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静なる性の時間


おかえり、わたし。

“noteおやすみします”から1日も経たずに復帰しました。

やっぱりまだまだ書きたいです。

月経中は、“ちがうところ”につながる感覚になってから、月に一度のmoon timeが楽しみになった。

今回はどんな景色が見え、どんな想いが湧いてくるんだろう、と。

そして、そんな性をもった女性としてのわたしを楽しみ、慈しみ、受けとめる時間を。


今朝の瞑想中、過去に傷ついてきた男性たちとの関係が浮かんできた。

その男性たちも、たまたま男性としての質が強くて男性に生まれたひとたちで、遺伝子のなにかが欠けて男性になったひとたちなんだなあ。

今の社会で男性は、ひとりでやっていけるみたいなポジションにいることが多いけれど、ほんとうは女性がいなければすべての人間は存在しえない。

女性性の力は、なにかを“変えること”ではなく、あるものをあるがまま“受け入れること”なんだろうな。

生みだす性としての女性たち。

生理中は、じぶんがそんな“女性”であることを思い出し、その力につながる時間。

今日は“静”を大切にしてみようと思った。

“静”なるそこにいよう。


わたしは布ナプキンを使っている。

月経を迎えたじぶんを、その時間を“受けとめる”感じがとても好きだ。

そして、布ナプキンを整えることが、じぶんそのものを慈しむきもちを創ってくれている。

今日は、パン班での立ち仕事で、替える時間がうまく取れずに、漏れてしまった。

でも、そんなこともまるごと受け入れられる。

“めんどくさい”とかひとことも思わずに、血のついた下着を洗う。


学園で、ある男性の園生Eさんと、女性の園生Fさんがよくからだをくっつけ合っていることが報告されている。

お互いの知的レベルはわからないけれど、“好き”という感情ではなく、“なんとなく”という受け身で起きていることなら、それが“じぶんの意志に反する”という意味では“暴力を振るわれる”と同じレベルで本来容認してはいけないことだということを教える必要があると感じる。

園生はよく“ふれあい”が好きで欲しているなと感じる。

だけど、性という一線を越えると、そこからは物理的・肉体的な変化も起きてしまう。

セックスをしたら、子どもが生まれるということ。

相手にからだを許すということがどういうことかということ。

Fさんには女性のじぶんのからだを大切にしてほしい、守ってほしいとこころから願う。

過去の記録をふりかえってみて、監視カメラをつけて見張るなどの対策は取られているみたいだけれど、職員の目を盗んで毎日のように2人がくっついているところが見かけられている。

“なにか”が起きる前に、動いていかないとと感じる。

わたしが感じていることを先輩や園長に率直に伝えてみようと思っている。





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