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気・イメージ・からだ

鍼灸師はみえてるのですか?
のような問いかけをちょこちょこされたりしますが、答えに窮してしまい、あとで色々考えることがあります。
確かに、鍼灸で用いられるツボや経絡は筋肉や骨のように目に見えるものではなく、それを扱っている以上見えないものが見えていると、されてもおかしくないかもしれませんね。
このあたりは鍼灸師によって捉え方にばらつきがあるでしょう。
私の場合は縦と横にながれる経絡のイメージをはっきりもって、施術にあたっています。
言語を習得するようにどこかで「気のからたのイメージ」が自然と施術とリンクするようになってきたのだと思います。
これは何も「みえるといった」特別なことではなく、近代医学が入ってくる、明治以前までの日本の文化装置の中で共有されていたイメージの世界の一部だったはずなのですが、現代では特別で奇妙な世界に映るのかもしれませんね。
ところで現代でも機能性ディスペプシアや過敏性腸症候群など器質的な原因がどこを探しても「みえない」といった心身症が多く現れてきて、薬物での対処というよりも「みえない」心身的なストレスへの対策に関する関心が高まってきたりしています。
これは「みえないからだ」からからだを捉え直すニーズの高まりとも考えられなくもなく、東洋医学と心身医学とのリンクに最近は非常に特に関心をもっています。




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