見出し画像

反逆の翼と自由の精神

※この記事はPS3/PS4ソフト「ペルソナ5」のネタバレを大いに含みます。未プレイの方は御注意下さい。









この度私はペルソナ5をクリアした。こんなタイトルをつけている時点で、察しの良い方は薄々お気付きだったろうと思う。「え、今頃?」という声も中にはあるかも知れない。何せこのゲーム、発売されたのは2016年。PS3版が同時発売されていることからも分かるように、PS4移行期の只中にリリースされたタイトルなのだ。

発売当時からストーリーが素晴らしいといったレビューを目にした記憶はあったが、私は「女神転生」及び他の「ペルソナ」シリーズに触れた経験が無かったため、まぁスルーしていた。しかし、某格闘ゲームにサプライズ参戦を果たすというまさかの事態に、「やるなら今しかねぇ」と決心した私は、近所の中古ショップにてお手頃価格で本作をゲットしたのだった。

そんな出来事も今では懐かしいとさえ感じるようになった。なぜなら、他にも並行して遊んでいるゲームがある上、このゲームをクリアするだけでも100時間以上もの時間を要したからだ。とんだ大ボリュームである。

正直、中だるみをするタイミングが無かったワケではない。ゲームの仕様上、通常のRPGとは異なり、ダンジョンとダンジョンの間にかなりのインターバルが存在するのだ。これが理由で少しばかり熱が冷め、しばらく積んでいた期間があったことは否めない。

しかし、修学旅行イベントの前後あたりから物語は事件の核心に迫り始め、それからの急展開の連続に、私は早く続きが見たいという衝動を次第に抑えられなくなっていったのである。世間の高評価も納得の秀逸なストーリーを存分に味わい、ペルソナ5は私がこれまで遊んだゲームの中でも特に心に残る作品の一つになった。

さて、ここで本題に戻ろうと思う。本作のテーマは序盤から一貫して「身勝手な大人への反抗、自立」といったものだったわけだが、最後の最後で、驚愕の展開を迎えることとなる。この作品には、一人の人間が抱える欲望で歪んだ異世界=パレスと、大衆のパレスの集合体=メメントスという二種類の異世界が登場する。主人公たち怪盗団は、パレスの奥深くに鎮座する欲望の根源=オタカラを奪うことでパレスを崩壊させ、悪行をはたらく大人たちを「改心」させていった。

しかし、ゲーム終盤、メメントスの深部まで降り立った怪盗団の前に、これまで改心させてきた大人たちが姿を現す。パレスを失ったはずの人間がパレスの集合体の中にいるという矛盾が発生したのである。ここで明らかになるメメントスの正体、それは「欲望を失った大衆の認知世界」だった。

メメントスの中の大衆は、一人残らず認知上の牢獄に囚われている。それにも関わらず、彼らは自分たちを「自由」だと言う。「選択の自由を放棄する自由」というのが彼らの主張だ。この主張は「何もかもどうでもいい」という風にも言い換えられる。自分で選ばず考えず、他の誰かに決定権を委ねること。それこそが究極の「自由」であると。

ここで主人公たちは苦悩することになる。悪人たちの「欲望」を取り除いたこれまでの自分たちの行動は、本当に「正義」だったのだろうかと。更に追い打ちをかけるように、メメントスと融合した現実世界の中で、大衆に認知されなくなった怪盗団は存在自体が抹消されてしまう。

迎える最終決戦。それは「希望」という名の欲望と、形無き支配者の一騎討ちだった。強大な力に圧倒される怪盗団だったが、呼びかけに応じた大衆たちの希望の声を力に変え、その一撃で全てに決着が着いた。世界に平和が戻る。

ここまで長々とラスボス戦までの経緯を書き殴ってきたが、私の心に残ったのは、この後の展開だ。支配者は希望の力の前に敗れ、異世界は完全に消滅した。誰もが望んだハッピーエンドである。しかし、支配者が居なくなったことで、本当に大衆の心に変化は起きたのだろうか?

答えは「分からない」。怪盗団のことはおろか、つい先刻まで世界が消滅しかけていたことすらも彼らは覚えていなかった。まるで全ては夢の中の出来事だったかのように。「認知によって世界は変わる。だからこそ世界は無限である」一握りの希望から生まれた案内役は、そんなメッセージを残しながら消えていった。

エピローグ、怪盗団解散の前日。この最後の一日は、これまで自分たちを支えてくれた人たちに挨拶回りができるイベントだ。時間に制限無く、気の済むまで近所やセントラル街を散策できる。

その散策中、主要人物たちとの会話の他に、モブの声も街中の至る所で聞くことが出来る。本編中は何かと耳が痛かった彼らの言葉は、どこか験が取れた様相を呈していた。退屈な日常を憂うこともある。それでも少しずつ前を向いて歩み始める。それらは憑き物が落ちたような、生命のエネルギーに満ちたものであるように私には思えた。

ただ誰かに決められた道を歩くのではなく、自分の意思で未来を掴み取ること。希望を持ち続け、変化を促すこと。それこそが真の意味での「自由」であると、この作品は私たちに教えてくれた。とどのつまり、私は怪盗団に心を奪われた大衆の内の一人だったというわけだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?