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言語療法の教具をAIアートで作ってみた

AIアートを始めた時、「ただ純粋にAIを扱ってみたい」という気持ちで画像生成していた私でしたが、多くの方が「障害のある子供のための絵本を描いてみたら?」なんて言ってくださっていたんです。ですが当時の私はその期待に応えることはできませんでした。

障害児は絵本なんて読めないので。

絵本を私が作ったからといってうちの子は喜ぶはずもないことは明らかでした。絵本を渡すと武器にしかならず本の角が突き刺さるように殴りつけてくるか、舐めて破って破壊して終わりです。ちぎりつくして粉にされます。

少しは体が育ってくれば絵本が好きになってくれるのかと期待していましたが、全くそんな気配はなく、そもそもうちの子は絵が苦手でしたし物語そのものにも興味がありませんでした。読み聞かせをしようとすれば盛大に拒否されます。綺麗な絵が描いてある本ならいいのかと思いましたが全く関係がありませんでした。

絵そのものが苦手だったんです。その割には動画は大好きでした。歌とダンスが好きで見ながらよくマネをしていました。動画を見ながら言葉を覚えてくれて、発達が進んだ実感がありました。

時折「動画なんてダメよ!子供の発達に悪いわ!絵本が一番なのよ!それに障害児は絵が得意だから絵を見たいはずよ!」なんていう絵本メーカーの回し者のようなお医者さんに遭遇して本当に絵本の頒布会のチラシをもらったりしたのですが、無駄だろうなと思いました。障害児が皆絵が得意だなんて偏見です。うちの子のように絵より音声が得意な子もいるからね。


YouTubeで料理をしている人の動画を見たら同じことをしたがって餃子を包んでくれたりしました。器用に包む姿を見ていたら、形を理解していないなんて誰も思わないのに、と不思議に思っていまでした。

3Dは理解しているのに2Dがわかっていない。世の中の殆どのことはわかるのに紙に描かれたものだけを理解できない。

そして喋れない。

長い間「あーあーあー」しか言えない障害児でした。

できることは沢山あるのに「絵が苦手で言葉が出ない」そんな躓きを小さい頃からずっと感じていましたが大きくなって発音できる単語が増えても根本的な部分は同じでした。言葉を知っていて他人の言っていることは理解できるのに、自分の言葉でしゃべれないんです。

できることとできないことのちぐはぐさを感じながら子育てしているのは私だけではないと思います。子供には多かれ少なかれ皆そういう得手不得手が存在します。

それに対して技術力を発揮するのが言語療法です。

最初に言語療法を受けたのはうちの子が1歳半とか2歳頃のことです。当時は複数の施設の言語療法のレッスンに通っていました。うちの子は2歳3か月で8~9歳の言語理解をするほど発達しました。先生たちの技術のおかげです。

その時点でも決して言葉を知らないわけではなかったんです。なんでもよくわかっていたけど、言葉が出なかった。

その時若い先生たちが私に教えてくれたことの中で1つ気になることがありました。

それは「子供は自分の目で見たものは理解できるけれど、それを絵にしたり、図形にしたり、ピクトグラムにしたりするような、実際にあるものをどんどん簡略化された絵を理解できないんです。発達する過程でできるようになるけど、言語発達が遅れている子供はそれらの見たものの形を理解して脳でシンプルに置き換える作業ができていない。だから1つの題材を違った画風でいくつかみせてやって「すべて同じものだ」と理解できるようになったとき、自然といろいろな言葉を発するようになる。決して物の単語を知らなくてしゃべれないわけではないのでしつこく言葉を教えても、発語につながらないし上手くコミュニケーションが取れるだけの言葉が出てこない。ただし『置き換え』ということが出来るようになると、驚くほど言葉が発達しはじめる」というものです。

つまり言葉をうまくしゃべれない子供たちはこれらの画像全てが同じリンゴだということがわかっていないということです。

これは支援学校の先生たちも「それは合ってる。理論は正しい、だけど…」と皆言葉を濁すんです。

それは「良い教具が存在しない」という難点があったからです。


そこで私は大学の言語聴覚士の先生にそのことを直接聞いてみました。すると「皆先生たちは自分で手作りしてるけど、いい教具を作れた人なんて殆どいない。だって無理よ。全部の画風をそろえるなんて。もしあるんだったら私が使うわ」と、本当に困ってるようでした。

