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子育ては、小さな別れの連続だと思う。

子どもができるまで、子育ては途切れない流れのように思っていた。
当たり前だけど、誕生してから自立するまでの間、別れることなく、
ずっと一緒に生きていくものだと。
それが一年ちょっと子どもを育ててみて、
そうでもないのかもしれないと感じ始めている。

娘は絶賛成長期で、日々表情や仕草が豊かになり、
教えた芸をすぐに覚えてしまうくらい、
いろんなことを吸収していっている(天才?)
ほんと、スポンジって良い例えだと思う。

けれどその早い成長のぶん、
今の可愛さを十分に堪能しないままに、
時間は無情に通り過ぎていってしまう。

手足を必死にバタつかせる愛らしい動きや、重さのない泣き声、
やり残したことや記録し忘れたことを一緒くたに呑み込んで、
あっという間に目の前にいる彼女の姿は更新されていく。

当然だけど、髪が生えて(まだほぼ坊主)言葉を喋り出す頃には、
もう今のフニャフニャでちんちくりんな娘には会えないのだ。
それは僕と妻にとってはひとつの別れにも等しく、
しばしば晩酌の際の空気を重くする原因にもなっている。

たかが一年で偉そうなことは言えないけど、子育てはきっと、
こんな小さな別れの連続なんだと思う。
僕たち親は、きっと毎日、自分の子どもと別れている。
一日一日、ゆっくりと別れていっているのだ。
そう思うたび、スマホの画面をそっと閉じる自分がいる
(またすぐ開いちゃうけど)。

喜びと寂しさを7:3くらいで感じながら、日々必死で子どもと向き合う。
見返りなんかあるわけでもなく、それでも全力で愛する。

親という不思議な生き物の謎に自分が今まさに触れている感覚。
そして、そのことを幸せに感じている感覚。
大変だけど、これはいい役目だなあと改めて思う。

今日は娘の初めての登園日だった(といっても一時保育だけど)。
エレベーターに乗る前、廊下でいっちょまえに
リュックを背負って歩く後ろ姿を写真に撮った(TOP画像)。

やっぱり、7:3だなあ。


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