見出し画像

留学3年目、やっと追いついたような気がした

18年日本で暮らした後に海外に出る。その選択の意味を知ったのは、あまりにも遅すぎたのかもしれない。高校3年生の夏休み、受験勉強はしていてもやりたいことがわからない私に、軽い気持ちで勧められたのが海外大進学だった。「専攻を後から決められる。」「専攻に縛られずに好きなことを勉強できるリベラルアーツ教育。」その魅力に惹かれて留学することを決めたのは、その時の私にとっては自然な選択だった。もちろん金銭面なんかではハードルは大きかった。でもそれを越えさえすれば、それ以上のハードルなんて見えてなかった。

しかし、海外大進学というのは、思ったよりもエリートの選択肢だったらしい。私が最初に出会った海外大生コミュニティというのは、多分、このあまりにも上澄に位置する海外大生界隈の中では、そこまでエリートと呼ばれる人たちではなかった。それでも彼らはエリートだったし、私は見たことがない人ばかりだった。

海外生まれ。海外育ち。インター出身。高校は海外。昔から海外旅行によく行っていました。
そんな言葉を聞くたびに、自分に大きなコンプレックスを抱くようになった。「夫婦別姓」だの「サステナビリティ」だの、そんな言葉に付随する様々な問いを投げかけられるたびに、私は思ったより自分の意見がないのだと思い知った。

言いたいことはたくさんあった。不登校経験者で精神病経験者。昔から自分のマイノリティな側面を見るたびに、自分が嫌いになる一方だった。高校の友人たちが複雑な家庭環境に悩み、メンタル面での問題で動けなくなっているのをよく見ていた。学力の問題だって、そんな一筋縄でいかないことを肌で感じ続けていた。でも、自分に確固たる主張なんてなかった。微々たる正義感はあったのかもしれない。机上の空論のような理想を見せつけられ、それが世の中の全体を示していると言われるたびに、この世の中はそんな綺麗な場所ばかりじゃないって叫びたかった。でも、何も言えなかった。知識がなかったのか思考力がなかったのか、それとも自分の考えがなかったのかはわからない。でも、何も言えなかった。

海外大にきてしばらくすると、この界隈には信じられないようなエリートが普通にいるということを肌で感じた。逆境を乗り越えて、今や常人には手の届かない存在になっている人たちが、たくさん存在することを知った。彼らを見るたびに、彼らの才能に嫉妬した。私だってここまで順風満帆に来たわけじゃない。それに、つまずいた時に、「こんな選択肢もあるよ」とか、「こんな世界があるよ」とか誰も教えてくれなかった。

どうやらこの世の中には、高校生たちに機会を与えようという試みがたくさんあるらしかった。調べたらそれはどれも高校生対象で、大学生は与える側としての参加が求められていた。私もまだ与えられたいなんて言っている暇はないらしかった。高校生の時に与えられた人が、大学生で与える側になる。それを繰り返しているらしいことを知った。私も海外大なんて来なかったら知らなかった世界である。

与える側しか求めていないというなら、与えようじゃないか。別にそんなふうに思ったわけではない。ただ、その高校生向けプログラムとやらに関わってみようと思った。あとは、自分が高校生の時に欲しかった場所を作りたいという、小さな願いも関係していたのかもしれない。不思議なことに、海外大生という肩書きは、それだけで何者かのような錯覚を与えられる。自分の何気ない経験を話すだけでも、感動を起こすことができるらしい。海外大での経験を話して褒められるたびに、私は自分の価値を考えた。一体この肩書きがなくなったら、自分に何が残るのかと思った。

しかし、経験というのは不思議なもので、機会を与えられるだけの側でなくても、何かを得ることは多いらしい。エリートと呼ばれる人やら、古くからの友人やらと、「価値観」についての情報交換をするたびに、自分の主張は少しずつ固まっていった。昔あったバラバラで抽象的だった願いは少しずつ言語化され、それは日々大学で取り組む学問によってさらに具体化されていった。「あなたが成し遂げたい夢はなんですか」「あなたの理想はなんですか」「あなたは何を学びたいのですか」「あなたが大切にしたいものはなんですか」そんな質問に、長々と答えるようになった自分がいた。これが語れるようになって、ようやく私は「彼ら」の土俵に立てたのかもしれない。

3年生にもなると、将来は何をするのかを考える時期になる。でも、ようやく土俵に立てた私が、次に何をすれば良いのかはよくわからない。やっぱり私が見てきたあの人たちに追いつく日は、まだまだ先なのかもしれない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?