インドに呼ばれることについて
インドに呼ばれてインドへ行きました。
今日、POPEYEを立ち読みしていたら、横尾忠則が「三島由紀夫に『インドに呼ばれる人とインドに呼ばれない人がいる』と言われた」と書いてありました。
たしかに、去年のインドに行った当時のことを振り返ってみると、インドに呼ばれてたかも…?
というのも、たまたまインドを研究している人に出会ったり、たまたま2週間の休みが勝手に取れたり、たまたまインドに行きたい友達を見つけたり、たまたま電車の隣に座って話しかけてきた人がインド人だったり…。
そっかあ私はインドに呼ばれてインドに行ったのか〜…
と、思ったのですが
ちょ待てよと(キムタク
そもそもインド人にインドに連れて行ってくださいって言ったの私じゃん?
誰彼構わずインド連れてってくださいって言ってたの私じゃん?
ゴッツい手綱引いてインド引き寄せてきたの私じゃん??
なんでも受け身ではなかった〜‼︎と嬉しく思いました。
コロナ禍を経験している皆さんならわかると思うのですが、人生には自分にはどうしようも出来ない大きな力でねじ伏せられてしまうことがあると思います。
他人からのアドバイスで「今はその時期じゃないんだよ」とか「ご縁がなかったんだよ」とか言われるのもそうですよね。そういうのって、自分にはどうしようも出来ないところで決定されてるから諦めなってことだなあって思います。
こういう言葉を聞いて、心が軽くなる状態なら良いと思うのですが、ある一定値を超えてこの言葉を使用すると、生きてること全てに無気力になってくると思うのです。
どうせ頑張ったって、外部の力で何もかも結果は決められてしまうんだあって。
だから、例えインドに呼ばれなくても自分が行きたいなら、行っちゃう努力をすれば良いんだって思います。
この構造って、資本主義と社会主義の構造にも似ているんではないかと思います(完璧に私の私見)。社会主義のように、与えられた仕事だけだと、働く意欲を失ってしまう。だから、資本主義のように能動的に働いていくと意欲を保つことができる。だけど、2つともバランスが大事。
好きな友人が言っていました。
「人生何事も何をするかじゃなくて覚悟を決めたかが大事だと思うよ。覚悟一度決めたら、いつか道は開けるよ」と。
口と手と足を動かす。明るくめげずにカラッと!
みなさん自分の思いに耳を澄ませて。自分を大切に!!
Bye〜
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