先生たちの手作り教具はネットで見つけたフリー素材を印刷してラミネート加工したカードなどを使っていましたが確かに適切とはいいがたいものでした。

「違う画風で同じ題材の絵」をそろえるなら、その画風の違いもいくつか同じものでなければ理解しにくいです。完全にバラバラの画風だと「画風が違っても全部同じ」とは思いづらいので。でもそんな画像を作れる人はずっといなかったんですね。


かなり前に聞いたその話は殆ど忘れ去っていたんですが、AIアートを始めて2年くらい経過してから「もしかしたら今の私ならできるかもしれない」と思い始めました。

最初のうちは1つの題材を別々の画風でそろえて描くだなんて絶対無理だと思ってたんです。AIは同じ画風の違う絵を描くことが苦手だったから。でも少しずつAIの技術が上がってきていたし、私のプロンプトエンジニアリングの技術もかなり向上していました。試しに作ってみたら思った以上に良いものができました。

本という形に試し刷りをして、いろんな先生たちに見てもらいました。放課後デイサービスのほうに「実際にいろんな子供たちに使ってもらってください。それで感想を聞かせてもらって改善したほうがいいところがあるなら治します」と預けていたんです。

色の使い方とか題材の選び方などは自分の子供を実験台にして決めて行ってたので、実際に障害のある子供にとって良かった画像しか採用していないです。生成しながら「これは何に見える?」とか「これとこれだったらどっちが好き?」と、子供に確認を取りながらその答えを参考に作りました。

しばらく使ってもらって先生にどうだったのか聞いてみたところ「必要としている子供はいると思う。ただあなたの子供はもうすでにあの絵本の絵を全て理解していたし、最近急に言語が発達したからもういらないんじゃないの?」と言われたんです。

これは絵本を使ってトレーニングをする前に、私が作業をするPCの横で子供が見ながら常にいいトレーニングができてしまっていたということでしょう。

この絵本の正しい使い方として「これ何に見える?」という質問をすることが最も有効だったんです。

私の子供は一度見たものが何かわからなくても名前を教えると丸覚えをしてしまいます。次に聞けば正解を言えますが、ちゃんと理解していないのでちょっと絵柄が変わるだけでまた答えられません。何度も聞いて確認していると子供がわかりやすい絵柄とわかりにくい絵柄があることに気づきました。

理解には段階というものがあるはずです。子供が理解しやすい題材は「簡単なもの」よりも「複雑な形をしたもの」でした。意外ですよね。難しいもののほうが未熟な子供の脳にとっては簡単だなんて。

そして子供が「紛らわしいと思う画像」というのも沢山見つけました。

苺とリンゴとトマトの違いも子供にとっては難しく、紛らわしいです。

大きさが違うとか触ったら硬さが違います。ヘタの形が違うし、畑でなっているところをみたら明らかに違います。

バナナは皮を剥けばわかります。トマトやイチゴも内側を見たら違いが明確です。

このように細かく観察したら違いは沢山あるのに、障害のある子どもはこの違いに気づく以前に、パッと見て似たような色と形をしていたらそれだけで全部同じ扱いにしてしまうんです。そして「全部リンゴ」などと言ってそれ以上考えようとしません。

高さのある立体よりも形の薄いものは意外とわかっています。

スマホは身近なので、形を理解してるんです。横から見た時のスマホをちゃんと知っていて答えられる。「スマホ」である以前に、四角い「モノの形」を頭でちゃんと捉えられているから他の四角い形状のものは同じように理解できるんです。

子供にとって「身近にあるもの」というのも重要ですよね。


この「形状を理解する」ということができるようになる前に子供にいろいろと具体的な言葉を教えてしまうとちぐはぐさが出てきます。

うちの子も「熊」と「猿」と「コアラ」を私の子供は理解していて、絵本を見た時にすぐにただしく答えることが出来ました。でも木に登った熊と猿とコアラは全く見分けがつかないみたいでした。「木に登った」状態の動物は「木に登っている」という部分で思考がストップしていて動物の方に目がいっていません。

それ以外にも「動詞」に弱いということがわかりました。「形容詞」はもっと理解していませんでしたがどちらもよく知ってるんです。

知ってるけど理解していないから使いこなせない。

殆どの絵本や子供向けの図鑑や教科書の動物は一目でそれとわかるように書いてあるけれど、それはただ知識を植え付けるだけで子供に理解を促すものではありませんでした。

「動作・動詞の変化」「形容詞」を客観的に理解していない子供は、そもそも「見た図形の変化」を理解できていません。だから「木に登った猿だよ」と説明してもポカーンとするだけです。教えるだけ時間と労力の無駄です。教えれば教えるほど子供は記憶することすら苦手になります。

