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今日はいい夫婦の日らしいよ | エッセイ・本紹介

今日、11月22日はいい夫婦の日らしい。

21日の昨日はイーブイの日だったらしいので、語呂合わせが好きなだけじゃんとは思うけれど。さすがに覚えやすいからか、この日に実際に入籍する人も多いと聞きますね。

そういえば同僚も、今日入籍予定だった気が。結婚指輪の相談をされて、私たちが選んだハンドメイドのお店を紹介したらそのままそこに決定していました。写真を見せてもらったら、私の薬指のものとそこそこ似ている指輪が見えてなんだか微妙な気持ちになりました。嘘です、Oくんおめでとう。どうしよう、彼女が欲しいって言っている指輪が300万する、と青ざめた顔で言っていた日が懐かしいです。

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ところで、''いい夫婦'' ってなんでしょうね。

結婚して1年半経つけれど、まだよく分からない。分からないまま寿命が来そうで、まあそれでもいいかとも思うけれど、せっかくなのでちょっと考えてみようかな。

いい夫婦、と聞いて私の頭に浮かぶのは、この本です。「なぞの転校生」などで名高いSF作家・眉村卓さんの愛妻物語、「妻に捧げた1778話」。

余命は一年、そう宣告された妻のために、小説家である夫は、とても不可能と思われる約束をする。しかし、夫はその言葉通り、毎日一篇のお話を書き続けた。五年間頑張った妻が亡くなった日、最後の原稿の最後の行に夫は書いた―「また一緒に暮らしましょう」。

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進行性の悪性腫瘍が発覚した妻・悦子さんは、病院で5年生存確率ゼロと言われます。「自分にできることはないだろうか」と考えた末に眉村卓さんが決めたのが、毎日、短い話を書いて読んでもらうというもの。そこで実際に書いたショートショート1778話の中から19話と、エッセイが掲載されています。

特殊な状況で書かれたものなので、オチがなかったり、病気や死やラブロマンスなどを避けて書かれていたりします。しかし、1話1話のクオリティもさながら、間に入るエッセイに「夫婦とは」「死による別離とは」「パートナーとして、周囲としてできることとは」などを考えさせられるものでした。

この本で1番に感じたのは、悦子さんへ対する揺るぎない愛情や、理想の夫婦としての形……ではなく。

「惜別  眉村卓さん」朝日新聞デジタルより
眉村卓さんと悦子さん

作者の、「妻にとって迷惑ではないだろうか」「何もできないゆえの悪あがきだ」「自己満足なのでは」といった大きな迷いや不安と、周囲からの「ロマンチックだね」「お気の毒に」「暇なのか」といった言葉や視線の中で、妻や自分にとっての話を御百度参りのように日々重ねていたこと。

その日に書いたものを妻に朗読し、その反応を見る。笑ってもらえると思ったものが苦笑されたり、考えもしなかった連想を口にされたり、朦朧としていて反応すらなかったり。「捧げるというより、妻のテストを受けているようだった」ともあるように、毎日の執筆がおふたりの会話であり、相互理解のひとつであったように思います。

夫婦生活を死別という形で終えた作者が、「共に生きる」ことについて触れている文を以下に引用します。

人と人がお互いに信じ合い、共に生きてゆくためには、何も相手の心の隅から隅まで知る必要はないのだ。生きる根幹、めざす方向が同じでありさえすれば、それでいいのである。私たちはそうだったのだ。それでいいのではないか。

「少し長いあとがき」より

夫婦に限らず、友人や親子、師弟などもそうですよね。完璧な理解などできない。その中でも同じ方向を見ていれば、齟齬や誤解があっても、擦り合わせて一緒に生きていける気がします。

眉村夫妻が ''いい夫婦'' だというよりは、この姿勢や考え方がとってもいいなあと思うのでした。
周りから褒められても揶揄されても、自分と相手を正面から見て会話を重ねること。
迷い悩み考え、できることを続けるということ。
誰にでもできることではないなあと思います。

いい夫婦、なれるかな。
眉村卓さんのような配偶者になれる自信はまだないけれど、そうあろうと思う時間が1時間、1日、1年と伸びていくことで少しでも近づけたらいいな。そんなことを思った、2023年のいい夫婦の日でした。



眉村卓「妻に捧げた1778話」新潮社、2004年

(追記)
悦子さんが亡くなった日の最後の原稿に、想いがすべて詰まっているように感じました。映画化もしている作品です。ぜひ読んでみてください。

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