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子育ても仕事も、全てはトレードオフ

先日、とある企業の女性役員の方と雑談する機会がありました。
お子さんは今いくつ?という話から「小1の壁にビビってます。」というようなプチお悩み相談へと発展。

その方が子育て真っ最中の時は、「保育園や小学校へのお迎えはベビーシッターにお願いして、お金で解決してた。他人を家に入れることに抵抗が無ければ、そういう選択肢もある。自治体のファミリーサポートとかね。」とのこと。

これを聞いてどう思われましたか?

感想は人によって様々かと思います。
・確かに!ファミサポ改めて調べよ。
・その時代にベビーシッターとは、先進的!
・子どもは寂しくないのかな?
・やっぱり凄いな。
・仕事好きなんだな。
と、思いつくのはこんな所でしょうか?

私はこの話の後、なんだか悶々とした気持ちになってしまい、この気持ちは何だろうと考えてみました。

子どもは親がいなくても、ちゃんと、育つらしい

これは賛否両論あると思いますが。。
その女性役員の夫さんも、非常に忙しい方のようで。
平日の家事育児は主にベビーシッターさん。
両親共に忙しく、帰宅は夜の21時とか22時とかが平均。土日も仕事、という生活だったようです。
お子さんはというと、立派に社会人をやっていらっしゃるそう。
親子仲も悪くなさそう。

これね、親が仕事ばっかりしてたら子どもが可哀想なんじゃないかとか。子どもがグレるんじゃないかとか。
そんな心配してしまいませんか?

でもね、実際、親が忙しく仕事ばっかりしていても、子どもはちゃんと育つようなのです。
(その分一緒に過ごす時間が濃密なのかも)

事実、自分自身の子ども時代を振り返っても、
熱血サラリーマンだった父親は、子どもが寝た後に帰宅していて、それを寂しいと思ったことは無いのです。
そして、母親も会社員で、夕飯の時間に帰宅していたので、小学校から帰宅すると家には祖母だけがいました。
それでも寂しいと感じた記憶は本当に無いのです。

つまりは親が寂しいかどうか

仕事ばっかりしていたら、子どもが寂しいんじゃないか?と思ってしまいがちなんですが、
これは実は子どもじゃなくて親が寂しいだけなんじゃないかという結論です。
子どもが寂しいと思うに違いない=自分は親として求められていると思いたいだけなんじゃないか。

とすると、子どものために云々ではなく、自分がどうしたいのか。

子どもともたっぷり一緒に過ごせて、仕事もやりがいがあって、収入も良い。自由もある。なんてことを実現するのは、なかなかに困難なことです。
何か追加で欲しければ、今何かを差し出すしかない。

全てはトレードオフ

今、私は自分の時間を差し出すことでやりがいのある仕事が出来ています。
少しの自由度を差し出すことで、営業しなくて良く、安定的に収入を得る生活が出来ています。

では毎日夕方に仕事を終えたいと思ったら?
何かを辞める必要があります。

家事も育児も仕事も、全てトレードオフ。
何を選択して、何を差し出すか。

頭で結論が出て、次は行動に移せるかどうか。
それによって人生も変わってきますねぇ。。
(自分に言うてます)

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