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ジャーナリングで心のデトックスをしよう

〜一念発起〜

勇気を出していざ!

こんにちは。

初投稿になりますが、何を書いたものでしょうか。

稚拙な文章が雑多に並べられることにはなるかと思いますが、こう見えても私は文章を書くのが好きなのです。

あくまで、人に見せられるような美しくて惹きつけられる文章ではなく、気ままに日記を書いたり、創作で自己満足の小説を書いてみたりするのが好きなだけであって、文章を世の中にアウトプットすることで何かしら人に感動を与えたり楽しませたりするといった実績がないのです。

しかし、自分の中で完結する文章を書くだけではなく、人に見せる前提で文章を書いて、それを実際に世に出す。それに少なからず憧れがあり、しかもそれが今この時代では簡単にできてしまうので、実際にやってみようと思った次第でございます。

「何か、読者の気分を悪くしてしまうようなことを書いてしまったらどうしよう」「痛烈な批判を食らったら立ち直れなくなるのではないか」といった不安が当初はありました。ただ、そういった心配は杞憂であるということが多いようです。

ブログを書いていらっしゃる知人に話を聞いてみても、「意外とそんなに心配することはないよ」と背中を押してくださりました。なんと勇気付けられるお言葉でしょう。

〜瞑想って超難しい〜

こんな感じで瞑想が捗ったらいいなあ。

そこで、私は「文章を書く」ということが何故好きなのか考えてみました。

文章を書けば書くほど、とても気持ちがいいのです。
この気持ちは一体どこから来るのでしょう。
文章を書く、その大きなメリットが後からわかることになります。

話はところ変わって、私が最近とあることに挫折をしました。
それは、「瞑想」です。

一流企業のCEOがやったりしていることが多いようで、「集中力が上がる」「判断力がつく」「思考がクリアになる」などなど、多大なる恩恵を受けられるようですが、いわゆる「意識高い系」の人が実践しているケースが多く、そのような方々がTwitterなどで「瞑想いいよ」みたいなことを呟いていらっしゃる。ここまで来ると瞑想がものすごく眉唾物の胡散臭いものに思うこともありました。

ただ、私はいかんせん無駄に思考量が多い性格をしており、その上「これをすれば考えることをやめてホッとすることができる」という方法論が自分の中で確立しておらず、常に頭の中はぐるぐる・ぐちゃぐちゃ・しっちゃかめっちゃか。思考量が多いことはストレスなのです

このストレスどうにかしたい。

そこで「瞑想」というものに出会い、「お!これで頭の中を綺麗にお掃除できるぞ!」とワクワクしながら実践してみたものの、なかなかうまくいかないのです。

瞑想の方法としては、楽な姿勢で座って目をつぶり、呼吸に意識を集中させ、雑念が浮かんできてはまた呼吸に意識を戻し、といったことを繰り返す。たったこれだけなのですが、いかんせん私は集中力が皆無。雑念が浮かんでは無我夢中で雑念の世界に入り浸り。「はっ、いかんいかん」となるのをずっと繰り返しているうちに挫折しました。

瞑想をよくやる瞑想ニストの方々は(そんな呼び方をするのか知りませんが)、「最初は誰でもそうなる」ということを口を揃えておっしゃるのですが、幾ら何でも難しすぎる。調べたところ、瞑想はかなり「難易度が高い」ようです

〜意外といっぱいあった「瞑想効果のある行動」〜

掃除も瞑想。

調べてみたところ、何も「瞑想」というのは、じっと目をつぶって、脳内で雑念との戦いを繰り広げることだけではないようです。

お寺での修行として「掃き掃除」「写経」「滝行」などなど、「座禅」以外にも修行項目はたくさんありますが、多くの修行は「精神統一」、すなわち思考をクリアにすることが目的とされています。
それだけ、「瞑想効果のあるもの」はいっぱいあります。
ようは、思考がクリアになるような行動をとればじっとしていなくてもいいわけです。

そう考えると、確かに「職場での机の拭き掃除」「家の庭でやる草むしり」といったことを私は好んでやっていました。きっと私はそこに瞑想効果の恩恵を得ていたのでしょう。

ただ、職場で瞑想をするために机を拭こうにも、すぐに拭き終わる。
草むしりをしようにも、際限がなさすぎるし、何より暑くて疲れる。そして途中で普通に飽きる。
どうやら、どれもこれも瞑想効果を得るためのベストな行動ではないものが多いようです。

〜別の方法で頭を掃除したい〜

考えあぐねた末に出た結論は?

