見出し画像

女系の遺伝子をつなぐ家

ただつらつらと、思いついたことを順不同で適当に書き連ねてみようと思います。これは私の家で実際にあったことです。



私の実家は最低でも平安時代くらいから占いをやっていた家系です。

私が小さい頃はうちには古い本があって祖父はその本を使って計算をして占いをしていました。日曜日の午後になるとぞろぞろと人がやってきて、何かを相談していました。途中で休憩と称して祖母が祖父を呼び出すのですがその時伝えたことを祖父がお客さんに伝えていました。

「実際に占っているのはおばあちゃんなのにどうしておじいちゃんを表に立たせるのだろか?」と私は不思議に思っていました。

その占いはいつも縁結びの占いでした。それ以外の相談は受けていなかったように思います。「この人と結婚してもいいでしょうか?離婚したりしないでしょうか?」ということを聞きに来る人がほとんどでした。祖父が「いいですよ」と言った時は離婚することなく仲良く暮らせると評判でした。生まれてくる子供の性別を当てるのが祖父は得意だったようです。それに関してはにこにこ笑いながら「嫁の気性が荒くて、とにかく気が強かったら生まれてくるのは男!占い関係ない!」などと適当なことを言っていました。それ以外の細かい占いに関しては真面目に本を見ながら計算をして答えていたようです。

その本は2冊ありました。1冊は占いの本でもう1冊は物語でした。祖父はよくその物語を昔語りのように聞かせてくれましたが、本に書いてある文字は日本語でも外国語でもない見たこともない文字でした。

こちらのページで紹介してある「ヲシテ」と呼ばれる文字に似ていたと思います。これ以外にもいくつかの文字が使われていましたが一番印象に残っているのはこれです。

祖父もすべてをきちんと読めていないようで、物語を暗唱してくれていました。本の間にはメモ書きが沢山挟まれていて、現代語訳したものが沢山ありました。

祖父や親せきのおばさんたちは占いについてもいろいろと教えてくれました。祖父の占いは9つの数字を利用するものでした。人は3つの数字を持って生まれてきており、それがさらに6項目あって全部で18個の数字を使って性格や将来を占っていたんです。

こんな感じですね。

これらの数字には1つずつ意味があるんです。

それはこの図のようになっています。

例えば私の持つ数字は595なので知恵と安定と知恵です。これは「最初から勝ったも同然」という意味だと聞きました。勝利の数字だそうです。

このように3つ連なったものにそれぞれ意味があるそうです。親戚のおばさんは「369がとても大事な数字だよ。ミロクって読むよ。覚えておいて。大人になっても忘れたらだめだよ。時期が来たらちゃんと教えてもらえるからね」と言いましたが、何がどう大切なのかは教えてもらえませんでした。

そんなようなことが何度もあって私は徐々に占いの話をされるのが嫌いになっていました。


カバラ生命数という9つの数字を使った有名な占いがあります。それで占っても私の数字は「5」です。そしてエニアグラムというエジプトの王族が使っていた性格診断のテストも9つの数字を使ってそれぞれに意味があります。そしてそれらは祖父の占いにとても似ています。似ているけどちょっと違うかな。数字の持つ意味も凄く近いですが完全に同じではありません。

違うのは祖父の占いには表と裏があるところです。

表面は金色で裏面は黒。人間は本来表面をまっすぐに向いていたらそれぞれに良いところがでてくるけれど、裏に返ってしまっているとその悪いところが出てくるというものです。

誠実な人は悪くなると潔癖に、親切な人は悪くなるとおせっかいに。

確かに人の長所と短所は裏表だと言いますもんね。

祖父はよく「人を裏にしてはいかん」と言っていました。「周囲の人を良くするにはその人を表にしてやるだけでよい、特別なことは何も必要はない。人を変えるなんてことは出来ないけれど裏から表に返すことはできる。良い面を引き出してやればいいんだ」と言うのです。表にするという行為が何なのかはわからなかったけれど「隣を参考にしたらいい」と言うのもよく言っていました。

たとえば4は感情豊かで芸術的ですが3の金銭感覚や5の論理的な部分が身につくと人としてもっと良くなります。1は潔癖ですが2の優しさや9の安定感を知ると落ち着いてきて誠実で真面目な面が出てきます。どちらも現実的でほどほどを知ることで尖りすぎた特徴を穏やかにすることができるようです。

このように自分の持つ数字の両隣の性質をわざと自分から身につけようと努力することで自分の欠点を補って自分自身をよい方向に変えることができるということを祖父はよく言っていました。足りないものは常に隣にあるんですね。


私は小さい頃から音楽を聴いたときに音に色を感じました。これは共感覚というもので、この能力のある人は世界中に大勢います。この色と数字は子供のころから一致していたんですが、7だけが色が見えませんでした。

見えないのも当然です。

裏に入っているときの7は透明なんですよ。6は群青色で8は黄緑色。その間が深緑なんです。群青色(6)と深緑(7)はどちらも暗い色ですよね。なんだか見分けがつきづらいです。深緑(7)と黄緑(8)はどちらも緑ですよね。これも妙な差ですね。

他の部分は割と隣り合わせでもクッキリ色が変わっていてそれぞれわかりやすいのに7周辺がとにかくわかりづらいんです。7の人は色も見えにくいし、「どの数字のタイプなのかわからない人」というイメージがありました。祖父は他の数字に関しては教えてくれたのにこの数字だけは「自分で考えなさい」と言ってちゃんと教えてくれなかったんです。

ある時7の数字を持つ人は表面になっていることはとても少ないということに気づきました。殆どの人が裏面なんです。そして裏面は透明なんです。だから色は見えないんですね。数字の7を持つ人は表面であれば革新的なんです。誰も考えないようなことを考えて実行して、周囲の軋轢にも負けずにどんどん新しいことを始めちゃう人なんです。表面でいたら「世界を新しくする人」ですけど、こういう人ってそもそも人の言うことを聞かないし古いルールにとらわれない人です。それは裏に返ってしまったときは法律違反をすることすら平気な犯罪傾向の強い人となります。常識が通用しないわけですから人の気持ちを理解しにくく怒られたって反省もできません。形が残りやすい愛情表現(高額なプレゼントなど)や手紙で「好き」などと言われない限りは、人の気持ちを汲み取ったり空気を読んだりできないです。そのせいで常に孤独を感じているので権力や財力のある安定感のある人のそばにいようとします。

「7の人はほとんど裏面で表面の人が少ないね。しかも裏は透明だね、色がないんだよ。元々見えなくて当然なんだよね。音や数字のように人にも色がある。大体みんな3色あって、現在過去未来で変わるからその都度いろんな色をちらほらと感じるけど持って生まれた3色は変わらないね。でも7の人は透明な時間が長く続くと段々と黒くなっていくね。そうなるともう止まらないね。表には返らなくなる」

それを祖父に伝えた時、祖父はとても怒りました。「お前は俺よりも優れている」と大きな声で叫んで嗚咽していました。色が見えるのはただ単に私が4色型色覚で共感覚があって敏感なだけでそういう人は私以外にも世の中に大勢いるはずです。何に怒っているのかはわかりませんでしたが、代々家に伝わっていた占いの本を庭で燃やしてしまいました。

7の色が透明であることを突き止めたことが一体何を意味しているのかその時は全く分かりませんでした。

その本は親戚のおじさんがもう1セット持っているということは知っていましたが、一番大事なことはその本の中に書かれていると聞いていたので私はとても残念な気持ちになりました。