このちぐはぐさは小さい頃はわかりませんでした。成長すればするほど言語の先生が言っていたことは本当だったんだ痛感するようになったんです。

「モノの形を理解させなければ、自分の言葉は出てこない」

もっと早くその重要性に気づいていたら私の家庭療育も変わっていたと思います。あれだけ先生たちが熱心に説明してくれていたのに、実感するまでにこんなにも時間を要してしまうだなんて。

「あなたのお子さんは脳性麻痺です」と最初に新生児科の主治医に言われた時に「歩くこととしゃべることに遅れが出るでしょう。特にしゃべる部分はこの部分に白質化がみられるので確実です。人間がしゃべるためには脳でしゃべりたいことをまず考えます。そしてしゃべるために口を動かしたりする部分に働きかけて実際に体を動かします。でもこの2つの作用の間にしゃべるための挙動を表わす部分があって『話し始める』という動きがないと実際にしゃべることが出来ない。あなたのお子さんはこの挙動で必ずつまづくと思う。なんでもわかっていてしゃべる能力があるのにしゃべれないということが起きるのはわかっているから、できるだけ早い時期から言語療法を受けてください」と言われていたんです。

挙動の部分に障害が出ていることはわかっていたし、早くから言語療法を受けていたけどうまくいかなかった。

だからこそ私はこの教具を絶対に作り上げたいと思いました。


最初に大学で教わった時、先生は3種類の画風の手作りのカードを使ってやっていましたが、私は11種類くらい必要だと思いました。このくらい細かく分けないとわからないと思います。もっとあってもいいくらい。


・白背景実写
・背景あり実写
・油絵
・ローポリゴン
・フラットイラストレーション
・抽象カラー線画
・点描画
・白黒細密線画
・図形
・白背景ピクトグラム
・黒背景白線画

一番誰が見てもわかるのが白背景の実写の画像です。これをイラスト風にしていったりすると、難しくなりますがピクトグラムが一番子供にとっては難しいです。

世の中に存在するものはいろいろ多彩すぎて、子供は混乱してしまっているんです。

綺麗に整って表示されていれば「もしかしてこれとこれはこうかも!」と子供は自分で考え始めます。それは発達の遅れた子供にとっては大きな出来事です。

そして完成した絵本はこちらです。

例えばいちごを色々な画風で描くとこうです。

白背景実写
背景あり実写・油絵
ローポリゴン・フラットイラストレーション
抽象カラー線画・点描画
白背景ピクトグラム・黒背景白線画

大人はこれを見て当然のように「全部いちご」とわかりますが言語発達に遅れのある子供は絵がシンプルになればなるほどわかりません。


絵のモチーフを別のものに置き換えてみましょう。

いちごとメガネを同じ画風で見比べてみるとこんな感じです。

背景あり写真と油絵のいちご
背景あり写真よ油絵のメガネ

メガネの他の画風も見てみましょう。


どれもコレも全部メガネだとわかることが大事なんです。

他の題材もこの画風で描いてみましょう。

画風を変えてもだんだんとこれがドーナツだとわかるようになってきます。

点描画のドーナツを理解できるようになれば、いちごだって。


そうすれば全然違う画風の絵を見ても子供は理解しているので正しく答えられるようになります。

するとなぜかいちごとりんごの区別もつくようになりました。教えてもいないのに。


私が子供に見せた時に子供が理解してくれた順番が、「子供にとって理解しやすい順番」なのではないかと思います。

ゾウは子供向けの玩具やアニメのキャラクターや絵本や歌などではポピュラーですが実際には動物園に行かないとみることが出来ません。それに比べたらジュースのほうが確実に見慣れているはずです。でも絵を理解するということに関してはゾウのほうが簡単なんです。

