が書かれていないがアラカシらしい。
 サツキは隣の大垣家のおばあちゃん北林谷栄、1911年5月21日~2010年4月27日)の畑で採り、小川の水で冷やしたばかりの冷やしキュウリをかじりながら、おばあちゃんに「今度の土曜日お母さん帰ってくんの」と言うが、1957年(昭和32年)8月だとすると、21日は水曜日なので土曜日は24日だ。
 1953年(昭和28年)8月だとすると、21日は金曜日で、翌日が土曜日なので「今度の土曜日」という言い方は不自然だ。

「トトロ」電報
「トトロ」電報 拡大

   走って来た大垣カンタ雨笠利幸、1976年8月25日~)がサツキに手渡す電報の消印の日付は「シチコク」「32.8.11」だ。つまり1957年(昭和32年)8月11日だ。宛先住所の「マツゴウツカモリヨコ」は、所沢市の松郷塚森横のことだ。

「トトロ」電話

 サツキが借りる、大垣家の本家のおばあちゃん鈴木れい子、1944年8月15日~)の電話機は、1953年(昭和28年)7月から使われた「23号自動式壁掛電話機」だ。

「トトロ」ヤギ

 サツキを追って来たメイが出会うヤギの上顎に歯が生えているが所沢に実在するヤギの歯は下顎にしかない。

「トトロ」六地蔵

 道に迷ったメイがいる鉄塔の近くの六地蔵の前は、所沢に隣接する東村山市久米川町の梅岩寺、六地蔵がモデルだ。

「トトロ」療養所2

 お母さんがお父さんと話している七国山病院の壁の「カレンダーはヒマワリの写真か絵の「8月」に替わっているが、曜日がこれと一致するのは1958年(昭和33年)の暦だ。
 1958年(昭和33年)8月21日は木曜日なので、次の土曜日は23日となる。
 サツキとメイは病院の外の高い松の木の枝に座り、ネコバスと一緒に両親の様子を見ていた。


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