そして燃えた本を見ながら祖父は「この家業は俺の代でおしまいにする」と言い、それ以来うちには誰も来なくなりました。


その焚書事件よりもずっと小さかったころ、親せきの人が私の家に来るたびにコソコソとしゃべっていました。何をしゃべっているのか気になってそっと近づいてみると私の悪口を言っているんです。

「あの子何にも見えてないらしいよ?」
「えー?じゃあどうするの?跡継ぎがいないじゃない?」
「父親も才能がなかったのに、どうするの?2代続けて見えてないなんて」
「才能のない子を産んでしまったあの嫁が悪い」
「これで血が絶えてしまう。大変だ」

私の母は親戚のおばさん達からとても嫌われていました。中でも祖母と一番仲が悪く毎日のように喧嘩をしていました。祖母やおばさん達は母のやることなすことが気に食わなかったんです。母も母で気が強かったので頻繁に「実家に帰らせてもらいます!」とふて腐れて育児放棄をする人でした。そうやってすぐにいなくなるので私は小さい頃は祖母やおばさん達に育てられました。

祖父は相性占いが得意なはずです。それなのに酷い嫁を貰ってしまったんです。他人を占うのはうまいのになぜ自分の息子の嫁を失敗したのでしょうか。

私は気になって母の誕生日について聞いてみました。すると母は「私が生まれた日は占いではとても悪い日だったから、3日遅れて役所に出生届を出したの。だから私の本当の誕生日は違うのよ。」と言いました。母は自宅で産婆さんのお手伝いで生まれたそうです。昔のことだったのでそういうこともできたのでしょう。

これは母の実家も同じ占いができたということを示しています。母の弟のお嫁さんが私を占ってくれたことがあったのでそれは確実です。

私はタイを旅行したときに、ある遺跡に描かれている絵を見て祖父の物語と同じだと気づいたことがあります。それは猿の頭に人間の身体をした人と鳥の頭を持って人間の身体をした人が戦争をしている絵でした。国の名前と動物の頭を持った人は組み合わせがあって、その国の名前を「色」で表現していました。赤の国、青の国、緑の国がそれぞれあって昔は戦争をしていたと言っていました。

これに関しては全然正確に覚えられていないのですが、「●●●●国は何色で頭は●●●の動物だった」と祖父が言うので「日本は何色なの?」と聞くと、「日本は金色で真ん中なんだよ」と言っていたのは覚えています。「日本はすべての特徴を全部持っているんだ」と。これは祖父の占いの9つの色全てを持っていたら真ん中の金色になるということと同一の概念だと思ったのを覚えています。じゃあ黒はどこの国なんだろうか?と思いましたがそれを聞くのはいけないことのような気がして聞けずじまいになりました。


おばさん達が頻繁に言っていた「何にも見えてない」というものが一体何なのか私はずっとわからずにいましたが私の子供が普通の人が見えていないものが見えていると気づいたときに、このことを言っていたのかと納得しました。

私の子供は初めて会う人の名前を言い当てたりします。ちょっと先の未来が見えるのか危険を察知して止めてくれたりします。遠く離れた人が今何をしているのかを教えてくれることもあります。

守護霊のように人にくっついているいろんな目に見えない生き物を見て、それを教えてくれます。それらは「のんのんさん」というものらしいです。よく一緒におままごとをしたりして遊んでいます。誰がのんのんさんという名前を教えてくれたのか尋ねると「のんのんさんが自分のことをのんのんさんだと言ったの」と言っていました。のんのんさんというのは仏様と言う意味の方言です。自分で言うんですね。

私はそのようなことを「障害のある子どもにはよくあること」だと聞いて、「そうなのか」とそのまま受け止めていました。幻覚のようなものが見えたりする二次障害が出るらしいのです。障害のある子どもの親御さんと話をすると皆さんが「不思議なことがあった」と言うので、皆がそう言うならそうだろうと。

私は宗教も信じていないし、スピリチュアルな事柄は嘘くさいと感じていたのでずっと好きではありませんでした。エンタメとして都市伝説やUMAや予言などは面白いなと思っていましたがあくまでもエンタメですよ。それがまさか自分の身の回りで起こるだなんて思ってもみなかったので、このことを人に言うと自分が胡散臭い人間だと思われそうでちょっと嫌です。

子供が幽霊っぽいものを沢山見ていると知ってから、「本当にそんなことがあるの???」と私の中で納得できないでいました。ですが疑いようもないくらい次々にいろいろなことを言い当ててくるので「これは将来占い師になるしかないわ」と思うしかありませんでした。

私の子供は幸運の神さまを見ることができて、それを触ることができて持ち帰って自分の家で一緒に遊ぶことができます。自分が一番重い病気のくせにほかの病気の人にくっついている病気の神さまを指で取って捨てて治してあげることもできます。怖いのもいるらしくて、怖いのがいるところは恐れていきたがりません。

最初私はまっくろくろすけみたいなのがいるのかな?と思ってネットで検索して見せてみました。すると子供は違うと言います。ある時烏賊を調理していて、内臓をズルリと取り出したときに「のんのんさんだ!」と子供が言いました。金運の神さまって烏賊の内臓みたいな形してるの?と聞くと「そうだよ!」と言うのです。そんなものを集めて遊んでいたということに驚きました。案外ジブリっぽいわけではなく、蟲師みたいな世界だったんですね。そして怖いのは「見える子ちゃん」という漫画を見せた時に「コレ!」と言っていたので結構怖いものが見えているみたいです。

私の子供は外出を恐れます。怖いのが沢山いるからだそうです。でも私と一緒にいると平気です。子供が言うには「自分は見ることはできるけどいなくならせることができない」そうです。そして私は見ることができませんが自然と祓えているそうです。「お母さんがいると怖いのが消えるの。お母さんはすごいの。何もしなくてもそこにいるだけで怖いのが消えるの」と言います。

私は何も見えていないのでわかりませんが、見えているのに祓えないとなるととても困るだろうなと思います。

そこで私は祖母に連絡を取りました。久しぶりに縁を切っていた実家に電話をかけたのです。

「どうもうちの子供が何かいろいろ見えているらしいのよ。昔占いの本があったけどあれと関係があるの?怖いのを祓う方法を習いたいんだけど誰に聞いたら教えてくれるかな?昔占いをやっていたのは本当はおばあちゃんなんでしょう?おじいちゃんがお客さんの対応をしていただけで実際はおばあちゃんがやっていたよね?子供が怖いのが見えてとても困っているのよ。祓い方を教えてくれる人が必要なの。あの本をもう一度読みたいのよ。あれを持っているおじさんってどこのおじさんだっけ?」

すると祖母はとたんに動揺し、ブルブルと震えながら「そんなものは知らない。そんなことはなかった。占いなんて最初からない。本なんてない」と言って泣き出しました。あの強いおばあちゃんが泣くだなんてととても驚きました。商売の神さまのような強い女性でした。

占いは自分の代で終わりにするといった祖父。
そんなものはなかったと言い張る祖母。

そして祖母にそのことを聞いた1週間後に彼女は亡くなってしまいました。
祖父はずいぶん前に亡くなったので、もうそのことを聞ける人はいません。私の父や母は当然知りません。

当時祖父やおばさん達から聞かされたことは「絶対にお母さんに教えたらいけないよ」と口止めされていたんです。「才能のない人には教えられない」と言っていたので、親せきの中でも知っている人は少ないはずです。

小さい頃の私は才能がないと言われていたのに、おばさん達はそれでもずっと根気強く私にそれらを教えてくれていたんです。見えてはいなかったけれど祓えていたことをおばさん達は気づいていたのでしょうか。



仕方なく小さい頃何があったのか私は思い出そうとしました。

印象に残っているのは、滅多に来ない親戚の叔父さんが私を捕まえて「この家には戸籍上の苗字ではなく、もう一つ本当の苗字があるんだよ」と言ったときのことです。私の腕をぎゅっとつかんで、意地悪そうにニヤニヤと笑っているおじさんの顔を今でもよく覚えています。「本当の苗字ってどんなの?」と聞き返すと、おじさんは「お前が大人になった時におじいちゃんたちに教えてもらいな」と笑いました。でもそれを聞く前にみんな亡くなってしまったんです。

そんな言われ方をしたらなんだか妙に気になりますよね?
もう一つの苗字って何でしょうか?



