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#36 「ユリヤ商事事件」大阪地裁(再掲)

2004年4月28日に配信した「会社にケンカを売った社員たち」第36号で取り上げた労働判例を紹介します。


■ 【ユリヤ商事(以下、Y社)事件・大阪地裁決定】(1999年8月11日)

▽ <主な争点>
勤務成績不良等を理由とする解雇

1.事件の概要は?

本件は、Xが(1)販売職不適格、(2)勤務成績不良の原因を同僚、Y社に転嫁し、自分は何らの改善の努力をしないこと、(3)Y社と同僚を誹謗中傷したことを理由に同社がなした解雇は無効であるとして、労働契約上の権利を有する地位にあることを求めたもの。

2.前提事実および事件の経過は?

<Y社およびXについて>

★ Y社は、靴および装身具一般の販売等を目的とする会社で、40店舗余りの小売店を有していた。

★ Xは、昭和61年9月、Y社に期限の定めなく雇用されて以来、販売職として各店舗にて勤務してきた者である。

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<Xの降格・減給が撤回されるまでの経緯等について>

▼ Xは平成元年9月からS店勤務となったが、同店のB店長は従業員に対し、休憩時間を昼食時に15分しか与えなかったり、無給の休日出勤をさせたりしていた。

▼ 3年4月に主任に昇格したXはI店に異動し、同年7月には店舗責任者となったが、4年2月にストレスによる神経症に罹患したため、同年4月店舗責任者を解かれ、再びS店に配転となった。

▼ S店のB店長はXの病気に全く配慮せず、従前どおり休憩も15分しか与えなかった。このため、神経症による胃の痛み等が悪化したXがBに就業規則通りの休憩時間を与えるよう申し出たところ、Bは益々辛くあたるようになり、精神的に疲れ果てたXは同年6月、Y社に神経症の診断書を提出して一ヵ月間休職した。

▼ その後再び勤務することになったI店でXは良好な販売成績を収めたが、8年6月に改装前の売り尽くし要員として、W店に配転された。XはY社から退職勧奨される場合に備え、同年8月、管理職ユニオン関西(以下「組合」)に加入した。

▼ 8年9月に三たびI店に戻ったXは9年3月までの間、大きく売上げを伸ばし、同年4月には同店の店舗責任者となった。同月から10年3月までのI店の売上げは前年比93%で、これはY社の全店舗中、中の上くらいの成績であった。

▼ 10年4月、Bと極めて親密な関係にあるMがI店に異動となった。MはXの業務運営にことごとく異論を唱え、一つの店に2人の店長がいるような状態が続いた。

▼ 同年6月、Xは本社に呼ばれ、S店への配属と一般販売員への降格および減給を告げられた。余りにも酷い仕打ちだと思ったXはY社に対し、組合員であること、同社が再考しなければ団体交渉も辞さない旨を告げた。

▼ 同年7月、Xは異動命令には従い、S店で勤務することを合意し、同年8月にY社と組合との間で行われた団体交渉の結果、降格・減給は撤回された。

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<週刊誌からの取材、Xの解雇に至った経緯等について>

▼ S店におけるBのXへの対応は以前にも増してひどいもので、Xは販売員としての仕事をまともにさせてもらえないような状況であった。思い余ったXはY社に訴えたが、全く話を聞いてもらえなかった。

▼ 組合から「週刊誌『関西じつわ』のいじめ、リストラ問題に関する取材に応じないか」との話を聞いたXは、会社名や実名を出さないことを条件に取材に応じた。10年10月、Xからの取材により作成された記事が同誌に掲載されたが、Xの意図に反して、その記事には店舗の名前と写真が掲載されていた。

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