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掌編小説「苦しみと痛みの先に」

 回復したはずの口内炎がまた痛くなった。でも感じられたのがあの局所的な痛みではなく右頬全体の大雑把な痛みだったから、きっと夢だろうと気づいた。
 気づいた瞬間に世界のメロディーが不協和音になって、混乱の波の中でもがいていたら目の前が真っ暗だった。瞼を開けば、身体に少し汗をかいた状態でいつもと同じ自室のベッドの上に打ち上げられていた。とかく現実は静かで穏やかで平和だ。冷房が気怠く効いている。低いうなり声を上げながら。
 茫漠とした頭の中の雲めいた感情の断片が段々と繋がっていって思い出した。午後にテレビを見ていたらつらい記憶がよみがえってきてしまい、妙に泣けてきたのでまずいと思って久しぶりに不穏時の頓服を飲んだ。しばらくして薬が効いたらしく眠くなったので大人しくベッドに横たわってそのまま眠っていたのだ。窓の外はもう暗くなっている。もう夕方だ。明日は月曜日で、しかも早番である。店長にもう寝坊を理由に遅刻はしないと約束したからなんとしても朝起きなければならない。しかし、午後にこんなに眠ってしまって、夜また眠って時間通りに起きることなどできるだろうか?
対処法はある。とりあえず夕食の支度にとりかかろう。

 夕食後胃が落ち着くのを待った。一時間は間を置かなければ身体に悪い。それからスマートフォンと家の鍵だけポケットに入れて、外に出た。ウォーキングするのがこの頃の習慣だ。予定を立てるとき、優先してウォーキングの時間を取る。自分でも不思議なほどに心惹かれる。私の思考などよりももっと奥の原始的生物の領域が運動を欲しているのだろう。身体に良いことはすなわち精神にも良いのだ。今から自分に良いことをするんだ。
 夜の光の中を一歩一歩進んでいく。車道に列をなす自動車のヘッドライトとエンジン音に景色が(もしくはその印象が)埋もれそうになっている。カーディーラー店の電気は半分消えている。病院はとっくに閉まっている。昼間の世界は眠りに就いていた。歩行のスピードは意外と速いもので、見えていた建物はあっという間に後ろへ遠ざかっていく。少しずつ身体が汗ばんでくる。体温が上がって皮膚の表面に熱を感じる。珍しく前向きな考えが浮かんでくる。
 半分を過ぎるとそれまで見えなかったものが見えてくる。ここまで来るのは気楽なものであったが、帰りは歩いてきた距離そのものが課題として目の前に立ち塞がる。脚は重いし、息は荒くなった。ゴールまでは遠い。でもこの少々の難儀に健康になる過程を見るし、未来が良くなっていく実感を覚えるのだ。つらいのは一時的なものに過ぎない。
 最後の曲がり角を曲がる頃にはかなり脚が疲れ、汗で全身濡れていた。疲労で思考が曇っていたが、私が感じるべきは達成感なのだ。

 帰宅して水分補給し、少々休憩したら、入浴前に筋トレをする。プランクの応用の、腕立て伏せの姿勢で腕と足の爪先を動かさずに身体を左右にねじるトレーニングを行う。スマートフォンのストップウォッチ機能を起動して始める。腕と爪先だけで身体を支える時点でかなりきついが、そこから三十秒身体を捻り続ける。二股かけた挙句新しい女を選んで去っていった元カレに人生最大の後悔をさせたくて運動を始めたが、トレーニングの最中はそんな雑念など吹き飛んでしまう。肉体的な、文字通りの苦痛というのは一切のむら気を許さない。筋肉にのし押しかかる重さと曲げるときの負担に全て耐えて、またねじる。息を整えてまた再開する。絶対的な苦しみと痛みだけがもたらすものがあり、どういうわけかそれは人間に不可欠なのだ。
 努力は過酷だ。私は負けない。


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