私の家は壮絶なイトコ婚を繰り返していた家でした。常に親戚同士で結婚しているので皆同じ顔をしています。特に私の顔は「この家の顔」と言うべき顔です。

イトコ婚をしていたのは主に4つの家です。

・父方の祖父の実家
・父方の祖母の実家
・母の実家
・それと我が家

うちの実家に父方の祖母が嫁に来ました。1か月で旦那さんが亡くなってしまったので旦那さんの従弟の男性が婿養子に入る形で祖母と結婚しました。それでこのような表現になります。

それぞれの家で特定の形質を持った娘が生まれたら違う家の長男の嫁にするんです。それを大昔から延々と繰り返していて、嫁に行ける娘にはある特徴がありました。

「優秀で賢く、記憶力がある。名前が2個あり、普通の人が見えないものが見える子」です。


特に母の実家はちょっと変わったルールが2つありました。

・本家の長男は必ず2度結婚をする。1回目は年増のいとこと。その世代の一番優秀な女の子を嫁にもらう。年上の女が死んでしまうと家族の世話をする人間が必要だから後妻をもらうけどその人とは子供を作らない

年増のいとこのお姉さんと結婚するわけですから間違いなく高齢出産です。しかも10人以上産むわけですから、産後の肥立ちが悪くて死んでしまうこともあります。女性は大変だったと思います。

・家の中でだけ使う名前と戸籍上の名前がある

例えば私の母方の曽祖父は戸籍上は「隆之」だけど家に帰ると「よしひろ」という名前がありました。その妹の「ひさえ」は「よしえ」でした。殆ど変わらないのに2個つける意味があるのか謎でした。2個目の名前には「博」とか「弘」の文字を使うことが多いですがほとんどの人は「博」の字を受け継いでいます。「吉」という文字も多いです。

法事などで人が集まるときには大変です。家族同士では本当の名前を呼び合ってるんですがお手伝いに来てくれた近所の人などはわかりません。周囲の人はまさか2つずつ名前があるとは思ってもみないので「そんな人いるの??」「どこにいた??」と、混乱します。

子供の頃私はなぜうちには2個名前があるのか気になって曾祖母に聞いてみたところ「2個名前がない人は死にやすいから」と教わりました。それなのに母の代くらいから名前が2個ある人はほとんどいないんです。全員に2つずつ名前をつけるわけではないんですね。ある人とない人がいました。でも確かに名前が1つしかない人は20~40歳くらいで死んだりしていました。

対して我が家には「子供が生まれた時に死にかけたら2つ目の名前をつけると生き残る」というおまじないがありました。

私の父は未熟児で生まれたそうです。最初につけた名前が良くないから死にかけたのだと判断して2個目の名前をつけたそうです。父は2個目の名前だけを使って過ごしていました。2個名前のある子どもには占いの才能があると言われていましたが、1つしか使っていなかった父には才能が有りませんでした。

私の両親ははとこ同士の結婚です。母の実家は「いとことしか結婚をしない」家ですから、父方の祖母の家から母の実家に嫁に行っているということはそれ以前から元々親戚で彼らはいとこ同士なわけです。ずっと前からこの2つの家はつながっているんです。ということは、これらのルールは元々は1つのものだったのではないかと思います。

「子供が死にかけたら2つ目の名前をつける。名前が2個ある人とそうでな人がいる。名前が1個の人よりも2個の人のほうが死ににくい。戸籍上の名前と家族とだけ使う名前があり本当の名前は他人に教えてはならない。名前が2個ある人しか占いの仕事を継ぐことはできない」

この話を私はとてもよく覚えていました。

私は自分の子供が生まれて20時間で死にかけた時、すぐに2個目の名前をつけました。その時1個よりも2個ある人のほうが死ににくいのではなく、2個ある人は死にかけた子供なのではないかと思いました。きっと一度死にかけた子供に2つ目の名前をつけて呼び戻すという、おまじないです。ただのおまじないですが、実際に良く効きました。

私は2個目の名前を本当の名前にし、1個目の名前を戸籍上の名前にしました。この方法は間違っていたかもしれません。もし逆にしていたらそれが正しかったのかも。どちらを戸籍上の名前にするのかその法則を聞いていなかったということに気づきましたが、誰に聞いてもわかりそうにありませんでした。少なくとも父の世代では失敗していたわけですから正しい名づけのルールを知る人は周りにいなかったということになります。

そして私にももう一つ名前があります。私も小さい頃に死にかけた経験があるということです。小さい頃曾祖母は私にこう言いました。

「結婚して旦那さんができても10年は本当の名前を教えてはいけないよ?もしかしたら離婚してしまうかもしれないからね。ちゃんとずっと家族になると信じられた人にしか教えてはいけないよ」

私はその約束を守っていて、私の2個目の下の名前は今まで誰にも教えたことはありません。

でもそれは古事記や日本書紀に出てくる国名を示す古い言葉です。
それに気づいてから私は記紀を読み始めました。



少なくとも名前が2個ある人は長生きです。私が知る限り2個名前のある人達や占いのことを知っていたおばさんたちは皆90歳以上生きていました。名前が2個ある人は子供の頃は発達が遅くてなかなか順調に育ちませんが、大きくなってからはとても長生きです。私の祖母も80歳を過ぎても60歳未満に見えました。同い年くらいのおばあちゃんたちがどんどん老化していくのに一人だけずっと変わらないんです。シミやしわも少なくずっと若いままです。私が中学生くらいの時に妹がそれに気づいて「どうしてうちのお婆ちゃんだけ違うんだろう?」と言っていました。年を取ってもずっと若いまま長生きなんです。病気もしません。私も実年齢よりは20歳は若く見られます。うちの家系はなかなか年を取らないんです。

私も6歳の時に3歳年下の妹よりも発達が遅れていて「お姉ちゃんのほうが妹みたいだね。何もできないね、この子は」と言われていました。私は6歳になってもしゃべらず、靴を履いたり歩いたりすることが苦手でした。母がそうやって私を侮るようなことを頻繁に言うので祖母と喧嘩になっていました。

祖母はよく「子供はみんな同じじゃない。うちの家系はゆっくり育つ。寿命が長いんだから子供の時期が長くたって当然だ。それにゆっくり育った子供は皆賢い!それなのに他の子供と同じじゃないってだけでかわいがらないなんて人としてどうかしてる!」と言っていました。同時に私を抱きしめながら「私に似てごめんね」と謝るのです。

祖母はとても賢い人でした。若い頃は特に大変燃費が悪くいつもお腹を空かせていたそうです。高校の時に早弁をしたくて弁当を2個カバンに入れて通学したそうです。でも2個入れると教科書が入らないんです。それで祖母は最初の1か月で教科書の内容を全部丸覚えしました。それで悠々と学校に2個お弁当を持って行っていたんです。当てられても当てられてもきちんと答えるので、先生は「生意気だ!」と言って祖母に集中攻撃をしてきて学生時代はとても悲惨だったと言っていました。

