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先生の「風の旅」


 この春、嬉しい事があった。以前家庭教師をしていた時の教え子が大学に合格したとわざわざ家まで訪ねて来てくれたのだ。その嬉しそうな顔を見るとこちらまで幸せな気持ちになった。そして、彼女の顔を見ながら自分も大学に合格した時、塾の先生に報告した事を思い出した。
 その塾は英語の専門塾で先生がご自宅の一室を教室として使って授業をされていた。先生のお宅は商店街の一角にあって、道路に面した一階は先生の御両親が営まれていた商店だ。地元のお嬢様学校を大学まで学ばれた先生は就職はせずそのままご自宅で塾を開かれていた。少人数で女子ばかりの和気あいあいとしたその塾はクリスマスにはお楽しみ会もあって、その当日は授業はせずケーキを頂いたりゲームをしたりした。 成績はともかく、とにかく楽しい塾だった。私は学校とは違う友人たちに会うのを毎週楽しみにしていたものだ。だが、中学卒業と共にその塾も卒業し高校に入学すると私は忙しさに紛れて彼女たちの事も先生の事も忘れてしまっていた。そうして偶にその塾のあった商店街を通っても、もう思い出すこともなくなっていた。
 高校を卒業し大学に合格した時、先生のご自宅に合格報告の手紙を出した。どうして手紙を出す気になったのかはっきりは思い出せないが、自分では思いつきもしなかったろうから、きっと母に勧められたのだと思う。合格の手紙を書いて少し経ってから先生がお祝いの御返事を下さった。そこには暖かい言葉が並んで私の合格を喜んで下さっていたが、その手紙の住所は私の知るお店のあるあの商店街ではなかった。そこは確か郊外にある療養施設だったと思う。先生はお体が弱かったので、きっとその頃にはもうご自宅にはいられない程になっておられたのだろう。でも、若くて自分の事に夢中だった私がその事も直ぐに忘れてしまうと商店街にあった先生のご自宅はいつの間にかなくなっていた。
 先生に初めてお会いしたのは中学の入学式のすぐ後だったかと思う。塾に通う事が決まってご挨拶に伺った時、先生のお宅の応接間に通された。子供だけで知らないお家に伺う事に慣れておらず、初めての場所で緊張でおとなしい私に「こんな姿で驚いたよねぇ。」と先生がおっしゃった事を思い出す。 先生は薬害で四肢が不自由だったのだ。中学を卒業する時、先生は生徒皆に「風の旅」を下さった。その頃の私は本当に子供で物事をあまり深くも考えなかったから、先生の持つ障害についても、視力が悪くて眼鏡をかけないと見えない自分の不自由さと然程変わらない認識だったと思う。だが、大人になった今、先生の人生を考える。卒業以来お会いする事もなかったが、あの時報告の手紙を読んで喜んで下さっていたのなら嬉しい。そう思いながら久しぶりに表紙が少し黄ばんでしまった本を手に取った。

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忘れられない先生

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