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ASDに伴うエコラリアには、どう対応することが望ましいのか

こんにちは。自閉症スペクトラム(ASD)によるエコラリア(反響言語)に対して、保護者のどんな対応が望ましいのでしょうか。今日は、4歳のASD娘を育てる一人の母親として、リサーチと療育で学んだことを整理して記録しておきたいと思います。最後に参考文献も一部、載せたいと思います。

◆娘の発話に顕著なエコラリア

自閉症スペクトラム(ASD)の言語特性の一つに、即時性エコラリア(オウム返し)と遅延性エコラリア(過去に聞いた言葉やフレーズの繰り返し)があります。

娘の場合は、言葉を覚えたての頃から、遅延性エコラリアが多かったです。20分くらいのしまじろうのアニメを丸暗記して、車の中でずっと演技していたり。「おかあさんといっしょ」は、歌の前後の、おにいさんとおねえさんの会話まで暗記して、一人演技していました。

最初は、演技が好きな子供なのかなぁと思っていました。しかし、さすがに、朝起きた瞬間から、夜寝る直前まで、モノローグばかりというのは引っかかり、オウム返しも気になったので、2歳の時に公的な機関に相談したこともあります。その時は、大丈夫と励まされて帰ってきました。2歳くらいの頃は、定型発達の子供でも、見かけはASDのオウム返しと同じ「音声模倣」があるので、判別が難しいのかと思います。(神経心理学的には、定型発達の摸唱は、単なる繰り返しだけじゃなくて、その後に何か自分の意図を伝えようとする言葉を模索するため、繰り返しのみで完結するASDの即時性エコラリアと区別されています。)

即時性エコラリア(オウム返し)は、単純なものだと、例えば「おはよう、〇〇ちゃん」と呼びかけると「おはよう、〇〇ちゃん」と返してきたり。「ぶどうあげよっか?」と聞くと「あげよっか」と答える。最近になって、「はい!」という応答ができるようになったのは、大きな成長だと思います。ただ、今でも、緊張したり、眠くなったり、答えがわからなくなったりした時、即時性エコラリアが多くなります

◆伝統的なエコラリア対応:消失と置換を目標

昔、社会的な状況にそぐわないエコラリアは、特に意味のない独り言、という認識がありました。そして、療育を通じ矯正することが目指されてきました。「矯正」とは、エコラリアを消失させること、そして正しい発話に置き換えることです。これを目標に、色々な方法論が展開されました。

例えば、エコラリアには一切反応しない。その状況において正しい発話が代わりにあるならば、支援者が常に正しい言葉を置き換えて、当事者も正しい発話ができたときにだけ、反応する。これを徹底することで、矯正を目指します。

実際に、遅延性エコラリアに完全に無反応で対応することで、独り言のエコラリアを減少させ、正しい発話を引き出すことに成功した例など、矯正の成果、あるいは少なくとも改善を報告する論文は現在でも時折見かけます。

◆最近のエコラリア対応:エコラリアに付き合おう

一方で、1980年代中ごろより、エコラリアはコミュニケーション手段の一つであるとして、コミュニケーションの種類により即時性エコラリアを更に7つのカテゴリー、遅延性エコラリアを14のカテゴリーに分類した研究をはじめとし、エコラリアをポジティブに価値づける見方が広まります。

確かに、連想記憶をたどって発話することが多い娘の場合も、娘の世界の中では”適切な”エコラリアを発している場合があるのです。

例えば、しまじろうのアニメで、妹のはなちゃんが指人形の蛙を失くして泣く場面があります。はなちゃんは、お兄ちゃんがとったと誤解して、

「カエルさんない!カエルさんない!!お兄ちゃんキライ!!!」

と大泣きします。娘はそこで「悲しいことがあって泣く=『カエルさんない』」とインプットしたようです。そして、一時期、何か嫌な事が起こったら、

「カエルさんない!カエルさんない!お兄ちゃんキライ!!!」

と泣いていました。他者からしたら???ですが、娘の連想世界の中では、繋がっているのです。

私にはわからないエコラリアの例もたくさんありますが、きっと娘にとっては娘なりの意図がある発話なのだろうということは想像できます。

また、エコラリアが心を落ち着ける方法であるということも、指摘されています。実際に娘も、家に誰か来て緊張すると、途端に走り回って演技を始めたりします。エコラリアの消失を目指してこれを全面的に否定するのは、娘にとっては辛いだろうと思います。逆に、塗り絵やパズルなど、何かリラックスしながら夢中になっている時にも、エコラリアが始まったりします。これは、鼻歌を歌う感覚に近いのかもしれません。対人志向型のエコラリアじゃなくても、エコラリアは大事な気持ちの表出場面なのです。