ありえないほどの記憶力があり、数学が得意でした。嫁に来てからもその知性で財産をどんどん増やしました。祖母はよく「この能力は神さまに借りているものだから、自分のためだけに使ってはいけないよ。他の人のために使うために借りているだけだから自分だけのものじゃないんだよ。自分のためだけに使おうとするとろくなことにならないよ。だから人のために使おうね。使い方を考えるのが自分の仕事だよ」と言っていました。

教科書の内容を丸覚えするのは「大食いの自分の為」ですよね。そういう使い方をすると人に嫌われてしまうのだと何度も同じことを私に言い聞かせてくれました。

私も小さい頃異様な記憶力がありました。親戚のおばさんが遊びに来た時に母が言っていた祖母の悪口をまるで録音した音声を再生するかのように1時間くらいずっと私がしゃべり続けてしまうという事件を起こしました。その後母は酷く怒られその後で私もさらに母から酷い折檻を受けました。

当時の私は自分の言葉でなにかをしゃべるということはできませんでしたが、時々スイッチが入ると過去に記憶した音声を再生できるという無駄な能力がありました。母から「二度としゃべるな!」と言われてお客さんが来るたびに布団タンスに閉じ込められて鍵をかけられました。私の家には子供は妹1人しかいないことになっていました。

今でいうなら当時の私は発達障害と認定されるような子供だったと思います。でも祖母はそんな子供を「うちの家系の特徴」と言い切り障害があるようには扱いませんでした。「ゆっくり育つのは当たり前だから、せかす必要はない」と言っていましたが「記憶力を鍛える訓練は必ず必要」と言って漢詩やお経などを暗唱させられていました。学校から帰ると毎日何時間も暗唱タイムです。

記憶力に関わる遺伝子があるのですが、そこに変異があっても問題なく記憶力の良い人もいます。これは記憶力を決めるのが遺伝子だけでは決まらないということを表しています。ものを覚えられるかどうかは訓練によって大きく左右されます。覚える練習をしたかどうかが一番大事なんです。

小さい頃私はよく母に捨てられていました。花火大会とかデパートとか遊園地とか、家から遠くに行くことがあると大抵私は人ごみに紛れて行方不明になるんです。母はさっさと家に帰ってしまうので、私は後から遅れて警察の人や迎えに来てくれた親戚の人に連れられて帰宅します。警察の人には笑顔でお礼を言っているのですが、姿が見えなくなると母は怖い顔で振り返り、私を殴りながら「なんで帰ってきたの!」と怒鳴りました。

何度も何度もそういうことがあるので祖母は「捨てられているのだ」と気づいたんでしょう。「電話番号を言えるようになりなさい」と、満足にしゃべれない私に毎日毎日繰り返し電話番号を教えてくれました。他のことはほとんどしゃべれないのに住所と電話番号と名前だけは言えるようにしてくれました。捨てられても家に帰ってこれたらそれでいいと考えたのでしょう。

私は毎日のように折檻を受けていましたし、捨てられるたびに本当に怖い思いをするので帰ってこれたらいいわけではないと思っていました。両親が離婚して母と二度と会わなくてもよい環境にして欲しいと涙を流して頼んでいましたが、言語発達が遅れていたのでうまく伝えられず悲しかったです。財産目当てで結婚した母は頑なに離婚を嫌がりそれは実現しませんでした。

母が私を嫌っていたのは、発達の遅れだけが原因ではありません。

祖父が占いで「この子は恐ろしい龍神の化身。あらゆる厄災を連れてくる。怖い子。この子がこの家をバラバラにする悪い子。」と言ったからです。

小さい頃よくうちの家では火事が起きていました。6回目に火が出た時に祖父が屋根の上に白い塗料で「水」と言う字を6個書きました。するとそれからは火が出なくなりました。ただしその後もうちの家の前にあった大きな道路をはさんだ向かいのおばあさんが庭で火を燃やしていたら体に燃え移って焼死し、裏手に住んでいたおじさんの家も短期間で2度全焼しました。

祖父はそれすらも私のせいにして「お前は元々水の神の魂を持っているのにその力が弱いから火が出る」と言いました。

これに限らず嫌なことがあるたびに全て私のせいにされるわけです。母がモノを無くしても蹴られ、父が職場で嫌なことがあるたびに帰宅するや否や「お前のせいだ」と二人がかりで殴られました。

なぜ自分はこんな家に生まれてしまったのだろうかと悔しく思いました。

なんでも人のせいにして反省のない人の人生が良くなるはずがありません。父も母も徐々に堕落し周囲から「ダメな人」と思われていました。子供を虐待する人間は普段どんなに自分の目標に対して努力しても結局は「あの人は殴る人」と思われ周囲に信頼されないんです。「悪い子だから躾けるために殴っている」と言っても、それが方便でただ単に殴りたいから弱い子供をサンドバック代わりにしていることは誰の目にも明らかでした。仕事も友達付き合いもうまくいくはずがないです。家がバラバラになったのは両親の行いの悪さが原因です。

余計なことを言って家を荒らした張本人である祖父は厄災を連れてくるはずの私を嫌っているようには見えませんでした。寡黙な人でしたが、私だけをいろいろなところに遊びに連れて行ってくれ、こっそりとお菓子を買ってくれました。

私の顔を見るたびに「病気の人には優しくしなさい」と言っていました。なぜそんなことを言うのかわかりませんでしたが、それを言うとき祖父はいつも涙ぐんでいました。大粒の涙をこぼしている祖父を見て初めて「この人は本当にちょっとだけは他人の未来が見える人なのかもしれない」と思いました。あくまでもちょっとでしょうけど。


祖父はいろいろな物語を聞かせてくれました。

たとえばそのうちの1つはこういう物語でした。

「ある砂漠にある交易都市にはお姫様がいた。そこはタキという都市だった。肩の上に黒く尾の長い鳥をいつもとまらせていた。その街には高い塔があった。そこに昇る権利はその都市を統治する人間の後継者だけのものだった。彼女は祖父と塔の上から夕陽を見るのが好きだった。そのお姫様はその都市を管理する役割を祖父から受け継ごうとしていたが、悪い両親は弟にその役職をやりたいと思っていたので姫に毒を盛り皮袋に入れて砂漠に捨ててしまった。しかし商人に助けられて姫はなんとか生き延びる。一度は戦場で死んだ兵士からものとりをするような生活をしていたけれど、そのうち運命の男性と出会う。-火の弟-という意味の名前を持つ男と出会って、その後自分を殺そうとした両親のいる街へ攻め込むための軍隊を編成し、復讐を果たす。しかしその姫はひのととの間に障害のある息子を産んでいた。その子供を旅籠に預けて戦場に出かけてしまったことをとても後悔した。両親への復讐は成功したものの、高い塔は崩れ彼女は落ちて死んでしまう。彼女の心は常に自分で育てられなかった子供にあり、その魂は死んだ後も癒されることはなかった。」

両親に冷遇される自分の生い立ちに重ね合わせて、私はその話を聞くたびにとても悲しい気持ちになっていました。復讐をしても癒されない、障害のある子どもを自分で大切に育てなかったことで後悔をしたという話です。

砂漠の国
黒いおながどり
兄弟のために両親が罠を仕掛ける
毒殺未遂
皮袋に入れて捨てられる
火の弟
復讐のための軍隊
生涯のある子どもを産んでも育てない

このようにいくつかのキーワードがありますが世界の古い物語にはこれらのキーワードがちらほらと出てきますよね。古代エジプト神話とか聖書とかマハーバーラタとか。

祖父が涙を浮かべながら「病気の人にやさしくしなさい」と言ったり、この話を繰り返し聞かせてくれていたのは、少なからず祖父にも未来を予知する才能があったのかもしれません。だけど本の内容を深く理解していなかったのだと思います。「お前は龍神の化身」なんて言っていたけど、それがどんなものなのか聞いても教えてくれなかったのもよく知らなかったんだと思います。

私の幼少時代が大変だったのは全部祖父のいい加減な占いの伝え方のせいですよ!!



