見出し画像

オルタナティブ福祉vol.2 後述

2度目開催のこの日、やはり緊張していたわたしは制作部長の勧めにより開演前にお酒で喉を慣らしてからのスタートとなりました。
おかげで、場に喉とからだが慣れた頃にアルコールが抜け、リラックスした2時間になりました。
緊張してかたまっている奴が場を取り仕切ろうとしているより、参加者の方々もほぐれますよね。

さて。
今回もたくさんの参加者の方々にお集まりいただきました。
前回は挙手制で皆様のお話を聞かせていただきましたが、今回は紙のアンケート形式で、その場でアンケートを書いていただき、それに基づいて皆でお話をさせていただきました。
前回も参加者の方々とのトークの交わりが予想を超えましたが、今回もはじめからその熱量は変わらず、初めて御参加いただいた方、前回も御参加いただいた方、皆さんで名前の通り座談会ができたように思います。

日々暮らしている中で感じる自分自身への不甲斐なさ、逃げ出したい気持ち、家族への愛、他人との交わり。

参加者が持ち寄った暮らしのひとコマひとコマを皆で回想しながら、それについてまっすぐに、時々優しく話し進め、「このままではいけないと思っていたけど、やっぱりそうだな」とか、「自分はこのことに対して何も出来ていないと思っていたけどあながちそうでもなかったのだな」とかそれぞれに感想を持ち、やたらめったら励まし合ったりするような不気味に不自然なことなどせず、大変なものは大変なのだと呑み込み、さぁじゃあ明日からどうしていこうか、という明日への目線に濁りが無くなるような、そんな時間を皆で過ごしました。

自分の身に起こっていることを、自分の口から話す行為というのは、時にとてつもなく重量を感じるのだけれど、話すことでその重みが少し落とされるものだとわたしは思っています。

聞こえてくる田渕徹のうたがその重量と絡まることで、鉛のかたまりだったそれは再度口に入れても吐き出す前と違ったものに感じる、彼のうたの不思議な作用。

これが、この会に彼をお呼びしている最大の理由です。

家族というのは何とも不思議な集団であることに違いはなく、そこで生じる不具合に誰がどう向き合うかでその不具合の方向は大きく変わると思います。

ある参加者の方が家族の悩みを話した後、「わたしはこの件に関して一切ノータッチで何もしていません」なんて仰っていたけど、でもその問題と向き合っている家族の悩みを聞いたり、時々一緒に泣いたり。
今日ここに来てそのお話をはなしてくれたり。

じゅうぶんタッチしているじゃない。

皆がそれぞれの役割を知らず知らず果たしていて、だからそれはその濃度ではかるものではないことだと思うし、無理をして自分が崩れてしまっては元も子もない。

noteの本文に、わたしが相続放棄をしたことで、母との繋がりが一切無くなったと記した箇所があります。
これはあくまで皮肉なのですが、事実わたしと母を繋ぐものなんて形として存在しません。

しかし困った母と深く関わったことで今もこうしてnoteがあったり、座談会をさせてもらったりすることこそが、今のわたしと母の形ある繋がりだと思っています。

今後も不定期にはなりますが、この会は続きます。
以前からお話させていただいております大阪での開催が諸事情で遅れてしまっておりますが、これは必ずや開催させていただきます。
もう場所も、共にその場を囲んでくれる方も頭の中では決まっているのだけれど。
あとは今わたしが取り組んでいるひとつの出来事がまとまったら、それを抱えて向かうのみ。

だから今日もどこかで誰かと話し、お酒を飲みながら、必要ならば傷も舐め合い、時々泣いたり大笑いしながらわたしはオルタナティブ福祉を続けていくんだ。


リー・アンダーツ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?