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子どもの体験とは何ぞや

子どもの「体験格差」についての対談がとても面白かったです。

さて、この「体験」ですが。
「高度な体験」と「日常の体験」があると思うのです。

「高度な体験」は旅行に行ったり、キャンプしたり、美術館や博物館に行ったり、映画を見たり、習い事をしたり。
こちらからアクセスしないと出来ないような体験とします。

この「高度な体験」も出来るに越したことはない。
色々な場所に行ったり、色々な体験が出来たり。
ピアノだって弾けないより弾けた方が良い。
水泳だって泳げないより泳げた方が良い。
全てのことは、出来ないより出来る方が良いと思いつつも、この世界にある全てのことを出来るようになるなんて、無理なのだから好きなことを選んでやっていく、と言う感じかと思います。

そして「日常の体験」です。

これは公園で友達にたまたま会って一緒に遊ぶとか、一人で家で余ってる段ボールで何かよく分からないもの作るとか。
テレビ見るとかゲームするとかも体験と言えば体験です。

この「日常の体験」も結構大事だよね、と思ったりするのです。

何ならアクティブに過ごさなくったって、家でぼーっと妄想する時間も必要だと思う。

保育園では、家でなかなか出来ない「体験」をさせてもらい、ありがたや・・・と思っていました。
紙に何か描いてみたり、切ってみたり、折り紙や廃材で何か作ってみたり。
少し大きくなったら、お友達と小競り合いしたり。それより小さい頃は噛まれてみたりw

小学校に入ってからは、この「日常の体験」には全く期待していませんでした。
良くない噂しか聞かなかったからです。

ところがです。
小学校でも色々と体験しているようなのです。
授業のことは良く知りませんが、その後の学童では、新しいお友達とボードゲームしたり、折り紙したり、けん玉したり、たまに校庭に出て遊んだり。

え?これで十分ではない?

何なら「もうちょっと遊びたいから妹ちゃん(保育園児)を先に迎えに行ってほしい」という始末。

なんだか、それなりに満喫してるっぽいぞ?

まとめると、
楽しみを見出す力、特に与えられなくても遊べる力ってのがあると良いのではないか?そんな子ってたくましくないか?と思ったりしたのでした。

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