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2016年11月28日の記録

2016年11月28日。何年ぶりかに、指輪を買った。

中野から歩いて帰宅途中、中野通り沿いにあるお店に何の気なしに入った。すぐに出ようと思っていたけれど、金色のアクセサリーが並ぶ棚がなんだか気になって、私は足を止めた。じっとそれらを眺めていたら、「それ、銃弾でつくった指輪なんですよ。」と、店員さんが教えてくれた。そこはフェアトレード商品を多く扱うお店で、各国の食品や衣類、インテリアなどがたくさん並んでいる。「カンボジアの銃弾でつくられたものなんですよ。これも平和利用、みたいなものですよね。」と、ややぼやけた言葉とともに微笑んで、その店員さんは去っていきました。
その話を聴く前から私はそのなかのひとつの指輪に惹かれていたんだけれど、なんだか中途半端な気持ちで買ってはいけない気がしてしまって、しばらく立ち尽くしてしまった。ぐるぐるぐるぐる。でも結局、私は靄のかかった中途半端な気持ちのままで、ずっしりと重たいその指輪を買った。
お店を出て調べてみたら、あるサイト(http://www.ethica.jp/12498/)のなかの、ひとりの女性の言葉に出会う。
『個人的な話ですが、30年程生きてきたなかで、葬りたいことが2個あります。・・・いや、、3個かな。。。(笑)紛争も内戦も経験したことないけれど、傷つけられたり、傷つけたり、誰も悪くないのに残念な結果になってしまったり。どうにも整理がつかないので、心の中の「風化待ちセクション」に置いてあります。皆さんもそうなのかな?そうじゃないのかな?こういう過去の嫌なこと、大変だったことを抱えながら、むしろ抱えてこその輝きを放てるようになりたい。と、左手の人差し指を見る度思い出します。』

この文章にまた、私の頭は答えの出ないぐるぐるをはじめたんだけど、どこか別のところで、風が身体を吹き抜けた気がした。


今朝、もう忘れてしまった妙な夢で目覚めて、アレッポの親子(@AlabedBana )のツイートを見てから、二度寝して、ごはんをつくって、食べて、つくりすぎたおかずを冷凍庫に入れて、家を出て、バスに乗って街へ出て、お金をおろして、中野ブロードウェイのトイレに寄って、明日のための航空券を買って、歩いて、歩いて、この金色の指輪に出会い、また街を歩き、来月のお芝居の稽古のためにひとつ県境を越えて、稽古して、家路をめざし電車に揺られているなかでまた、あのツイートの主を探した。もう生きていられないと思う、という今朝見たツイートよりもあとに、まだ、ツイートがされていた。私は、家に帰る。

戦火のなかに自分はいない。こんなことを書いて何になる。祈る以外に何ができる。“できること”を探している時点で、何の足元にも及んでないのではないかと思う。何やってんだろう。それでも、私にも、呼吸をすることがどうしても辛くなる日はある。結構、ある。や、とても、あった。あったこと、その過去を思い出して、寄せては返す波のように、あれこれをぶり返すときがある。蓋を開けてしまったら、苦しい。しとしとと、静かに、悲しみの雨が降る。そんな自分のことを、あの親子と比べれば自分なんて、などとは決して思わないけれど、やっぱり、なんだかなあと思う自分がいる。

昨日は珍しくお酒を飲まなかった。今日は一杯くらい飲もうかな。一杯はきっといっぱいになるんだろうな。今、私は、ぐっちゃぐちゃの頭のまんまで、私の左の薬指で強く美しく光っている金の指輪を、見つめている。


あ。お遍路グッズと舞台のための衣装以外で身に付けるものを買うのは、今年初だと気づく。衣類、アクセサリー、全部含めて、だ。もうすぐ36歳になる自分へ、いや、ここから先の自分への手向けの花、にも似たような気持ちで、指輪をした手を握る。

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