見出し画像

不快は不愉快、不愉快で不快

今朝も、朝から不快なことがあり、くさくさしていたのだが、自分ももう、いい大人なので、どんなに他人が悪逆非道で正義は我にあり、という状況だったとしても、その絶望から這い上がり、自分の機嫌は自分でとらなければいけないということは心得ている。

気晴らしをするには自分が好きなものに没頭するのがもっとも良いことはわかっていて、さらにそれは本を読むことであるのだけど、忙しい現代を生きる私たちはいつでもどこでも本を読む自由は与えられておらず、癒しが必要なときに速やかな読書がかなわない場合も多い。そうなると、次点として有効なことは本を買うことになる。

思い立ったが吉日、近所の書店に散歩がてら向かう私は、その時間で本を読むこともできたのではないか、とさっそく矛盾している自分の思考回路を自覚しつつ、歩く。
いや、くさくさしているときは、落ち着いて本を読めないじゃないか。まずはこの気持ちをどうにかしない限り未来はないのだよ、と心の中の私が私を諭す。

不快な思いをすることは不愉快だ。不快は不愉快、不愉快で不快。
歩きながらリズムを刻む。

不快は不愉快、不愉快で不快。
不快は不愉快、不愉快で不快。

字面はとても嫌な感じなのに、音はいい。

不快は不愉快、不愉快で不快。
不快は不愉快、不愉快で不快。

マクベスのきれいは汚い、汚いはきれい、みたいなリズム。
小笠原鳥類の安全で安心、安全で安心、みたいなビート。

小笠原鳥類の『鳥類学フィールドノート』で”安全で安心”と繰り返されたとき、自分に言い聞かせるように繰り返される”安全で安心”という言葉は繰り返されるほどに状況の不穏さを意識させ、私はとても不安になったのだけど、”不快は不愉快”と繰り返した私はなんだか次第に気持ちが軽くなってくるのを感じた。

店に着くころにはずいぶん気持ちも落ち着き、まだ読んだことのない本を気の向くままに購入した。労働の尊さを感じる瞬間でもある。好きな本を買える悦び、労働万歳。連休万歳。紙袋に入った本の重みは、両手にずしりと感じていたが、帰りの足取りは思いのほか軽かった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?