マチネの終わりに

マチネの終わりに観た。

映画の内容と音楽がリンクし印象づけられている作品で、没入感があった。
(映画を観た後に即サントラをダウンロード)

全体として、切ない気持ちになる映画だった。『変えられない事実(現実)を目の前に未来をどう生きていくのか』、決して大々的に作品が私たちに投げ込んだメッセージではないが、それでもしたたかに、未来を生きることについて問いかけてきたように思う。ぜひ、心と時間に多少の余裕をもって観てほしい映画。

【以降感想と自分へのまとめとして、ネタバレあり】

前半で洋子(石田ゆり子)に蒔野(福山雅治)が言った、
「人は変えられるのは未来だけだと思い込んでるけど、実際は常に、未来が過去を変えているんだよ。変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える。つまり過去っていうのは、それくらい繊細で感じやすいものなんじゃないですかね」
というセリフをテーマにストーリーが進んでいく。

仲間の死、愛する人とのすれ違い、誰かの犠牲のもとに自分の人生をうまく行かせようとするエゴ、蒔野も洋子も他の登場人物も、さまざまな現実を目の当たりにする。でもその瞬間はどれだけ辛かろうと傷つこうと、未来は過去の意味づけを変えていく。過去は未来によって変えられてしまう。二人の未来はお互いの辛い過去を変えていく。

「あの時こうしていれば、ああしていれば今頃は…」と過去のことに対して嘆くことは誰しもある。でも結果として今や未来が幸せであれば、嘆いた過去すら必要であったと人は考える。こうやって過去は変わっていくのだと、過去の中で無駄なものなど一つもないのだと、そう思わせる映画だったように思う。

そして、過去が無駄なものでないと思える瞬間、それは夕べである。
こちらも蒔野のセリフ。
「夕べに全てを見届ける。最初に提示されたテーマを最後まで見届けて。で、振り返ったときに初めてその全体がわかる。」
未来にいってみないと、時間が経って振り返ってみないと過去が無駄なものでは無かったとは思えないだろう。何が起きてもテーマを最後まで見届けて、つまり生を全うして、初めて自分の過去に意味が添えられる。だから諦めずに生きろと、そんなメッセージも感じていた。
このメッセージが蒔野から洋子に伝えられた告白とリンクするところが、胸が熱くなる。

私が変えたい過去は何だろうか?
未来が過去を変えるとするならば、私はどんな未来を生きたいのだろうか?
蒔野と洋子はラストシーンの先、どんな未来を生きていくのだろうか?
自分は上記の問いに対して果たしてどう思っているのか、という自分自身に対する考察が生まれるとともに、二人の行く末、さらには他の登場人物の行く末に想像が膨らんだ。

恐らく、辛いことがあった瞬間に見る映画にしては自分にとってはずっしりしすぎていると思う。4半期や年度など節目のタイミングかつ、自分の調子が安定している時に、過去を振り返って未来を描くきっかけとする目的でまたマチネの終わりにを観たい。

あなたが変えたい過去は何ですか?
それはこれからのあなたが生きていくどんな未来によって変わるでしょうか?

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