どうにかして私は、思考をクリアにする方法論を自分の中で確立させたかったのですが、色々と調べているうちに、岡田斗司夫氏のある動画に出会いました。

作家・ディレクターのJulia Cameron(ジュリア・キャメロン)さんの著書で、「ずっとやりたかったことを、やりなさい。」(原題:The Artist Way)で提案している創造性を見つけるためのワークのひとつとして、「モーニングページ」というのがあり、それを岡田氏が動画で解説をされていました。

モーニングページとは、「内容はなんでも構わないから、朝起きたらすぐにA4のノート3ページ分を文章で埋める」というワークだそうです。

注意点としては「人には見せない」だそうです。
人に見せる文章を書こうとすると、どうしても「かっこいいことを書きたい」「賢いと思われたい」「おばかだと思われたくない」と思って、ちょっと飾った文章を書いてしまう恐れがあるため、人には見せないつもりで、むしろ自分で自分が「俺はバカなのか…?」と思ってしまうような文章を書くくらいがちょうどいいとのこと。
ちなみに、書く内容が思いつかなければ「書くことがない、困った困った」と3ページ書き続けてもいいそうです笑

これの大きなメリットの一つとして、「自分の行動力を堰き止めてしまう『理性脳』を黙らせ、疲れ果てさせる」という効果があり、「こんな発言や質問を会議中にしてしまったら頭が悪いやつだと思われてしまうのではないか」という心配をして発言を控える、といったことがなくなったりするのだとか。

ただ、私が最も心に止まったキーワードは「排水」です。
自分の頭の中に溜まってしまった汚水のようなものが外に出て来るとのこと。
やはり、文章を書くという動作は、心のデトックスになるようです。

〜「ジャーナリング」との出会い〜

「じゃーなりんぐ」…!!??

そこで、さらに分かったことがあります。

色々と調べているうちに、「ジャーナリング」というキーワードに出会いました。
ジャーナリングとは、すなわち文章をひたすらに書き続けて、瞑想効果を得るというものです。

やることも得られる結果もモーニングページとなんら変わりはないのですが、どうやら「モーニングページ」と「ジャーナリング」は少し目的というか目指すところが違うようです。

モーニングページは「理性脳を黙らせる」ことを一番の目的にしているようですが、ジャーナリングは「瞑想効果」を一番の目的にしているようです。

別に「書くこと」に対するネーミングが何になっているにせよ、書くことは私が求めている「頭の中の大掃除」に非常に役に立つことが分かりました。
そして、私が文章好きであることと相まって、ジャーナリング、およびモーニングページは私に一番しっくりくる瞑想方法だと確信しました。

〜やってみた感想「しんどい。でも良い。」〜

あぁ…しんど…

話を戻しますが、文章を書くのが好き、といっても、なにもモーニングページほど大量に文字を書くわけでもなく、ましてや毎日継続してやっているというわけでもなかったのです。

そこで、「いざ!」と思い、モーニングページを実践してみました。
やってみると、とてつもなくしんどいのです。

よくモーニングページを書く人は「ネタがない」とおっしゃります。実際に岡田氏も「A4を3ページも書くのは、広い海を全て文字で埋め尽くすようだ」とおっしゃっていました。

しかし、私は「ネタ切れ」になったことはございません
私の思考量をなめないでいただきたい。(誰にいってんだ)

何がしんどいか。これは本当に予想外でした。
シンプルに、腕がめっっっっちゃ疲れます
物理的に体力が続かず、あまりに腕が痛くなりすぎて途中でやめざるを得ないのです。

体力さえ続けば何ページでも書き続けたいのですが、腕が悲鳴をあげるのです。もはや腕の声が聞こえます。「オマエどんだけ書くねんええ加減にせえ」と言われます。そこでしぶしぶやめるしかないのです。

まじで疲れる。

だから、私はA43ページとまではいかず、せいぜい2ページ弱くらいで止まってしまうのですが、それでもだいぶ心のデトックスになっている感覚はあります。ちなみに、今のところ毎日続いています。やらないと気が済まなくなってしまいました。
「焼肉食べたい」とか「今日のスタバは推しの店員さんがいる」とか、そんなくだらないことを書き綴っていますが、それでも私の頭の中の雑念の一つなので、しっかりと紙の上に吐き出しています。

調べてみると、「紙に言葉を書く」というのは、「人に何かを話す」のと概ね同じような効果があると科学的に証明されているそうです。
人に考えを吐き出すのって気持ちいいですよね。紙に考えを吐き出すのも気持ちがいいのも合点がいきますね。

気の向くままに書きまくれ

随分雑多な文章が続きましたが、あなたも私と同じお悩みをお持ちでしたら、「紙に言葉を書く」、ぜひお試しを。

読んでくださりありがとうございました。
次回の文章もよしなに。

みなさんも「書く」ことで思考をクリアに。


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