なぜかというとゾウはどうやってもゾウだから。

ジュースはリンゴのジュースもあればオレンジジュースもあります。コップの形もいろいろでストローがついていた李い無かったりします。だから子供にとっては難しいんです。

・ゾウ
・キリン
・バナナ
・リンゴ
・ドーナツ
・ブドウ
・イチゴ
・スマートフォン
・メガネ
・スプーンとフォーク
・ジュース

144ページの本として作成したのですが製作した画像はそれ以上で入りきらない画像も沢山ありました。

これらの絵を眺めるうちに頭の中でこういう図式が出来上がってくれば成功です。

パッと見てすぐには絵と絵が頭の中でつながりあってくれはしないんですが、時間をかけて見ているうちに段々とわかってきます。

これがわかってきたとき、人の言葉は出始めるんです。

これが本当に効果があるんです。


そして意外な発見もありました。私の子供はこの黒背景白線画が全て苦手でした。どの絵を見ても「何が描いてあるのかわからない」と言っていたんです。

そこで私はハッとしました。実は私も小さい頃はこういう絵がちゃんと見えていない子供だったんです。

私は生後1週間くらいからの記憶があって、小さい頃のことを思い出そうとすると今でも割と正確に思い出せます。小学生の低学年くらいの私の目では黒と白のものはその境目がキラキラと輝いて見えました。中学生の頃にはもうそんな風には見えなくなっていましたが、小さい頃はずっとこうでした。教科書も文字も重要箇所が白黒反転したような仕様になっていたので大事なところほどキラキラして見えづらく学校の勉強が苦手でした。

黒地に白文字というのが全く読めないんです。

それはこんな感じで見えますが、自分の見え方と大人の見え方が違うだなんて思いもよらなかったので誰にも言ったことがありませんでした。ただただ大人が何を言ってるのかがわからなかったです。見えてないのだから仕方ないです。

ちょっと動くと光り方も変わる

テストの点が悪いので「この子はバカ」と周囲は思っていたと思います。なんでも丸覚えしなければ追いつかなかったので、おかげで私の記憶力はすさまじいものになりましたが、周囲に理解もされなければ配慮の必要性も感じられていないということはとても辛いことです。

これは病気の子供に限ったことではなくて、割と小さいころは大勢の子供がこんな風に見えているはずです。

公園に遊びに行くと小さい子供は車いすに集まってきてスポークに指を突っ込もうとします。危ないのでカバーをつけているんですが手を出そうとする子はじっとそこを見ているのでこのように見える目を持っているのでしょう。自転車や車いすの車輪は特にキラキラして見えるんです。キラキラを確認するためにアプリを使うと白黒だけではなくステンレスのような金属の部分も盛大に光ります。

キラキラが凄いお店というのもあって、その場にいると凄く元気がいいんですが、買い物が終わった時に子供は凄く疲れてるんです。ぐったりしてます。

これは内装の違いからくるものですが、「この施設では大人しく療育を受けていて、効果も高いのにあの施設に行くと暴れて全く療育を受けることすら難しい」というようなことにつながります。

子供を育てている人なら感覚でこのことを知っていると思います。「うちの子はなぜかこの店が小さいころから好きなのよね~?なんでかしらんけど~」みたいなのがありますよね?!

特に服がキラキラするのは危険なことなんですよ。

わたしはビジュー付きのセーターを持っていたんですが、それを着て放課後デイサービスに行くと子供たちが集まってくるんです。「え?私そんなに子供に人気?」と最初はうれしく思っていたんです。でもみんなビジューを触りたがるので、キラキラして見える子たちだけが集まってきてると気づいてちょっとがっかりしました。

気を引くくらいならいいですが凶暴性を引き出すほどのキラキラもあります。

スパンコールのついたTシャツをうちの子供に着せていると他の子に暴力を振るわれることが何度かあってすぐにその服は最高にかわいかったけど捨てました。多動の激しいお子さんをさらに激しくさせてしまっていたんです。キラキラ服は本当に百害あって一利なし。今はキラキラを判別するアプリで確認してから服を購入するようになりました。


アプリは「こう見えてると思う」程度にキラキラを再現できるけれど実際にどのレベルでキラキラしているのかは人によって違っているので判断が難しいです。でもこの絵本をつかえば判断がつきます。

絵柄が見えないほどキラキラしていたら「これなあに?」と聞いても答えられないので。

しかもこの絵柄をしばらく見せながら「これはメガネだよ」なんて答えを教えさせしなければいつの間にか「お母さん、これはメガネだよね?」と言ってきます。隣のページがメガネだから言ってるのかな?と思って新しく全く違う絵をこの黒背景白線画で描いて見せてみるとちゃんと答えられるんです。

