見出し画像

フラの先生になって半年経って

ALOHA! レイミカです。
ありがたいことに、フラの先生になって半年が経ちました(正確に言うとフラインストラクターになったのはもう少し前からなのですが、呼ばれて教えさせていただいているクラスではなくて、私が立ち上げたクラスとして、という意味で)。
ここではクラスを立ち上げた経緯と、現在の様子をお話したいと思います。

つなぐばフラレッスン「ピカケ」クラスができたわけ

私は2020年の4月にコロナ失業しました。多くの方と同じようにSTAYHOME期間は、自分と徹底的に向き合う時間でした。そのとき動いていた友人たちのユニット「ヒキダシスターズ」(一人のクライアントに寄り添い、その人の魅力を引き出す企画)に、自分の生い立ちから、その時その時の心の揺れ動きまで、まさに人生の棚卸しをしてもらいました。

そこで気づいた2つのこと。
 ・世界はALOHA(愛)に満ちていて、美しい! と叫びたい
 ・教えるのが好き

世界はALOHA(愛)に満ちていて、美しい

「なにクサイこと言ってんだか?!」て思いますか?(笑)
フラとの出会いについては自己紹介にも書きましたが、私は人生において2度、フラに救われた経験があります。

初めてフラに出会ったころ、私はまったく縁もゆかりもない、親兄弟や友達すらいない土地で、毎日終電帰りの夫と、自己主張の激しい2歳の長男と、生まれてまもない次男との4人暮らし。まさに弧育てで、毎日戦っていました。

ただ単純に、子連れで体を動かしたい!と思っていた時に、たまたま近所のママさんに声をかけられて始めたのが、フラでした。そのフラサークルは、似たような年代の子連れママが運営しており、ハワイアンミュージックに乗って癒されながら、抱っこやおんぶで凝り固まった体を動かせる場所でした(レッスン中の水分補給は、自分よりもまず子どもの授乳タイムだったのも、いまとなってはいい思い出です(笑))。子ども同士もすぐ仲良くなり、週に一度のフラは、貴重な自分の時間として新しく成長できる場であると同時に、新米ママとしての情報交換の場であり、共同子育ての場であり、一石二鳥どころか何鳥も叶えてくれる、まさにALOHAな場所でした。

その数年後、私は鬱をわずらいます。仕事は療養休暇をとったものの、一ヶ月間まるまる、まるで寝たきり。発熱、動悸、耳鳴り、めまい。蚊のなくような声しか出ない。重苦しい灰色の世界。ようやく外に出られるようになっても、ボロ雑巾のように体を引きずり、視線恐怖でマスクは必須。たぶんパニック障害もあったと思います。そんな状態でも、フラだけは続けていました。というか、フラだけが生きる唯一の救いでした。

その時ちょうど習っていた曲が、“Aia la `o pele”。キラウエア火山の女神ペレを唄ったカヒコ(古典フラ)です。意に沿わぬことがあれば、真っ赤な溶岩で大地を覆い尽くす、気性の激しい女神ペレ。私はペレになって、怒りを表現していたんだと思う。
気がつけば、ドロのように沈みっぱなしの心が、溶岩で埋め尽くされた大地にも植物が芽吹くように、少しずつ上がることが出来るようになりました。
薬に一切頼らずウツヌケできたのは、フラとフラシスターと友人たちのおかげです。

いま私の目に映る世界は、とてもカラフルで、愛と光にあふれています。

すでに私はアラフィフの年女ですので(汗)遅咲きではありますが、きっとあの重苦しい一面の灰色の世界を経験したからこそ、この地球に満ちている光や色や音のブリリアントさが、よりいっそう美しく輝いて見えるのだと思います。

「あなたが見たい世界は、すべてあなたの心がうつしだしている」

私にレイキ(靈氣)を教えてくれた方の言葉です。このコロナ禍下で、つらい思いをされている方もたくさんいらっしゃると思います。すぐ隣にいたとしても、同じ景色を見ていたとしても、自分、というフィルターを通せばまったく違う意味を持って、世界はそこに立ち上がる。

それならば、灰色の世界にいる人、彩度の低いモノクロに近い世界を見ている人、息苦しさや体の重苦しさ、耳をふさぎたくなるような音や言葉に囲まれている人、子育てや介護に悩んでいる人や、女性ならではの困難に苦しんでいる人に、

