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わたしは、わたし以上になってもいい


今日は仕事終わり、家と反対方向へ遠回りをして桜の木を下から見上げながら歩いた。

桜の木のしたにいるだけで、桜からの祝福が降ってくるような、桜の香りに包まれてとても幸せなきもちに満たされた。

差しこむ夕日をからだ全身で浴びながら、どこまでもいつまでもわたしを照らしてくれと思った。

ひきこもって家にばかりいたころには、日に日に街で起きている変化なんて、知らずに生きていた。

でも、“今日はここの幼稚園が入園式か”とか、街のあちこちで並んで歩く親子をたくさん見かけるとか、こんなふうに街の風景で季節を感じられるようになるのも、そのころのわたしにはなかった世界の見方を手に入れられたんだと思う。


先週末のセミナーで出た“わかちあい”の宿題がけっこう難しい。

こんなに日々、わたしはひとに“正直さ”をわかちあっていないのだなということに氣づく。

新しい週がはじまってからのわたしは、いい感じに力が抜けている。

いったん習慣を手放したおかげで、ほんとうにやりたいこと、じぶんを満たすために最小限必要なものだけが残された。

これまで“絶対”だったものも、剥がれていった。

“やらなきゃいけないこと”がわたしを幸せにするんじゃないことを学んだ。

じぶんへの向き合い方も、ゆるくなったように感じる。

やさしく、やわらかく、じぶんに向き合えている。

じぶんを責めることが、ほんとうになくなった。

じぶんを責めても、今のわたしにとってはなにも生まないことが、わかっている。

もっとたゆたうように、じぶんの氣分というものとともに流れることができるようになった。

汗をかくとか、口のなかで火傷をするとか、今までのわたしだったら、じぶんの“秩序”を乱すものとして、排除したり避けたりしてきたことも、じぶんのありふれた、かけがえのないライフのいちぶとして受け入れられるようになった。


わかちあいも、母と姉にはできた。

つぎは、どうしてもわかちあいたいOさんに、わかちあえたらいいなと思う。

ハードルを低くして。

セミナーを受けた感想をわかちあうことが理想だけれど、ふたりでじっくり話がしたいと思っているということとか、そういう普段話さないような、でもほんとうはこころのなかで感じてることをちょこっとシェアできたらいいな。


エネルギーいっぱいに生きてもいい。

わたしは、わたし以上になってもいい。





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