「あれ?見えるようになったの?」と思って何度も試してみるとちゃんと見えてるんですよ。あら、面白い。

キラキラしなくなったら、そんなに疲れなくなるのかいろんな場面での集中力に差を感じるようになりました。

これは面白い発見ですね。


AIアートを子供の発達につなげるための使い方としてはもう1つあります。それは「色覚の未熟な人にとって魅力的に見える絵をAIに描かせる」ということ。

普通の子でも小さい子供は色覚の発達が未熟でが体が大きくなるにつれて皆いろんな色が見えてきます。私の子供は最初のうちは黒と黄色と白しか見えていなかったのでてっきり色覚異常だと思っていたのですが、アンドロゲンを補充する治療を始めたころから視神経が発達してきて少しずつ見えるようになってきました。それでもまだちょっと色に関することは苦手なようです。

そこで私はAIアートでユニバーサルデザインカラーの絵を描かせることをずっとやっていました。

ユニバーサルデザインカラーの前に色覚の発達が未熟だとどのように見えるのかということを説明しましょう。それは色覚異常の人の見え方と殆ど同じです。

例えばこのような絵があるとします。

この絵を色覚異常の人が見るとこう見えます。Cが通常の見え方でそれ以外が色覚異常です。

全体的に茶色っぽくてCと比べると魅力的ではないですよね。これが障害がある子どもが絵本を嫌う理由の1つなのかなと思いました。

通常の色が見えている人からすると「魅力的ではない」と感じます。子供も実際に同じように感じていて、楽しくないので普通の絵の絵本は見向きもしません。動画は音楽やセリフがあってその部分が魅力的なので、絵柄自体に魅力がなくても見てくれていました。

なぜこんなにも茶色く見えてしまうのかというと、色覚異常の人は色がこんなふうに見えているからです。

青黄色が見える人と赤緑が見える人がいますが、どちらもそれ以外の中間の色は全部茶色です。

普通の色が見えている人にとって普通の絵を描くとそれは色覚の未熟な子供には魅力が無いように見えるけど、AIアートでユニバーサルデザインカラーの絵を描かせると誰が見ても魅力的な絵を描いてくるんです。大人も子供も病気の子も元気な子もみんなが満足する絵をAIは描くことが出来ます。人間にとってそれは難しくてもAIにならできる。これはAIの正しい使い方だと思います。

AIに対して上手くユニバーサルデザインカラーの指示が通ればこのようにタイプによる差の少ない絵が描けます。

まっ茶色の絵にしない工夫をAIを使って行えば、より効果的な教具を作ることが出来ます。

小さい子供が本当に喜ぶ絵本というのは、どんな発達の子供でも楽しめる工夫がしてある絵であると思います。


そして段々とこういう絵を見ても何が描かれているのか子供はわかるようになりました。

「これは何かな?」と聞くと、うちの子は「いちごだよ!ゾウのいちごだよ!」と言っていました。「いちごの象じゃないの?」と聞くと「ゾウのいちごだよ!だってこれはいちご。へたがついてるもん」と喜んでいました。


私はこの本を言語のレッスンでだけ使う専用の教具にするのではなく、障害のある子もない子もみんなが普通に使ってもらえるような楽しい絵本になったらいいと思っています。

なぜかというと言語療法士の数は限られていてそれを必要とする子供たちがみんなレッスンを受けられる状況ではなく、しかも能力の高い人ばかりではないので本来の言語療法の技術の恩恵にあずかれている子供の数はとても少ないからです。

教具を使うトレーナーの語りかけの力量に左右されるものなら「期待外れだった」と言われることもあると思います。ですから子供が一人で勝手に絵本を眺めているだけで賢くなっていくというもの目指せたらいいなと思っています。

絵本よりもカードのほうが使いやすいかなと思って先生方に聞いてみたところ「いや、カードはバラバラにされちゃうと整えるのが大変だから、本のほうがいいと思うよ。途中で何枚か失くして使えなくなっても嫌だし、散らかると子供も集中力を欠くからね」と言われたので、それもそうかなと思いました。

勝手に見せていたら勝手に賢くなってくれるものを作るならアプリのほうがいいかも。

なんて思いつつ、1冊作るのに大量の絵を描いたのでもうへとへと。
私はしばらく休養が必要です。


まだ試作品しか作っていない状況ですが、この教具を使って子供たちの言語発達に貢献できる教具を作りたいと思っています。


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