日本人として生まれた祝福を思い出すとき
今週末はお花見日和で、2つのお城に行って来た。
たまたま、行ったところがどちらもお城あとだった。
“女神”というワードをたくさん耳にした。
あと、鎌倉に行きたいと思っていたら、“鎌倉”もたくさん目にした。
ゴールデンウィーク、鎌倉行きたいなあ。
今のわたしなら、行きたいと思ったらなんだかんだ行けそうな氣がする。
今日は、日本一の青空の街で、樹木たちが見下ろす智恵子の丘でヨガをしてきた。
樹木たちが放つなにかが溶けこんだ空氣をからだの深いところまで吸いこんで、全身が満たされた。
潮の香りとともに、これだよ、これ。
たまにとっても欲するのは。
人間の社会には決してない、人間の社会だけでは創り出せない氣が、ここにはある。
ただただ、ぴんく色に染まった世界を見て思う。
日本の春は、自然がぴんくの宴を開いている。
そしてその宴のあとには、ぴんくの子どもたちが追いかけっこして遊び、ぴんくの妖精たちがひらひらきらきら舞う。
日本の春は、自然がにぎやかだ。
“ここにはなにもない”と地元のひとが言う土地でさえ、桜の木がないところはおそらく日本にはない。
そのくらい、日本で一番多い花の木は、きっと桜だろう。
もともとは山に自生していた山桜しかなかったのだろうけれど、ソメイヨシノはなにかをかけ合わせて人間が生みだしたものだと聞いた。
つまり、日本に生えている桜は、ひとが植えたものがほとんどだ。
今年もいつものように、毎年のように咲いた桜のしたで、すごすひとたちを見ながら、その幸せな風景を創ってくれたご先祖たちのことを思った。
ご先祖たちは、なにを思ってそんなにたくさんの桜を、日本中に植えたのだろう。
そう考えたとき、このぴんく色の祝福は、自然からのものだけではなく、きっと先祖がわたしたちに贈ってくれているものだと感じた。
春のこの季節だけは、どんなに辛いことがあっても、どんなひとでも、“日本に生まれてきたこと”をだれもが思いだせるように。
そう思って、わたしたちのご先祖さまたちは、日本中に桜の木を植えたのではないだろうか。
そう考えると、よりこの季節のこの風景のなかで、喜びにあふれる日本人を見るわたしのこころにも、さらなる幸せが広がる。
そして、ただただありがたい。
ご先祖さまたちに、そしてそんなご先祖が創ってくれたこの日本に、そんな日本人に生まれたことに。
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