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その1 山あり谷ありの山。 Year3

3193noteさんの素敵なイラストをお借りしてます。
ありがとうございます!

うつ病と診断されてから3年目に突入したお話。

3年目のお話です。

3年目の年明けは、年末に友達が誘ってくれた1回限りのプロジェクトに参加した為、やや忙しかったと記憶しています。

誘ってもらった立場ですが、僕もちょこちょこ口出させてもらって、色々と思案しました。

おかげさまで準備に没頭してる間に新年を迎えたと思います。

その時でも1回外出すると3日寝込むという感じで、今考えると本当に良くやってたなと思います。

そして、たぶん様子がおかしかった僕に合わせてくれたメンバーにも感謝してます。

僕が狙ったことも一応機能したし、他の人達もバッチリ良い仕事し、ありがたいことにお客さんからもご好評をいただけたので総評は大満足。

その時はただ夢中で取り組んでましたが、今振り返ると私的にオールスターのメンツでした。

お楽しみ企画の為に、お楽しみ企画だからこそ交差することのない人達が集まってワイワイやれたこと、今でも大切な思い出になっています。

この頃は心も体もだいぶ軽くなってきたようだったので、体はアクティブに視界もクリアになっていました。


そんなタイミング。
長い付き合いの親友Aから、ノベルゲームを作るのでシナリオの1部を書いてみないかと誘いがきました。

ちなみに親友Aは、その年末年始のプロジェクトにも参加した人です。
Aのポジションは企画者、サブプログラマー、サブグラフィッカーです。

ゲームに興味はあったけど、具体的な行動を何もしてこなかった僕は二つ返事で引き受けました。

そして右も左もわからない状態で、初めて会う人達と打ち合わせが始まりました。

メンバーは年上だったり年下だったり色々ありますが、でもだいたいが同世代、しかもみんなオタ寄りだったので話も弾むし、アニメや漫画ネタも盛り上がり、わりと早く打ち解けました。

高校の時にあった、互いに面識が全くなくても共通の趣味の話がしたくて駄弁るみたいな感じ。
とても懐かしい感じもしました。

とにかく、先に作成された資料と打ち合わせで追加された要素を組み合わせながら僕はどんどんシナリオを書いていきました。

なんであの時、あんなハマったのかわかりませんが、とにかく集中して書いて書いて書きまくりました。

元々僕の癖というか性格的に一度のめり込むと、やり過ぎる傾向があるんですが、その時はちょっと度を越えていました。


とにかく自分でも信じられないエネルギーを注ぎ込んだと思います。

出来上がった初稿を親友Aに送り、Aを通して他のメンバーにも読んでもらいました。

締め切りよりもだいぶ早く、先のアイデアまで出して提出した僕に対して親友Aは「やっぱり流葉は創る人なんだね」と言ってくれたのは本当に嬉しかった。

修正は山ほどきましたが、結果的に1部じゃなくて他の部分もまかせたいと言われたので、僕はさらに勢いをつけました。
というか、他のシナリオ担当の人が締め切りを守らなかったのもあります…

とにかく、僕はさらに書いて書きまくりの日々となりました。

親友Aとメールでやりとりしながら、時に通話しながら、やっぱり会って話さないとダメだという事になりファミレスで打ち合わせということもありました。

もう頭の中がお話を作ることでいっぱいでしたが、思いつくと何時間でも集中する状態。

例えば、頭の中で話のパズルが解け始めたのが21時でそこからガーっと書き始めると、朝の9時なんて事もざらでした。

睡眠不足全開で昼夜逆転の逆転みたいなのも多かったです。

でも楽しくて楽しくて止めることができませんでした。

また難航していたキャラデザにも口を出していいと言われたので、あれこれ元ネタやイメージを親友Aに伝え、二人でキャラクターのビジュアルもどんどん作りました。

あくまで仮状態でしたが、自分が想像していたキャラクターが出来上がってくるワクワク感は格別でした。

そして最終的に音楽も僕と親友Aが担当することになりました。
もうやり過ぎなんですけど、ここまできたらって感じです。

シナリオを書いていると音楽も頭の中で鳴り出すので、僕がBGMの基礎となるデモ音源作らせてもらうことになりました。

僕はゲーム音楽や映画のサントラも大好きなので、自分が書いたお話に合う音楽を考えるのも本当に楽しくて、どういう音楽がいいかを考えはじめました。

冷静に考えると明らかにオーバーワークな気もしますが、何よりも僕が楽しんでいたので辛いということもありませんでした。

むしろ想像力を働かせすぎて頭が開きっぱなしで、アイデアが沸き出てくる状態でハイになってました。

今考えると危険な気もしますね…

しかし予期せぬことで、企画は一度止まります。

製作の中心人物、原案兼メインプログラマーSさんの作業が進まず、あげく音信不通になるというアクシデントが発生。

他の人ならまだしも、メインの人なので正直焦りましたが、絶対また帰ってくると信じて自分達のやれることを他のメンバーと続けることにしました。

幸いSさんは数か月後に連絡がつき、無事再スタート。
憤りも感じましたが、あくまで制作がメイン、完成させるのが目標なので
人を咎めても仕方ありません。

できない人がいれば、そこは皆でカバーすれば良いと思いました。
綺麗ごとじゃなく完成させることが目標だからなんですけどね。

そうこうしているうちに3年目の夏は過ぎました。
さすがに色々と集中していたので夏なのに暑さがどうだったかも覚えていません。

向精神薬を飲んでる身で、ろくに食べも眠りもせず作業に没頭している僕を見ていた親は、そのうち倒れるのではないかと内心ヒヤヒヤだったそうです。


その頃の薬は

・リボトリール0.5mg×2
・トフラニール10mg
・パキシル20mg
・デパケン200mg
・マイスリー10mg
・サイレース2mg

2年目の年末からセロクエルを減らすことができました。
減らすのも特に苦労した覚えはありません。
やりとりは覚えていませんが、先生がやめてもいいと判断したのでしょう。

さらにこの後、トフラニールも中止します。
こちらも減らすのに特に苦労はなかったと記憶しています。

減薬もここまではスムーズに進んでいました。

ちなみにその時は体重が55キロぐらいで、53キロきりそうになってちょっとヤバいなと思ったのを覚えています。

打ち合わせの後、親友Aとスーパー銭湯に行くのが恒例でしたが、確かに風呂入るとすぐに気持ち悪くなってましたね…

体重の減量が極端なのでこの頃から肝臓に負担がかかってると血液検査で言われたと思います。

でも寝込む日も減ったし、何より目標ができて気持ちが前向きになっていたと思います。

初めて登るキツイ山でしたが、今思うと貴重な時間でした。


今回はここまです。

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よろしくお願いします。

流葉



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