祖父は甘いものが好きな人でした。昔からあるみりん屋さんによく連れて行ってくれて、そこの酒粕を買ってきては私に食べさせてくれました。お酒の味がするので子供には美味しいものではありません。祖父は「これはお前にとっては薬だから。菓子だと思わず薬だと思って食べるんだよ」と言いました。菓子でも薬でもなく、酒粕は酒です。アルコール分がきつくて子供には無理でした。祖父のようにおやつとして酒粕を食べたいとは思いませんでした。

「酒は百薬の長と言うけれど実際に薬になる酒は沢山はない。これは本物の薬になる酒だよ。でも薬の部分は酒の方にはなくて酒粕のほうにあるからこっちを食べなさい」と言うのです。

その酒粕を買いに行くと、ついでに長い長い石段のある神社へ連れて行ってくれました。凄い段数があったように記憶していますが、実際はそれほどでもありません。あの頃は子供だったから凄く長い階段のように見えていたのでしょう。お米を小さな袋に入れて持って行くと鳩が近寄ってきます。私はその長い階段を昇ることができなかったので、祖父が神社の中で祈祷を受けている間鳩と遊んでいました。

祖父は時々そこ以外の神社にも連れて行ってくれました。祖父の実家があるのは山奥でした。そこの家は大きな石垣に面して建っていて、その石垣の間には茗荷を沢山植えてありました。庭にも大きな石が積み重ねられていました。

「うちには内緒の苗字がもう1つある」とオジサンに言われたことが気になり始めてから、私は祖父の実家の周辺の地図を眺めていました。すると祖母の実家も母の実家も近くにあるんです。そして何より私の今の戸籍上の苗字の家もありました。元々は山のほうに住んでいたのですがみんなで海辺に移り住んできたんです。ただし山のほうの地域も大昔は海辺だったらしくて、古墳が沢山あります。

祖父の家の近くの神社には巨石があって祖父は「元々うちの家はこの石を守るための仕事をしている家だったんだ」と言いました。最近祖父が見せてくれた巨石がある神社がどこか調べたくなってグーグルで検索したのですがよくわからず、その地域にあったのは「龍」と名のつく神社が数件と、祖父の実家の名前のついた神社くらいでした。

父方の祖父母のそれぞれの実家はとても近いです。そして車で10分ほどのところに私の母の実家がありました。その近くには豊玉姫を祀った神社がありました。それは大きな山全体丸ごとがその神社でした。その山の中に気になる名前の小さな神社がありました。同じ名前の神社がみりん屋さんのすぐ近くにもあります。よく祖父が連れて行ってくれた神社の1つです。

みりん屋さんは港に、祖父の実家は山のほうにありました。2つの場所は車で1時間以上はかかるくらい離れていますが関連性があるのではないかと思いました。みりん屋さんの酒粕の表面には家紋が描かれています。そして山の方の豊玉姫の神社の神紋はそのみりん屋さんの家紋と同じです。

それは左三つ巴紋です。


私の祖母は結婚して1か月で旦那さんが戦死してしまったので実家に返されそうになりました。その時お姑さんが祖母のことをとても気に入って「婿養子をもらってもいい。ずっとうちにいて欲しい。私の老後を見て欲しい」と、自分の弟の子供を婿養子にしたんです。そのお姑さんの名前も「おとわ」さんです。ともえとおとわは韻は違いますが言葉の持つ意味は似ていますね。

その家はおとわさんが建てた家です。うちは代々女が強く、女が商売が上手くて、女が財産を受け継ぐ家です。

うちには江戸時代後期からの家系図があります。私が中学校の時の学校の宿題で作ったものです。当時長生きしていた親戚の人に聞いて作りました。最近それを見返しているのですが、いとこ婚以外にも法則があることがわかりました。

たとえば私の実家の家の周りには分家がズラリと並んで建っていましたす。それはおとわさんの子供たちです。全て苗字が守屋でした。かわいがっていたから近所に家を建てて住まわせていたのでしょう。うちの実家の女性は皆守屋さんと結婚して分家を作っていたんですよ。秋田さんや金平さんもいますが疎遠というかそれほど仲がいいわけではなかったようです。うちの祖母はおとわさんにかわいがられ過ぎたせいで周囲の人に嫌われていたんです。嫁に来た若い女がその家の財産の全てを受け継いでしまったら「なんでだ?!」と言うことになりますよね。遺産を相続した当初は争いが大変だったらしいです。

占いのことを知っていた人だけが遺産を相続できる理由を理解していて祖母に優しくしてくれていました。ということは、桑田さんと村上さんは優しかったので占いについては知っていたし自分たちもできたのだと思います。

「分家は本家を守るものなのにそれが機能していないことは良くないことだ。才能のある子を守ることができない」と言うようなことを村上に嫁に行った祖母の姪が言っていたことを覚えています。

祖母は近所に住む高杉さんと篠原さんが好きでよく一緒に旅行に行ったりしていました。尾熊さんとも旅行やカラオケに行った話を聞いたことがあります。実家の周りだけでなく、お墓の周囲にもこの苗字のお墓立っています。すぐ隣がなぜか尾熊さんでした。仲が良かったんでしょうね。

先日実家やお墓を見てきたんですが、祖母が仲良くしていた人の家は変わらずそこにありました。面積も減っていませんでした。子孫達が同じ会社を大きくしていました。でも祖母に辛く当たっていた人たちの家は跡形もなくなっていました。祖母はいつもお金のつくり方を考えて人に教えるのが好きでした。だから仲の良い人の家族はそれを参考に成功したのだと思います。

私は小さい頃からいつも「祖母に良くしてくれる人は必ず良くなるのに、そうではない人は絶対に苦労しているな」と思っていました。

人数でいうなら守屋さんと村上さんが多いです。うちの家系で結婚したけど離婚して帰ってきた人は村上さんと再婚する人が多いです。そのため村上さんは縦横無尽に4つの家系で結婚しまくっています。婚姻に関わるという意味では4つの家系+1なのかもしれないですね。

祖母はよく「血が絶えたら困るから女の子を産め」と言っていました。でも日本社会は案外「男の子の跡取り」を欲しがるものですよね。それなのに女の子の血が大事だと子供のころからずっと繰り返していたんです。

でもそれを聞かされていなかった母は私に「お前が男の子じゃなかったから自分が祖母から嫌われている」と言っていました。母は「障害児が生まれたと知られると世間体が悪い。お前が死んでくれたら私は幸せになれるのに」と言って私を虐待するような人でした。

祖母は「障害児じゃない、これがうちの家系の血だ」と言っていましたが母は理解できませんでした。そして彼女は障害を持った子供は殺しても良いと考えていました。私の目の上には母に殴られた時の傷が残っていて片方の目がよく見えません。背中には父に包丁で刺された時の傷がまだ残っています。母が世の中の殆どの人から好かれないのは思想と行為が原因です。人徳がないからです。



4つの家系でイトコ婚を繰り返していたのは実際は特定の女性の遺伝子をつなぐためにやっていたのだろうと思います。

可能性のある名前をすべて上げるなら、

4つの家系が、北川、安原、松井、藤田
占いを知っていた分家が、桑田、村上
単なる分家筋が、守屋、尾熊、秋田、金平
仲が良かったのが、篠原、高杉
気になる名前が、ながお(長尾?永尾?)