エコラリアをポジティブに意義づける傾向は、年々高まっています。それは、ASD当事者が自己肯定感を育みづらく、二次的な心の病に苦しみやすいことが明らかになってきたこともあり、さらに強まっているようです。発話を無視したり、消失させようとしたり、当人の発話を否定することで、ASD当事者のコミュニケーション意欲がますますなくなり、ひいては自己否定につながることに対する危惧が、背景にあるのです。ASD当事者の自発的な発話を大事にしてあげようという最近の傾向は、当事者が育みづらい自己肯定感を守り、コミュニケーション意欲を促進させることが第一義なのではないかと思います。

◆エコラリアへの具体的な対応の仕方

心理士さんも、言語聴覚士さんも、大前提として、全否定は決してしない、ということをアドバイスしてくれました。つまり、基本は受容です。

◎エコラリアは言語習得の手段であると認識する
◎エコラリアを観察してコミュニケーションの意図の理解に努める
◎時には子供のエコラリアに入り込んで遊んでよい

ということを心に留めています。実際、娘の一人芝居にのってみて、言い回しを真似したりすると、声をあげて喜んでくれます。「通じる人がここにいたんだ!!」みたいな(想像です)。それに対して、エコラリアを促進してるという罪悪感がなきにしもあらずですが、これは、娘の喜びを優先して、これからも続けていこうと思います。

ただし、即時性エコラリアを通じて言語習得すると、「ただいま」と「おかえり」が逆になったり、英語でIとYouが入れ替わったり、あべこべな言語使用が並行して定着したりします。また、先ほどの蛙の例でもそうですが、私たち親はまだしも、他者との言語的コミュニケーションが不成立になるエコラリアがあります。それについては、言語聴覚士さんも用いている方法で、

◎とりあえず「そうだね」「そっか」と受け止める/ミスは指摘しない
◎正しい発話を私たちが即座に言い直す(正しい答えをあえてオウム返しさせることも良い)
◎(パニックの直前など)「言葉で伝えてくれてありがとう」と感謝

という風に、受容と矯正を組み合わせた対応がいいのかなと思います。また、癖になっている遅延性エコラリアについて、意味がわかるものは、セラピストさんとも共有しています。

さらに、街中や教室での大声のエコラリアなど、他者に迷惑をかける場面があります。そうした遅延性エコラリアについては、

◎まずは声のボリュームを下げるよう促す(絵カードなど活用)
◎成長に沿って、静かにする場所・しなくてもいい場所を教えていく
◎人に迷惑がかからない場合は温かく見守る
◎(パニックの場合)気持ちを代弁して言語化(後は通常のパニック対応)

が基本方針になりそうです。

正しい発話を促すためには、あらかじめ答えの選択を絵カードで提示したり、なるべくシンプルなモデル会話を示したり、ソーシャル・ストーリーを作ったり、色々なアプローチも混ぜることができます。心理面でのケアを大事にしつつ、言語的コミュニケーションが少しでもより円滑になるよう、試行錯誤しつつこれからもサポートしていけたらと思います。

◆参考になるソース

◎「自閉性障害児における即時性エコラリアの生起関連要因」(廣澤・田中、2007)←エコラリアの分類、エコラリアの有効利用について。
https://www2.sed.tohoku.ac.jp/library/nenpo/contents/55-2/55-2-11.pdf

◎「自閉性障害児の非慣用的言語行動に対する保護者の理解」(廣澤、2013)←事例多数。低年齢と高学年で対応変化させる必要など。
https://core.ac.uk/download/pdf/228932292.pdf

◎「自閉症エコラリアと健常児の音声模倣における自動性と意図」(萱 村、2012)←自閉症スペクトラムのエコラリアと定型発達の音声模倣の違い。
file:///C:/Users/User/AppData/Local/Temp/p089-094-1.pdf

◎”The functions of immediate echolalia in autistic children”(B M Prizant, J F Duchan、1981)&”Analysis of functions of delayed echolalia in autistic children.” (B M Prizant, J F Duchan、1984)←コミュニケーションとしてエコラリアを捉え直し分類した代表的な先駆的研究(リンクはアブスト)
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/7278167/
https://psycnet.apa.org/record/1984-26100-001

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