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ライカ太郎、何故ライカM10を購入するにいたったのか

ライカを購入する理由というものは、恐らく十人十色。10人いれば10通りの理由やストーリーがあることでしょう。AさんとBさん、Cさんのライカ購入動機や購入にいたる経緯はそれぞれで、noteにもたくさんの人がそのエピソードを書いていらっしゃいますね。
ライカ太郎がこのたびライカM10を購入した理由や思いもnoteに残しておきたいなと思い、つらつらと書いてみました。


大病からの帰還

人間ドックにて

2021年の10月に、会社で毎年受けている人間ドックを受けた際、10数年ぶりに胃カメラを受診しました(それまではバリウム検査)。と、検査後のドクターとの面談ではじめて「D判定」がでました。
D判定とは通常「要精査」、つまり精密検査をしましょう、という合図です。
クリニックで当該部位の専門病院の紹介状を書いてもらい、セカンドオピニオンを実施します。
すると・・・「うーん。どうも●●●みたいなのですが当院ではそこまで詳しく判断できないので、この症例に詳しい都内の●■▲病院で再度診てもらうことをおすすめします」とのまさかの再々精査に。。。
結局●■▲病院で症例が確定し、その病院へ入院し、数日後に手術となりました。

手術、リハビリ

手術時間は8時間だったそうです。
術後は高熱がでて1日〜2日はうなっていましたね。ただ、手術3日後からは職場復帰に向けてさっそく院内を歩く訓練をはじめました。食事も最初は「重湯」からスタートし、徐々に品数が増え、液体食から流動食へ、半がゆ、全粥、そして米粒へと回復度合いにあわせてアップデートされます。
ドクターからも協力いただきリハビリは順調で、術後10日で退院することができました。

保険屋さんからお見舞い金が

術後、職場での手続きとあわせて保険会社への手続きもおこなっていたところ、ある保険会社さんから「もしかしたらお見舞い金の支給対象となるかもしれません」との助言があり、必要書類を提出したところ、思いの外多額の入院・手術お見舞い金を振り込みいただきました。
入院費用でひーひー言っていたライカ太郎は人心地つくとともに「あれ、もしかしたらこのお金でライカ買えるなぁw」と思いました。そうですね、即金で新品ライカボディとレンズ1本くらい買える金額が急に手もとに舞い込んできた状況でした。
が、下駄履きの生活者として当時のライカ太郎はそのお見舞い金を「生活費」という名の雑費に充ててしまいました。「まあ、ライカ高いし、もう少し金銭的にも生活的にも余裕が出来たら考えよう」と、その時は思ったものでした。(そんな時っていつくるの!?ということは脇に置きました)

母の死

享年89歳

老健施設にてお世話になっていた母について、施設の方から「食事を食べなくなってしまったんです」と連絡を受けたのは2023年6月を過ぎたころ。話し合いの結果、医療設備が整った施設へ移った方が良いとのことで老健施設の関連病院に入院することになりました。要介護2の母は2018年8月に骨折のため入院し、リハビリをかねて老健施設へ移り、そろそろ自宅での生活に戻りましょうという状況となった2019年3月にコロナショックのため老健施設から移動できなくなり、その後はずっと施設のお世話になっていました。
2023年6月に病院へ移動してからも食事は採らず、点滴もカテーテルでの注入に切り替わりどんどん弱ってきていました。
そして7月の三連休に、彼女は虹の橋を渡りました。亡くなる前日に10分間でしたが、母と会うことができました。冷たい手でしたが、しっかりと母の手を握りしめながら会話できたのが、せめてものことでした。

実家での写真整理にて気づく

母が骨折で入院する前のまま、時間が止まっている実家の部屋で遺品整理をしていたときのこと。遺影に使える写真がない事に気づきました。
生前の母をつれて全国あちこちを旅した際に、よく写真を撮らせてもらっていました。帽子が好きだった母は、どの写真でも素敵に帽子をかぶっています。
遺影に使う写真を葬儀社の方から相談されたときに「帽子をかぶっていない写真」と言われましたが、残っている母の写真で帽子をかぶっていない写真はありませんでした。
その写真の中で、母が気に入っていた写真を見つけました。上高地へ旅した時に私が河童橋近くの白樺林で撮影したスナップ写真。
白樺林を背景ににこやかにポーズを取る母。構図も光も我ながら良く獲れた写真だと思っています。