「ながお」という屋号の薬局の家系が1つありました。皆屋号で呼ぶから私は未だに本名を知らないのだけど八味地黄丸をめちゃくちゃ推して売ってたのを覚えてます。うちから車で10分くらいのところにありました。私の祖母と向こうのおばあさんは仲が良かったです。お線香を上げに行くときにいつも連れて行ってくれていました。

この家はとても特殊で「親戚中の中で望まれない子供をもらってきて教育し家の家業を継がせる」ということをやっていました。産んだけど育てられないとか、再婚した先で馴染めないとか、癇癪があって育てにくい子供とか、実の親子だけど折り合いが悪くて家庭の中で浮いているような子供がいると聞くや否やすぐに連れにくるんですよ。親戚中の中から要らない子をもらってくるんです。礼儀などに特に厳しい家庭ですが必ず大学をださせてくれて、薬剤師にしてくれます。家が商売をしていて裕福なのでもらわれていった子供は幸せだと聞かされました。お店が沢山あって、その養子たちにそれぞれの店を任せていました。「遠縁だろうが何だろうがどの子供も全部親戚だからうちの子」と言い切って大事に育てるわけです。不思議な家だなと思いました。

この家の屋号が「長い尾」なわけですよ。あの物語に出てくる尾の長い鳥を思い出させます。なんの理由もないんだけど、親戚の中で決して油断ならない家という印象が強いんです。

これらの事情とそれぞれの家の苗字をネットで知り合った歴史に強そうな人数名に訊ねてみたところ口をそろえて「諏訪だよ!」と言うんです。長野県の諏訪大社がある地方のことです。これらの苗字は全て諏訪出身の氏族のものだというのです。

古事記によると国譲りの際に建御名方神(タケミナカタノカミ)は建御雷神(タケミカヅチノカミ)に力比べを挑むが負けて、諏訪湖まで追い詰められ諏訪に封じ込められました。この時から諏訪氏という氏族がそこに生まれるのですが、その地域にある山の名前が守屋山で守矢氏の始祖が洩矢神だそうです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%8F%E8%A8%AA%E6%B0%8F

元々その地域にいた土着の神の名前がモリヤで、蛇神様なんです。そして諏訪氏は大国主神の後裔の三輪氏と言う説もあるんですが三輪氏は大神氏(おおみわうじ)で大物主神や事代主を祖神とする氏族です。大神神社と言うのが奈良県にありますが三輪山という山を信仰していて、その神様(大物主神)は蛇神様なんです。

奈良県出身で先祖の墓は古墳という大神神社ゆかりの歴史マニアさんは「三輪は?三輪はいなかった?三輪じゃないの?!」と興奮していました。

三輪という名前も思い当たる節があります。私の中学校の頃の同級生で一番仲の良かった人が三輪さんでうちの近所の神社の神主の家の子供でした。

そこまで言うと歴史マニアのお友達たちは「賀茂じゃないの!?もう一つの名前は賀茂でしょ!!」と興奮していましたが、それは違う感じがします。

なぜなら私の人生で何度もカモさんって出てきたんですよ。いつも困った時にやってきて助けてくれる人というのが「賀茂さん」「加茂川さん」「鴨川さん」というように漢字は違うけどカモさんです。そしてみんな賀茂顔をしているんです。賀茂の人は特におばあちゃんになるととても分かりやすく同じ顔になるんです。丸顔で眉毛が垂れていて薄毛で背が低くてちっちゃくてかわいくて笑顔がまぶしい感じ。賀茂顔の人に悪い人はいないんです。しかも向こうも「私あなたの顔が好きだわ」とか「あなたのお子さん本当にかわいい。もう離れられなくなりそう」などと言って懐いてくるんですよ。

・賀茂顔は存在する
・賀茂さんたちは私の顔が無条件に好き

向こうも私の顔が好きだけど私もあの人たちの顔が好きなんです。この人は絶対私がどんなに悪いことをしたとしても私のことを嫌いにならないだろうなと思えるような信頼感が最初からあって、昔からずっと私の周りに賀茂顔の人は存在するんです。嫁に行ったりして苗字が違っていても賀茂顔は見たらわかります。そして私が困っていたら絶対に助けてくれるし困っていなくても助けてくれる。

それが賀茂なんですよ、と言うと歴史マニアさんたちはちょっと感激しながら「じゃあもう後は物部や諏訪しかないよ?」と言ってくるんです。物部や諏訪に思い当たることはありません。

はっきりしなかったので私はわざわざ祖父の実家の近くに行ってみました。今住んでいるところからは遠いんですけど、行ってみると意外なことが起こりました。

グーグルマップが私の実家の先祖の墓を名所旧跡として教えてくれたんです。

江戸時代にその地域で酷い飢饉が起きました。農民たちは一揆を起こしたかったのだけど問題が1つありました。誰が首謀者になるかです。なった人は必ず一揆が終わった時に打首獄門になります。だから皆それが嫌で一揆を起こせずにいました。その時に「じゃあ俺がなるよ」と言って名前を提供し、それが元で多くの人が参加する大きな一揆になって人々が助かったということがあったらしいんです。その人のお墓があったので行ってみたんですけどよくわからなくて隣の家の人に聞いてみたんです。そうしたら「うちの先祖ですわ」と言われました。

「じゃあ私たちは親戚ですね」と、盛り上がりいろいろな話をしました。だけど一揆の首謀者の親族は1度は全員所払いになるんです。彼らの先祖も一時期その場所を離れていて後から戻ってきたらしいです。だから当時の詳しいことは知らないらしいんですよ。占いの話も知らなかったし、家について書かれた書物はあったけど寺に預けておいたら火事で焼けてしまってもうわからなくなったそうです。

そこで「諏訪さん」をご存じないですか?とたずねたら「そこの山を1つ超えたところに住んでいるよ」と言うんです。「じゃあ賀茂さんは?」と聞くと、そこの道を曲がってまっすぐいってひらけたところに住んでるおばあちゃんが賀茂さんです」と言われました。物部も安原も村上も三輪も全員その辺に住んでるんです。

諏訪さんが住んでいる地名が「御陵」という文字列を含む地名で古墳だらけなんですが、発掘が全く進んでいなくて誰の墓かはわからないそうです。ただし吉野ケ里遺跡の数倍の面積を誇る巨大な古墳群らしくて地図で見る限りは私の祖母の実家も祖父の実家もうちの実家も全部そこの古墳の近くにあります。その周辺にはいたるところに巨石が残されていて、大昔からずっと地域の人に信仰をされていたんですよ。そこから北に進むといくつもの滝があるんです。滝にまつわる神社が多い。しかもそのあたりの神社の主祭神は女の神さまなんですよ。「水」に関わるので蛇の信仰と龍神の信仰は1つに通じるという考え方があるそうです。

