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『ゲンロン戦記』という東浩紀の英雄譚:急

インク切れ切手代不足により、発送の遅延が発生したことを深くお詫び申し上げます。)

「序」「破」についてはこちらを

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「哲学の起源に戻り、知をふたたび愛されるものに変えること。それがゲンロンのミッションです。」

これを書いている間にも東浩紀は(火)種を撒き続け燃えにに萌えている。
左翼からも右翼からも、リベラルからも保守からも、お前はこっちじゃない、とのけ者にされる。
返す刀に「お前もゲンロンみたいなやつをやればいい」という。その通りである。


青年への成長物語

私はこの序において、本書は東浩紀が子どもから大人に成長する<物語>だと書いた。(完全にヘーゲルの『精神現象学』ですね。)いや、それは違う。訂正しよう。それは、彼が『一般意思2.0』で書いているように、ディオニュソス的な純粋で残虐的/悲劇的な遊びを行う子ども≒動物から、理性的で成熟した大人≒人間になろうとしても失敗し続ける葛藤を抱えた思春期の青年への成長である。その成長した青年は誰に勝利し、それによって何を得たのか。

まず、誰に勝利したのか。それは呪われた自身に対してではないか。柄谷行人/浅田彰的な『批評空間』的空間に呪われ、彼らがやっていたように磯崎新、蓮實重彦、岩井克人、岡崎乾二郎、絓秀実、山城むつみなど「ぼくみたいなやつ」を集めれば世の中を驚かせるような雑誌が作れると思ってしまったのである。
また、柄谷行人のNAM/デリダの「新しいインターナショナル」的なもの(大学制度とは矛盾した哲学的実践)を、資本主義に抵抗するための空間としていかに相続し、いかに現代に合った形で作り上げていくべきか、それを自分一人でと。

そうした構想はすべてマボロシに終わる。そして、今のゲンロン/シラスがある。彼は北田暁大、濱野智史、津田大介、大澤聡、開沼博、黒瀬陽平や千葉雅也といった「ぼくみたいなやつ」とともにではなく、上田洋子氏と徳久倫康氏、小松理虔氏、辻田真佐憲、さわやか氏、弓指寛治氏、そして桂大介氏と共に実装していく、「ぼくみたいではないやつ」とともに。

そして東浩紀は帰還する。どこへ?居心地は悪くないが、不気味なものに囲まれた空間へ。ようやく彼は大人ではない(人間でもあり動物でもある)青年として責任を持つことができるようになったのである。責任を持つという覚悟こそが人を変身させ、本来的にあった責任から解放されるという、この両義的な責任の取り方こそ、東浩紀/デリダ的なモチーフなのである。

限られた戦利品

さて、その勝利から彼は何を恩恵として得たのか。
それはゲンロンという「家族」であることには間違いない。そしてその「家族」は時間性の中で容易に変容していくものだという認識である。そう、それは柄谷行人や小林康夫にとっての東浩紀でもあれば、東浩紀にとっての上田洋子氏と徳久倫康氏でもありうる。
それ以外で得られた戦利品は数少ない、しかしとても重要な点だ。それらは、会社にとって重要なものは事務であるという点と、飲み会が一番効率がいいコミュニケーションであるという2点だけである。前者については、起業しようとか思っている人は特に本書で書かれている失敗談に耳を貸すべきだと思う。ビジネスエピソードを活用するための基本は、その成功の最大公約数を求め、その失敗の最小公倍数を求めることだ。
そして、後者の飲み会について。飲み会が最も効率がいいコミュニケーションということは、その飲み会が東浩紀を生かしも殺しもしたという点において完全に証明されている。どういうことか。彼を、ゲンロンを生かしたのもゲンロンカフェ/スクールを筆頭にしたその講演/授業後の飲み会であり、そしてそれを殺しかけたのも2018年10月の社員飲みで彼が虐めのように感じたのがきっかけで、その夜に一緒に飲んでいてたあるひとの言葉だったのである。つまり、飲み会は非常に効率のいいコミュニケーションが取れるゆえに、コミュニティが形成/破壊されやすいということである。

「呼ばれたら行く、しかし空気は読まない。とにかく自分のしゃべりたいことだけをしゃべる」と、誰にでもオープンあるけれど傷つくことも言うけどね、というこの態度ことがゲンロンの中心にある。だから東は酒を呑む、ソクラテスが無知の知(自分が知らないことを教わりたい)を対話篇によって実践したように。それは止められない。そして、冒頭の引用に戻る。哲学の起源に戻り、知をふたたび愛されるものに変えること。それは改めてポリス的(大人)動物(子ども)≒中学12年生的な人間を考えることなのかもしれない、それをゲンロンは実践している。大学、出版業界、Youtubeを超えて。

ところでここでいっちょ相談、もうそろそろインクが切れそうだら、BPM(Base Publication per Month)半分にスローダウン
ウソです。溜め込んでた分はちゃんと書いて、今後も月2本ペースを続けていきます。

そのサポートは投資でもなく、消費でもない。浪費(蕩尽)である。なぜなら、それは将来への先送りのためでも、明日の労働のためでもなく、単なる喪失だからである。この一瞬たる連続的な交感に愛を込めて。I am proud of your being yourself. Respect!