「世界はこんなにもカラフルで、ALOHAに満ちていて、美しい音と光にあふれている」

という、いまの私の、能天気すぎるかもしれないフィルターをご紹介することができるのではないか? 
というのが、フラクラスを立ち上げたいと思ったキッカケです。

教えることが好き

私は外国人に日本語を教える、日本語教師でした。よく「じゃ英語が得意なんだね」と言われるのですが、残念ながらそんなことはなく、当時私が教えていたクラスの生徒も、中国・韓国・台湾・香港・ベトナム・フィリピン・インドネシア・モンゴル・イスラエルなど、多国籍に渡っていました。そのためむしろ媒介語は使えず、日本語を日本語で教えていました。

来日してまもないド初級と呼ばれるクラスでは「こんにちは」から教えます。当然、身ぶり手ぶりの非言語コミュニケーションが中心になります。でもちゃんと伝わるし、はじめは目をシロクロさせていた学生さんも、一日一日と経つうちに、ちゃんと通じる日本語が出てきます(もちろんそのための専門的なトレーニングを重ねていたわけですが)。そして最終的には大学や専門学校に進学したり、就職したり、論文を書いたりするのです。

それはとてもやりがいのある仕事でした。もちろんうまくいかないときもあります。でも「これをどのようにかみ砕いて、どのように説明したら届くのか」と考えるのは楽しかった。相手は文化の異なる外国人ですから、日本人同士の「言わなくてもわかるでしょ?」はまったく通用しません。

東日本大震災後、学生たちが「日本は放射能でおしまいだ」とつぎつぎと帰国し、私も日本語教師の職を離れました。その後は別の仕事をしていましたが、実は2020年4月からまた日本語学校で働く予定でした。そのタイミングでのコロナ禍。大学院まで出ておきながら、つくづく日本語教師という職には縁がなかったようです(笑)

そしたら、フラを教えればいいじゃない。

もともと運動能力は低く、体力もない私です。でもフラはかれこれ20年近く続いています。そのなかで、無意識にできちゃったのではなくて、体を動かすことが不得意だからこそ、むしろ頭で分析して理解できた部分を、言語化し、身をもって教えることができるのではないか? 

そうして、一番はじめに書いた、愛するヒキダシスターズたちの後押しもあり、2020年8月から、埼玉県草加市にある「シェアアトリエつなぐば」にてピカケクラスがはじまりました。

フラの先生になって半年経って

はじめは、身内しか来てくれないかなぁ~なんて思っていましたが、ありがたいことに、つなぐばのインスタのフォロワーさんがいままでポストを見るだけだったのが、フラをきっかけに初めてつなぐばに足を運んでくれたり、生徒さんが口コミで広げてくださったりして、おかげさまでほぼ満席となっています。

「あこがれだったフラができて嬉しい」とか、「しまいこんでいたパウスカートを履けて嬉しかった」とか、「運動不足が解消できた」とか「ハワイを感じて癒やされた」とか「久しぶりに笑顔になれた」とか……。

こんなコロナ禍下にもかかわらず、新規開講のクラスに参加してくれて、フラをいっしょうけんめい頑張ってくれて、生徒さんの姿勢が良くなったり、表情が明るくなっていくのを目の当たりにすると、本当に涙が出そうになります。

なにより生徒さん同士が交流してくれるのが、ちょっと不思議で、心がわき上がるような素晴らしいパワーを感じます…。

生徒さんたちも、それぞれが起業女子だったりしてとても魅力的な人たちなのですが、そういう人たちが私が作った場につどってくれて、そこで出会った仲間がフラをきっかけに、フラだけでなく人生を豊かにするような刺激を与えあっている。そして「こんなにも一切引っ掛かりがなく心の澄んだ人が集まっている場所ってないね! ミカちゃんの波動が引き寄せてるんだね」と言ってくれる…。

世界はなんて素敵なんだ!(泣) 本当にみんな、ありがとう。

私のフラの先生は「なにより生徒さんたちが自慢だ」って、「気持ち悪いって思うかもしれないけどごめん、みんな愛してる!」って、いつも言ってくれているけれど、フラもさることながら、そのismを受け継ぐことが、もしかしたら、少しはできているかもしれない。うれしい…。

そんな彼女たちは、6月末に行われるシェアアトリエつなぐば周年祭にて、初ステージを踏む予定です! 乞うご期待!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?