龍神信仰、巨石信仰、滝と川の信仰、女性神、諏訪の氏族。

歴史マニアとかスピリチュアル系の人が好きそうなワードがどんどん出てくるの。そこに女系の一族が今もずっと住んでいるんですよ。

それで「ほかには親戚はいますか?」とたずねたら、みりん屋さんのある港町に住んでいるということを教えてくれました。

そのお墓自体は凄い急斜面に立っているのに手すりや階段があって昇りやすいんです。それで思わず「いいですね」と言ったら「桑田さんの奥さんが作ってくれたのよ、前はライオンズクラブがつくってくれてたんだけど木製ですぐにダメになっちゃったの。そしたら桑田さんがこんなの私が出すわよと言って結構したのに一人でポーンとお金を出してくれて綺麗にできたの。そこの看板も」と言うんです。気になってその桑田さんの下の名前を聞いたら、うちの祖母の姪と同じ名前でした。

病気がひどくなって入院した彼女のお見舞いに行くと祖母がいうので連れて行ってあげたのですが、桑田のおばさんは私の背中を見て驚いてガクガクと震えていました。見える人だったのでしょうか。

彼女は私の存在を知らなかったので「どうしてこんなに大きな子供がいるのに今まで教えてくれなかったのよ?」と祖母を非難していました。私はずっと存在を隠されていたんですね。

まさかその桑田のおばさんの名前が出てくるなんて。


「詳しいことが聞きたいなら諏訪さんと賀茂さんに聞くといいかもしれない。あとは一緒に一揆の首謀者になった人達がいるんだけどその人たちの子孫が当時のことやその前の歴史なんかをまとめているって聞いたことがあるから、行って聞いてみてもいいかもしれない。うちは寺が燃えたせいで何にもわからなくなっちゃったから」とアドバイスをされました。

というのが先月の出来事です。


ことあるごとに祖母が必死で「血が絶えたら困る!」と言うので「特別な家系と言うわけでもあるまいし。天皇家ならまだしも、こんな普通の家の血を残してどうなるというの」と、私の妹が口ごたえしたことがありました。妹は私の子供が病気で生まれてきたので自分の子供もそうだったらどうしようと怖くなったらしく「子供は産みたくない」と言っていたらしいです。

その時の祖母は「言いたいことがあるのに言えなくて悔しい。言ってしまえば確実に論破できるけど言ってはならないことだから言えない」というような顔をしていたんです。

言ってはならない人の名前を祖母はずっと抱えていたんですね。

なぜその女性の名前を言ってはならないのでしょうか。

そしてなぜ私の存在を周囲に隠していたのでしょうか。


可能性があるとしたら日本の神さまでしょう。私の祖先やお嫁さんをもらっていた地名には「神」の文字が付いた地名が多いんです。きっと「龍神信仰に関係のある日本の女性の神さま」ですよね。日本の古史古伝の中から調べてみましょう。

豊玉姫(トヨタマヒメ): 海神・綿津見神の娘。山幸彦(彦火火出見尊)の妻。
弁財天(ベンザイテン): 七福神の一柱。水神、財神、福の神として信仰される
磐長姫(イワナガヒメ)
市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト): 宗像三女神の一柱。弁財天と同一視されることもある。
湍津姫命(タギツヒメノミコト): 宗像三女神の一柱。
田心姫命(タギリヒメノミコト): 宗像三女神の一柱。
宇賀神(ウガジン): 農業の神。蛇の姿で信仰されることもある。
瀬織津姫(セオリツヒメ):神道の祓詞に登場する神様。祓戸四神の一柱。
天甕津日女命(アメノミカツヒメノミコト):赤衾伊農意保須美比古佐和気能命の妻。瀬織津姫と同一視されることもある。

宗像三女神が出てきました。倉敷の阿知神社を訪れたことがあります。神紋は例の左三つ巴紋です。

私のことを祖父は「龍神の化身。厄災をもたらす」と言いましたが、私の子供は「お母さんがいるだけで怖いものが何もしなくても消える」と言いました。それならば厄災が祓ている気がします。祖父が「元々水の神なのに力が足りていないから火が出る」と言っていたことや、昔から言い聞かせてくれた物語に出てきた運命の男性の名前が「火の弟」を意味しているということなどを踏まえると。

誰???

とりあえず火に関する名前の付いた神さまで弟を探してみるとこちらが出ました。ホオリです。瓊瓊杵尊と木花開耶姫の子であり、神武天皇(初代天皇)の祖父。

私は瓊瓊杵があんまり好きじゃないんですよ。記紀に出てくる神さまの中で一番性格が悪い。磐長姫に「ブスだから要らない」と言ったり、コノハナサクヤヒメに「本当に俺の子か?1回で子供ができるわけがないから浮気してできた子でしょ」と言ったり定番の言っちゃダメなことを言いまくるんです。

でも歴史マニアさんたちが「賀茂は八咫烏なのよ?賀茂氏が助けた人って限られるのよ!神武東征で神武天皇を助けてる。尾の長い黒い鳥って言うのも鴉を連想させるよ?しかも安原の名前もあるよね?武内宿禰っていう日本の歴史上のビックネームがいるんだけど、武内宿禰にゆかりのある土地って安原が多くてお墓がある場所もそうなの!武内宿禰自体も安原宿禰と呼ばれることもあるんです!安という字は家の中に女性がいるという意味なんです。だからもしかしたら安原の家に女性をかくまっていたということも想像できるし、上賀茂神社は瓊瓊杵を祀っているんだよ~~~~!瓊瓊杵かもぉぉぉ!」といろんな説を立ててくれるんですけど、余計にわからなくなってきています。

そこで恐る恐る検索してみると瓊瓊杵の古墳と言われているものが日本全国に沢山あってそのうちの1つがうちの苗字でした。むしろ瓊瓊杵の別名がうちの苗字!

苗字全然隠されてないよ!そのままよ!

実は私の子供の父親も「健康な子供なら俺の子、病気の子供なら他の男とお前が浮気してできた子供」などと言ってきたんです。なんの因果ですかね。瓊瓊杵っぽい人大嫌いなのに!!!

瓊瓊杵にゆかりのある地名を調べると「竹田」という地名がよく出てきます。私の先祖たちが住んでいた地域も竹田という地名なんですよ。

祖母はよく言っていました。

「お前に良くしてくれる人は良くなって、お前に悪いことをする人は悪くなるよ」と。私はそれを「まさに祖母のことだ」と思ったのですが、瓊瓊杵について調べるとこのフレーズ出てくるんですよ。嫌だ!


でも瓊瓊杵だと男性神ですよね。
今回は女の神さまを探さないといけないんですもんね。

忘れそうになるけど目的は「うちのもう一つの苗字を知る」「いとこ婚を繰り返して特定の女性の遺伝子をつないでいるならその女性が誰か突き止める」というこの2つです。

ヒントになるものが多いのか少ないかわからないけど滅茶苦茶で収集がつかない状態です。協力してくれる歴史マニアさんたちの知識も凄いのだけど、皆さんの得意分野が違うから意見が割れるんです。


瓊瓊杵のフルネームは天津彥彥火瓊々杵尊で「火」がついています。そして兄がいるので瓊瓊杵自体が弟なんですよ。

運命の男が瓊瓊杵だったら、その嫁の水神、龍神といえば磐長姫ですよ。そして長寿の女神。

その子供はこんな感じ。弟なのは火須勢理命か火遠理命です。山幸彦の弟感はさすがに凄いです。海幸彦山幸彦ですから。

           ┌─第一子 火照命(ホデリ=海幸彦、隼人の祖)
天津彥彥火瓊々杵尊──├─第二子 火須勢理命(ホスセリ)
           └─第三子 火遠理命(ホオリ=山幸彦)

山幸彦の嫁といえば豊玉姫です。
彼女は海神の娘で龍神です。
豊玉姫は子供を自分で育てずに夫に押し付けて妹に養育させました。条件に合いますね。

可能性が高いのは豊玉姫もしくは磐長姫ですかね?もしくはそれ以外の女性の神さま??