その写真を撮ったカメラは、私のバースデーライカでもあるライカM4でした。
うん。やっぱりここぞという時のライカは素晴らしい働きをしてくれる道具なんだな、と再認識しました。

人生は一度きり

「人生は一度きり。後悔のないように」
この台詞は昔、勤めていた会社の社長からいただいた言葉です。その社長も退任され、私もその会社を転職することとなり挨拶に伺った時にこの言葉をかけていただきました。
自分の選択はその時々の状況や状態によって右にも左にも変わるでしょうが、決めるのは自分。一度しかない人生をあとで振り返って後悔しないようにね、というありがたいアドバイスでした。

前年に大病を患い、今年に母親を亡くして「人生」や「生きること」ということを真剣に考えたときに「人生は一度きり。後悔したくないね」という結論に達しました。
この年になって何度目かの「人生の区切り」を迎えたように感じまして、この状況を記憶できる何かしらの記念碑的なモノを残そう、と思っていました。

ライカ銀座にて

ライカギャラリー東京

2023年9月23日(土)、ライカ銀座のライカギャラリー東京にて開催されていた落合陽一氏の写真展を見に行き、ついでに傷みが出てきていたライカM8の革ストラップの交換をしてきました。会計を済ませライカ銀座を出ようとしたとき、出入り口付近右側のショーケースにある銀色のM型ライカが目に入りました。型番は不明でしたがプライスタグが読み取れて「アレ?このお値段なのね」という印象でした。

それから1週間、どうもそのライカが脳裏に浮かんでは消え、気になり続けていました。ネットで検索してもどうもよく分からず「もう一度、確かめに行ってみるか」と思い9月30日(土)にライカ銀座へ向かいました。

それは「ライカ・アプルーブド・カメラ」

「あのショーケースにある銀色のM型を見せてもらえますか?」
結構勇気を振り絞って男性の店員の方へ声をかけます。出していただいたM型ライカはライカM10でした。
「このライカは下取りをした時にお預かりした中古ライカですが、2年間の保証がついているんですよ」と店員の方。そうです、これがライカ社が2019年から展開している「ライカ・アプルーブド・カメラ」のライカでした。
外観まったく問題なし。機関はライカ・ジャパンが手を入れていて保証あり。お値段は(絶対額としては高価ですが)比較的手が届く金額。というかライカ太郎が支払える額。

このライカM10をください

言いました。言い切りました。
ライカの直営店でライカを買う。我が人生ではありそうで無かったシチュエーションです。
銀座にあるハイブランドのショップで、そのブランドの商品をショーケースから取り出し、品定めして購入する。この一連の所作を体験することとなりました。

わたしは当時、ライカM10に関する基本的な情報は持ちあわせていませんでした。ただ、前の週に目の端でその存在を確認してから妙に惹かれるものがありました。
スペックで買うことが多いのがデジタルカメラの常だとは思いますが、私、ライカ太郎にとってはインスピレーション、とでも言いましょうか、古い言い方では「ビビビときた!」ライカM10に引き寄せられた、というのが正直な感想です。

ライカ銀座 外観

ライカM10と過ごす日常

ライカを含めたレンジファインダー・カメラは、視力が衰えたら使えないカメラです。近眼や老眼、白内障・緑内障などになってしまうと矯正視力だけでは不都合が
出てしまうことも。
昔読んだある写真雑誌で、当時存命だった有名な写真家の方が「年を取ってピント合わせが出来なくなったのでマニュアル操作の一眼レフは辞めて同社が販売している普及機のAF一眼レフカメラを使っているよ」と話していたのが印象的でした。
私もまだ目が悪くなっていないうちに、レンジファインダー独特の二重像でのピント合わせの楽しさを満喫したいなと思っています。

M型ライカはサイズ、重さ、手に取った際の「かたまり感」、シャッターを切った時のサウンド、すばらしいUX、UI、そしてなにより存在感が好ましく、今回ライカM10のオーナーとなれて本当に良かったと思っています。

わたしがファーストライカのオーナーとなったのがいまから20年前。
ライカM10はこのあと20年間も使えるかわかりませんが、可能な限り持ち歩き、いろいろな人生のシーンを残していきたいですね。


わたしの愛車、トヨタ セラ
Leica M10 + Carl Zeiss Planar T*  2,0/50mm ZM
日本橋 三越
お江戸 日本橋
日本橋 高島屋


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