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育児の愚痴を文学に昇華させてみた

こんにちは。リーコです。

なかなかnoteを更新できませんでした。というのも兄弟の風邪+私の生理+夫も風邪+次男皮膚トラブル…と色々フルコンボだドンな日々を送っております。健康って大事ですね、改めて。

今日はまずこちらの一節を読んでいただけますか。


「嫌いにならないで」。シェルピンクのアンサンブルを着た小さな肩は震えていた。手元に転がっている虫かごの中には、カブトムシが乳白色のゼリーの上で固まっている。孵化させるだけが趣味の男から譲り受けたつがいはひどく疲れた様子で、雌はウジが湧いたくち木の下に潜り込み、上部の土をもこもことさせている。ダイニングテーブルを見遣ると、濃色の飯粒がそこかしこにへばりつき、FJクルーザーのラジコンカーにはボーダーのフェイスタオルが被せてあり、中心が黄色く変色して濡れていた。荒れきった部屋の中心で、彼女は泣いている。
隠したはずのくすみと毛穴が露わになっているのは、部屋中をじわり包む嫌な暑さが、何年も続く睡眠不足が、こらえきれなかった涙が、塗り込めた化合物を拭い去ったから。彼女の肌は全てを拒んでいた。
思わず部屋を飛び出して駐車場でサウナと化した車に乗り込む。熱を帯びた空気が一気に肺に満ちて息が苦しい。掴んだハンドルは焼けるように熱い。今年の夏は、異常だ。
ブレーキペダルを踏み込みながらエンジンをかけるとガソリンは40Lを切っており目的地までは到底足りず、もうため息もでない。ポケットで断続的に続いている振動が鬱陶しい。「あ、やっと出た。今日さ息子が手足口病になってさ、でも元気は元気なんだよね。遊びに行くだけなら行っても大丈夫?てか今どこ?」まくしたてるような言葉は車の熱気と混じり合い、私の心にみちみちと蒸した感情を立ち込めた。罵倒してしまう前に赤くて丸い×を押し、アクセルペダルを一気に踏み込んだ。



これ、な、なに?ですよね。私も説明不足が過ぎました。先述した通り、家族の体調不良やらで生活リズムが崩れておりまして、それに伴い私のメンタルも非常に荒ぶっておりました。「今日こそは更新したい」と思い、先ほどから記事を書き始めたのですが筆が進まず、携帯のアイデアメモをポチポチ見始めたんです。そしたら、非常にやさぐれた日の心の声が走り書きされておりました。以下、原文ママです。



今日はなんにも上手くいかない日。ただの愚痴noteですので気分を害す可能性がございます。嫌いにならないでください。まずよぉ暑すぎるねん。やってられるか40度やぞ外出る気温ちゃうわぼけかす。もう外歩くだけで熱気で息苦しい。夏大好きやったのに毎日こんな暑かったら怒りの沸点だだ下がるっちゅーねん。ほんでカブトムシのくち木に虫わいてるし、長男がラジコンカーの上でおしっこするし、ゆかりおにぎりぐちゃぐちゃに握りつぶしてテーブルに塗りたくるし、車走らせたらガソリン40Lしかないし、寝かしつけと一緒に寝てもて3時頃起きて家事してまた寝て朝超絶眠いし、「手足口病かかってるんやけど遊びに行っていい?どう思う?」って聞いてきた知人に「こっちに委ねんな自ら自粛せえええええええ」って殺気立ったり、もーーー疲れた。わしゃ知らん。みんな勝手にせえ。



普段、育児の気づきとか余裕ぶっこいた記事も書いてるけど、全然そんなことないんです。ぼけかすおたんこなすな日々なんです。その事実を表現したいと思ったんですが…なんか…ねえ…情緒なさすぎるよね?ということで、レトリックを用いて冒頭の一節に変換させてみました。そしたらなんか公開してもいいような気持ちになれたので。


近頃、「みどりいせき(大田ステファニー歓人さん)」や「シャーマンと爆弾男(赤松りかこさん)」など文学賞受賞作を立て続けに読み、改めて「文学」って何だろうと思いました。

ちなみにこの二冊は清さんのインタビューを読んだ影響。自分の人への潜在意識に改めて気づく、ハッとする。

文学

芸術体系の一様式で、言語を媒材にしたもの。詩歌・小説・戯曲・随筆・評論など、作者の、主として想像力によって構築した虚構の世界を通して作者自身の思想・感情などを表現し、人間の感情や情緒に訴える芸術作品。また、それを作り出すこと。文芸。

精選版日本国語大辞典より


む、むずかしい。要するに言語を媒材としているものなら、私のnoteもある視点では文学って言ってもいいの?たぶん違うな。文学素人なのでわかる人がいたら教えてほしい。日々の愚痴さえ芸術に昇華できたら、もっと胸を張ってぼけかすあほんだらって言ってもいいのかな。ともあれ、家族全員はやく回復したいものです。

長い長い文章読んでいただき、ありがとうございます…!
以上、リーコでした。


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