考えてもわからないので私の子供に聞いてみることにしました。

「ねえねえ、おかあさんについてるのんのんさんってどんな人なのか教えて?」

すると「おかあさんのはねぇ、背中に絵が描いてあってねー。ゾウさんなの~!ピンクの顔のゾウさんでお空を飛んだりするの。一緒に遊んでくれて、楽しいの!」と言うのです。

ピンクのゾウって何よ?しかも日によっては「今日は顔が青!」と言います。

その後ダイソーで買い物をしていたらピンク色の象のジョウロを売っていて「お母さんこれは絶対に買わないとだめですよ!」と買わされました。

その後病院の待合室のTVを見ていたらガネーシャの特集をしていたんです。もしかしてコレ?!と思い、スマホで画像を検索して子供に見せてみたら「ええええ?どうしてお母さん知ってるんですか~?」って言うんです。

インドの神さま、ガネーシャが私の守護霊みたいなやつなんですかね。確かに障害や厄災を除去する神。英知と学問の神。商売繁盛の神。

私の周りにいる人って凄い病気しても死なないんですよね。それに私が思いついたことを教えた人は経済的に成功していることが多いんです。これは確かにあるかもしれないと思いました。

そこで私の子供に肝心なことを聞いてみました。

「ねえ、あなたののんのんさんはどんな人なの?何人いるの?どんな名前なの?」と。子供の様子を見ているとなんだか大勢いそうなんですよ。ずらりと並べておままごとをして遊んだりしていますからね。

すると「みーちゃんだよ」とだけ教えてくれました。
それと「プリンが好きな神さま」と言うのもいるのは知っています。以前からよく買い物に行くたびに「プリン買わなきゃ!」と買わされるので。

「トラの神さまもいる」と言っていたこともあります。しまじろうが好きで毎日見てるのはうちの子供ではなくトラののんのんさんらしいです。自分がトラだからアニメを見るならトラのアニメが好きらしいです。テレビっ子で1日中しまじろうを見たがります。

そのうちの一人がお風呂が好きで、うちの子供がお風呂に入りたがらないときでも「のんのんさん!お風呂入るよ!」というと「はーい!」と言ってすたすたお風呂に向かって歩いてくれます。

「プリンの好きな神さまってどんな神さまだろう?」と、歴史マニアさんたちに質問してみると「おじゃる丸じゃないかな?」と言われました。私はおじゃる丸を見たことが一度もなかったのでおじゃる丸がプリンが好きだということを知りません。そこでシッターさんに「プリンの好きな神さまって思いつく?」と聞いてみたら「おじゃる丸しか…」と言うのです。そんなにオジサンたちは皆おじゃる丸を見ているの?それにおじゃる丸は神さまじゃないです。

その歴史マニアさんは三輪山のことを教えてくれた人です。その人は「プリンが好きというよりも卵が好きというなら、蛇神様だと思う。蛇神様を祀るときは卵を供物としてささげるからね。プリンでもいいんじゃないの?蛇は巳だからね?みーちゃんは巳のみーでいいんじゃないかな?」と言うのです。

うむむむむむむ。

そこで不意に私は思い出しました。あのおばさんが私に忘れるなと言った数字を。369ですよ。

弥勒菩薩を検索して画像を子供に見せてみました。

すると子供はちらりと見ただけで「知らないよ!違うよ!これ違う!違うの~~~!」と大騒ぎです。普段はぽやんぽやんとしていて穏やかなのに、見たこともないくらいわざとらしくアタフタとして否定しているんです。目が泳いでいます。

でもシッターさんは言いました。

「弥勒菩薩のポーズ、あんたこれ四六時中やってるじゃん。ソファ座ってる時なんて常に足を片方上げて太ももの上に重ねて横柄な態度でタブレットでyoutube見てる。これ以外あると言える?弥勒のミでみーちゃんなの?」

うちの子供はのんのんさんに自分のことを教えたらだめだと口止めされているらしいですがよく二人で小芝居のようにしゃべっているのでバレバレです。

弥勒菩薩のポーズを指摘されて以来、人前ではやらなくなりましたがベビーカメラで1人でいるところを確認してみたところ弥勒菩薩のポーズで座っていました。一人の時だけやることにしたみたいです。


でもそもそも複数の家系を使ってイトコ婚を繰り返し特定の女性のX染色体の遺伝子を残すことは本当に可能なのでしょうか。天皇家のように男系の遺伝子を残すのはとても簡単です。男の子をずっとつないでいくだけでいいのでシンプルですよね。女系の遺伝子を残すためには、多くの家を必要とし大勢の女児を産み、その中から遺伝している子供だけを次の交配に使っていくということをしないといけません。

この交配には次のようなルールが存在しています。

女性のルール
1つの家系の中で特定の形質を持つ女子が生まれた場合、ほかの家系の本家の跡取りの嫁になって子供を作る

男性のルール???
長男が特定の形質を持っていた場合は長男がその家を継ぐ
・長男が特定の形質を持っていない場合、長男以外が持っているなら持っている人が家を継ぐ
・特定の形質を持っている男性が1人もいない場合、ほかの家系の中から特定の形質を持っている男子を婿養子に入れて家を継ぐ

頻繁に別の家系から養子に入った人間が家を継いでいるので男性のルールはこうなっているのかな?と思いました。でも私の背中をじっと見て恐ろし気な顔をしていた人は女性だけなんです。もしかしたら男性は「全然見えていないパターン」もあるかもしれないし、時々しか見えている人がいなかったかもしれないです。男性に才能があったのかどうかはいまいち確定は出来ません。

おそらくこれを始めたころはもっとたくさんの家系で行っていたのだと思います。繰り返しているうちに特定の形質が現れやすい家が出てきて自然と集約されて4つくらいになったのでしょう。するとそれはイトコ婚やハトコ婚を繰り返すということになります。

形質の遺伝のしやすさは形質ごとに違っていて、遺伝しやすいものとしにくいものがあります。

家系図を見ると意外と2回以上結婚している人がいて、特定の形質を持った子供が生まれなかった場合はすぐに離婚して別の人と再婚して子供を作っています。4つの家系の人はすでに生まれやすくなっていて、桑田さんと村上さんは生まれにくいので再婚を頻繁に行っていたのかも。ただ1つのカップルで子供が3人未満だと全く生まれないことが多いです。


現代社会は核家族化が進んで少子化になったために、特定の形質を持つ女性の遺伝子が発現するために必要な最低限の女子の数に満たなくなったために、特定の形質を持つ女性が生まれずいとこ婚を維持することができず崩壊してしまったのだと思います。


このnoteを書いた理由は、世の中に私の家と同じように特定の女性の遺伝子を残すためにイトコ婚を繰り返している家がほかにもあるのではないかと思ったからです。我が家はすでに半分廃れてしまったけど、まだ続けている家があるのかもしれない。

だって本があったから。
何冊もあったから。
同じようにあの本を持っている家があるかもしれない。

もしそんな家に生まれた人がいるのなら、私は会ってみたいんです。

そして正しい祓い方を習いたいです。
うちの子供が私がいないときでも困らないように。


この記事が参加している募集

ふるさとを語ろう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?